このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私か住んでいたふる里 中之川に隣接するところに、黒蔵という集落があり、そこに『こうやけの淵』という所があります。こうやけの雌淵には次の様な伝説があります。
 私は村の人や父母たちから、この話をいろいろ聞かされらながら大きくなりました。また、昭和7年に北海道北見市へ移住した川口虎光(96才)さんから送って頂いた写真や資料をもとに、この伝説を私なりにまとめて見たいと思いたちました。
 今から600年余り前のこと、黒蔵の関助という人の所へ美しい嬢さんが訪ねて来て、宿を乞うたそうです。そして泊まる事になり、夜やすむ前に娘さんが「私が眠っている開、部屋を覗かない様にして下さい。」と言い残してやすみました。
 見るなと言われると誰でも見たいものです。聞助さんがとうとう我慢が出来なくなって、夜中にそうっと覗いて見ますと、娘さんはハ畳間一杯に広がって、大蛇になって眠っていました。次の朝 娘さんは悲しそうに 「あれ程お願いして置きましたのに、貴方は私の寝姿を見てしまいましたね。私の化身を見られたからは此処に居られない。実は私は讃岐の満濃池から来たのですけど、何処か住む淵を探して下さい」と頼みました。
 関助さんは、近くのこうやけの淵へ連れて行ってやりました。娘さんの大蛇は暫く住んでいましたが、「この淵は狭いので、これから土佐の工石山(くいしざん)へ行こうと思います。本当に親切にして頂いて有り難うございました。」と礼を言って出て行ったそうです。そして工石山のふもとの仁尾の内にある大きな淵へ移り住んだという事です。
 その後こうやけの淵にキラリ・キラリと光る物があると、人々が噂をする様になりました。
 明治10年頃、母の母が6才の時、仙竜寺の住職が投資して淵を干し上げる事になりました。
川上を堰止めて釣瓶で淵の水を汲み上げたのでしょうか、村人は「明日は干せるぞ、底が見えるぞ。」と楽しみにして居ましたが、その夜大雨が降り、また元の様に淵一杯に青黒く水を湛えている有様でした。その様なことを何度も繰り返しても、干し上げる事が出来なかったそうです。けれども、誰かがキラリと光る物を見付けて飛び込んで拾って来ました。また、光ったので飛び込んで拾って来て2個拾ったそうです。
 川之江の人で中国の青島(ちんとう)で大金を儲けた人が居て、その人が一個25円で買ったのだそうです。つの大きい方は650匁で、丁度人間が座った様な形をした石だったそうです。
 その人がドイツまで送って鑑定をして貰ったらラジウムだったそうです。その人が自分の財力で淵を干す事にしました。昭和年の夏の事です。
 土佐の人で木流しや木組の達人で、五百戦馬吉(いよろいうまきち)始め、黒蔵の石川藤太郎・石川桂太郎・石川安市・森田虫五郎の人が、費用三千円で請け負ったのでした。発動ポンプは川之江の石津ポンプが使われたそうです。
 大勢の人夫達が作業に取り掛かりました。近郷近在の人は家族連れで弁当を持って、川之江・三島の人は片道時間余りの道程を歩いて、毎日の様に見物に来たそうです。
 金銀が出るか、大蛇が出るか、見物人たちは鈴なりになって淵を覗き込みました。空地にはうどん屋・飯屋・菓子屋・杯飲み屋が立ち並び、ちょっと一杯が何杯にもなってしまい、終には喧嘩になり頭から血を流し、警察が来るという騒ぎもあったそうです。
 青葉の繁る静かな山里に、降って湧いた様な賑わいに、小鳥や獣たちも遠巻きにして、声を静めていたのではないかと思います。
 その賑わいもヵ月余り、淵は小さいが間梯子を本繋いで立てて下りて行く程深かったそうです。
ヵ月余り、鳴り物入りで大騒ぎした作業でしたが、淵の底からは何も出て来ませんでした。作業員の中には、底の石を拾って帰ったという人もいました。つ残っていたラジウムで風呂を焚いて、皆んな入浴に行ったそうです。
 また淵に馬が落ちて浮き上がってこなかった話もあります。この淵の真上に観光橋が架かっていますが、此処は中之川黒蔵線の一番の難所で、他に道はありません。
 その昔、讃岐の細川氏が攻めて来るとのことで、村人が立ち番をした場所だそうです。
 現在では川之江から車で40分程で観光橋に着きます。車を止めて橋から淵を覗き込んで見て下さい。自然の岩が大きな樋となり淵の真ん中へ流れ込み、淵が渦を巻いています。
 山奥の小さな淵に度も大金を投じて干し上げるなどは、他に類を見ない事です。私にはなぜか、千年の里人の思いを今に伝えて、流れている様に思います。

当時の工事中の写真は 

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     嶺南のふるさと 中之川

     こうやけの雌淵(めんぶち)の伝説

          平成10年7月5日 記        石川美代子

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