このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

2.観光橋 「こうやけのめん淵」

詳しくは石川美代子さん手記こうやけの こうやけのめん淵の伝説 をお読み下さい

以前より疑問に思っていたこうやけ伝説

龍伝説はともかくとして川をせき止め、川底を探したのは本当の事だと黒臓に住んでいた知り合いの方から聞きました。
その人とは私と同世代でその方のお父さんが10代の頃の話で、詳しくは判りませんが上流を関止めトイで下流に流したそうです。
 毎日沢山の見物人で店が出来たそうです。

しかしこの話は上流のこうやけの淵ではなくて数百メートル下流のこの場所、観光橋下の淵の話だそうです。
それなら私も納得です。 こうやけの淵は道路が開通する以前は陸からは一歩も近づけないところ、
川をせき止めるにしてもこの場所の方がやりやすい。

もう一つ疑問なのは本では明治時代となっているがこの方の話では戦争前のことだと言っていました。


上の写真 上流から見た観光橋




橋の袂に石像が立っていました

  

橋の直下が滝つぼで釜の形をしている
かなり深そうです

  


この場所で水流に巻き込まれ水死した方がおられます
地元の人は絶対近づかない場所です
隊長も怖い(汗)



上流より見た淵




嶺南のふるさと中之川 「こうやけのめん淵の伝説」 作・石川美代子さんより

四国中央市在住の石川美代子さんが書かれた手記の中に驚くべく3枚の写真が載っていました。
川をせき止めたとされる当時の工事現場で撮った2枚に 干した川底で撮った衝撃の写真
この写真は北海道へ移住した川口虎光さんから送っていただいた資料だそうですが驚きました。
以前から実話だと言う事は聞いていましたが私にとっては昔話の世界でした。
またこうやけの淵とは上流と下流とにそれぞれおん淵、めん淵と約200m間で分かれていると知りました。(;^ω^)
この事で今まで疑問に思っていた事が解決しました。


 写真と同じと思われる場所を同じアングルで撮って来ました
マウスポイントを当ててみてください
 




上の写真の場所より数メートル下流で撮ったと思われる




石川藤太郎の名前が黒臓の神社のこま犬の台座に彫られていました  

3枚目の写真が最も衝撃的!
まさか!川底で撮った写真があるとは






上の写真の撮った地点を考えてみました 
が最先端部、滝つぼです
写真を見ると奥が左方向へ曲がり、人が立っている両端に岩が迫っていますから
付近ではないかと思われる
川幅はわずか数メートルですが深さは美代子さんの手記によると2間梯子を2本繋ぎ…とあるから
おそらく7m位はあるのではないのでしょうか



後日、滝つぼの深さを測ってきました。            

滝つぼが橋の真下に在るため簡単に測ることが出来ました。
紐の先端に数キロの錘を付け橋の上から垂らしました
真上からなのでかなり正確だと思いますが
5.5m〜6mありました

水流は時計の逆回りに淵の底は岩盤で平らの様でした
この数値は水面より下の深さなので周りの岩盤を加えるとかなりの深さになると思います

やはり
の滝つぼが一番深く、下流に行くほど浅くなり点で約1,5m浅くなっていました




滝つぼの下流方面を撮った写真ですが、この水すべてを干すのに1ヵ月間掛かったそうですが、       
当時は発動機でポンプを四六時中回すのでもしもの時を考えスペア用としてもう一組用意したのではないか。
また1ヵ月間、何も雨が降らないとは考えられないので雨による影響もかなりあったと思う。          
現在だとそれなりのポンプを使えば1日も掛からないだろう。                            

この日 中之川・上部落のトヤのおじいさんに会うことが出来、こうやけについて話を聞くことが出来ました。
やはり、おじいさんが5、6歳の頃、見物に行ったそうで「行きかねた」、「店もようけ出とった」と言っていました。




もう一つの明治版「こうやけ淵伝説 奥の院」

昔どこかのテレビ番組に在ったやらせ色の濃い「川口浩探検隊」も真っ青の実話、もう一つの明治版「こうやけ淵伝説」。
明治と昭和の時代に川の同じ場所を干し上げ、川底に眠っている宝物を探し出そうとした人がいた。           

奥の院(仙龍寺)の住職さんにこうやけ伝説について話を聞く事が出来ました。
住職さんは上の淵を「こうやけ」、下の淵を「黒臓の淵」と呼んでいましたが  
正式な名称は無く時代や人によって呼び方も色々とあったのだと思います。 

明治の頃、黒臓の淵の底に何か光る物があると噂が広まり、 
ある男が何とかこの物体を採ろうとしたがかなり費用が掛かる。
そこでこの話を奥の院の住職に持ちかけた。           

当然住職も淵を見に行ったはず、ひょっとすると住職の目にも光る物が見えたかもしれない。
興味と欲もあっただろう、住職はこの男にお金を貸す事にしました。               

このとき男が書いた借用書は墨にワラビの汁を混ぜたらしく、いつの日か文字が消えてしまっていました。
(注・住職さんの話によると墨にワラビの汁を混ぜると日数が経つに連れ消えていくそうです)

また淵の底から出た謎の石も、その男が調べてあげると言われ石を渡したがそのまま持ち逃げ
されてしまい、すっかりだまされた住職はお金に困るようになりついには夜逃げをしました。   

住職の居なくなった奥の院は月日が経つに釣れ荒れ放題となり、
見るに見かねた本山がこのままではいかんと愛知県から今の住職の
先代に当たる坊さんを呼び寄せ再建にあたり今日に至っています。




明治と昭和の初め、昔の人の方が夢が有ったみたいですね。
平成となりいよいよ私の出番、何も出なくても淵の底を見たいものです。
しかし資金が…。



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