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駄知線統計集
ここでは、駄知線に関する様々な統計を集めてみました。
2004/11/11更新 駄知線の定期券画像を公開し内容を一部改訂。


駅別1日平均乗降人員 / 駅別年間乗降人員<工事中>
駅別年間貨物取扱量 /収入額<工事中>


駄知線駅別1日平均乗降人員 【出典】『岐阜県統計書』(岐阜県企画開発部統計課)

駅名/年昭和31年昭和36年昭和40年昭和45年
土岐津
(省線)
2659
(1623)
3290
(2079)
4839
(4091)
4805
(3265)
神明口196267469290
土岐口61095519451956
下石1612217531482805
山神151245310208
駄知89995412151150
東駄知507601949920
1日平均663884891287812136
 岐阜県の統計に駄知線の詳細なデータが登場するのは戦後になってからです。戦争から国土が復興し昭 和25年の電化が完成すると、着実に駄知線の利用者数が増加しているのがおわかりいただけると思います。 昭和31年〜36年までの5年間に27%増加し、同36年〜40年までの5年間には、なんと51%という驚異的 な利用者数の増加を示しています。

 その要因は、第1次ベビーブーム世代が高校に進学し、彼らの多くがその通学手段として鉄道を利用し たことが挙げられます。当時、これは全国的な傾向で、全国各地に点在していたのローカル線の統計でも よく見られます。特に土岐口駅の乗降人員増加は、土岐商業高校の生徒数増加によるものです。

 また、幸運にも沿線の下石〜山神間に土岐市立土岐高校(当時。後に県立に移管、現在は土岐紅陵高校 に校名変更。)が開校したことも、利用者増加に拍車をかけ、減少する貨物収入を旅客収入でカバーでき た時期もありました。

 同時に駄知線沿線からも遠くの学校へ通学する形態もあります。右の画像は長良川鉄道郡上八幡駅内に あった展示物から偶然発見し撮影したものですが、この資料は東濃鉄道の定期券という資料だけでなく、駄知線には土岐市駅から国鉄線への連絡輸送制度が存在しており、駄知線各駅から国鉄線各駅(ただ し、購入可能区間に制限がある)へ通しで乗車券が購入できたということを証明しています。

 神明口駅の利用者が少ないのは、土岐津(土岐市)駅から1kmほどしか離れていないため、下り(下石 方面)の利用が中心となり、中央線を利用する際には、直接、土岐津(土岐市)駅まで、自転車又は徒歩 で向かっていた可能性があります。また、山神駅の利用者の少なさは、山神駅が山神集落の中心からかな り離れていたのが最大の理由だと思われます。

【備考】
 1日平均乗降人員の算出方法は「乗車人数+下車人数÷365」で、端数(小数点第1位以下)は切り捨てた。 土岐津駅の省線とは、土岐津駅で駄知線から国鉄中央西線、及び国鉄中央西線から駄知線に乗換えた乗客 数と見られる。「土岐津駅」は昭和40年7月1日より「土岐市駅」に改称している。昭和40年は出典の乗車 人員・下車人員数が各駅とも同じ数値になっていた。昭和45年は乗車人員しか記載がない。そこで、「乗車 人員×2÷365」で算出した。また、昭和45年の数値は出典元が千人単位で表記しているため、端数の扱い は不明。「1日平均」とは、駄知線における1日あたりの利用者数のことである。

駄知線駅別年間貨物取扱量 【出典】『岐阜県統計書』(岐阜県企画開発部統計課)

昭和31年昭和36年昭和40年昭和45年
駅名発送到着発送到着発送到着発送到着
土岐津
(省線)



0.2




神明口16706.33622.017869.04469.19999.14804.712000.04000.0
土岐口28675.01918.324702.81699.218396.7836.219000.01000.0
下石4528.811783.86434.06677.12669.74683.32000.02000.0
山神604.0101.1
駄知14933.712411.113195.77616.18425.14001.54000.03000.0
東駄知1337.310652.11476.75365.6352.42619.81000.0
駄知線合計66181.140991.363678.825928.439843.016945.537000.011000.0
国鉄・土岐津75787.033641.0104921.019308.088934.034772.0119000.012000.0
【備考】
単位はトン(t)。「土岐津駅」は昭和40年7月1日より「土岐市駅」に改称している。
国鉄・土岐津の数値のうち、1トン未満の端数の扱いは不明。
昭和45年分は1000トン単位で掲載されており、1000トン未満の数値に対する扱いは不明。
 こちらも戦後のデータしか詳細を示していません。しかし、駄知線全駅で貨物を取り扱っていたという ことは同時に駅員もいたわけで、小規模鉄道にしてはなかなかの充実振りだったことを示しています。

 ただ、戦後の高度経済成長期へ上り坂だというのに、駄知線を支えた貨物輸送が激減していることを下 石・駄知・東駄知の各駅の数値からお分かりいただけると思います。発送の激減は、この地域からの陶磁 器製品輸送が鉄道輸送からトラック輸送に切り替わったことを示しています。昭和40年代に入ると美濃焼 の集散地である多治見市への県道66号が整備され、土岐市南部からのアクセスが飛躍的に改善されたこと が影響しトラック輸送への移行が急激に進んでいます。また、山神駅は山間にあったため貨物の発送能力 に限度があり、早い段階で衰退しています。

 一方、神明口・土岐口の両駅は、この貨物衰退期でも早く底を打ち貨物取扱量も横ばいで推移していま す。これは、両駅の特に発送貨物が陶磁器製品メインではなく、陶磁器の原料になる陶土(粘土)の発送 がメインであったからと見られます。この両駅の貨物輸送が旅客輸送と共に末期の駄知線を支えていたと いえます。

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