このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

黒臓   

森林が伐採され回りの山々ははげ山となり地形までが変わり私には説明の仕様がありません
再度、元住んでいた知り合いを連れ案内をしてもらうつもりです(平成23年2月)

平成24年7月2度目の訪問

黒臓への分岐点
観光橋とこうやけの淵のほぼ中間点
左へ谷沿いに行けば車で5分ほどで集落跡に行くことが出来る  


今回は元、黒臓に住んでいた友人と同伴で訪れました

分岐点から数百メートルで左手に住居跡があります

友人の話によると昔、道路がまだ開通していないとき
切り出した材木の運搬はレールを敷き、台車を馬に引かせ搬出したそうです
写真の石垣上方にレールが敷かれていたそうです


ちなみに中之川の搬出方は上流に切り出した材木でダムを造り
満水になるとゲートを開け水流の勢いで材木を流すと言う何とも原始的な方法でした
リスクも多く、特に怪我をする人が多かったように覚えています


川の向かい側に何かを祀っている所があり、友人の話によると目の神様だそうです


道路から右に川を渡る橋が元の旧道

橋の上流側 この場所が黒臓に住んでいる子供達のプールだったそうです
中之川は学校公認の 「せき」 がありました

唯一昔と変わらないのがこのお堂です
小学何年生だったか… 遠足で訪れた場所です 懐かしい!


お堂の前で撮ったのが次の写真です
古い道が消え昔の面影は全くありません


上の矢印の場所が下の写真ににあたります
川を挟んだ向いに古い石段があったので行ってみました


石の階段を上がると神社?がありました





 


後に国土調査を行っている方からメールを頂き、こま犬の台座に 「こうやけのめん淵の伝説」 の当時の写真に乗っている方(石川藤太郎)の名前が彫られていると教えていただきました。
黒臓に住んでいた方だと判明しました。



次の写真は昨年9月、佐々連尾山に登ったとき黒臓付近を撮影したものです




上の写真の場所がこの場所と思われます
石積みは元住居跡


正面に知合いの自宅が在ったのですが…
左に道路が写っていますが向こう側ではまだ材木の切り出しをしています
この日は日曜で休んでいましたが重機等を置いていたため通れませんでした




上の写真の矢印の場所から撮りました





さらに奥の終点近くより下方面を撮りました



前方が林道終点です
今も材木の伐採をしています


向かい側に一番奥の集落跡が在ります



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