このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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それは5月に掲示板に書き込みをされたルナママさんがことの始まりでした。
彼女は私が小学校6年生の時、担任だった先生の娘さんでした。
ある日、ルナママさんのお母さん(Fさん)が私の所に尋ねてこられ、もちろんFさんの事は私と同じ市内に住んでおられ昔からよく知ってはいましたが会うのは十数年ぶり ワープロで打った1冊の手記を「読んでみて」と持ってきてくれました。
手記は「ふるさとの思い出話」というタイトルで石川美代子さんという方が書いたものでした。
美代子さんは昭和の始めに中之川で生まれ育ち、現在は四国中央市に住んでいる80才代の女性の方です。
Fさんと美代子さんは昔からの友人だそうで私のために この本を借りて私の所まで届けてくれました。
その手記には何と!驚くべく事が書かれていました。
美代子さんの幼い頃の日々の生活や思い出と一緒に「こうやけ伝説」や「七人塚」についても書かれ、驚いたのは川をせき止め淵を干しあげた「こうやけ伝説」に当時の現場で撮った衝撃的な写真3枚とそれに携わった人達の名前なども記載されていてビックリ!
「七人塚」ではこの手記を読み、以前より疑問に思っていた事が美代子さんと同じ考えだと判り、確信を持ちました。
また彼女の幼い頃、中之川当時の暮らし振りが良く分り、しばし当時にタイムスリップ、何度となくうなずき、また私の胸を打つシーンもありました。
後日、どうしても美代子さんに会って話を聞きたくなり、Fさんにお願いをして一緒に会いに行きました。
会ってまたビックリ! 全く面識のない方とばかりに思っていたのですが、一目見るなり見覚えのある顔、
私が小学生だった頃以来、40数年ぶりの対面となりました。
1時間近く話しをしたのですがその中でもう一つ、私にとって驚く事も知りました。
それは七人の遺体を埋めたとされる場所が私の家の前にある畑の中。
この事には大変ショックでした。
どうして私がこの事を知らなかったかはこの手記を読めば大体の想像は付くと思います。
私の両親もたぶん知っていたと思いますが、なぜ私には黙っていたのか…?。
昔から7人塚については禁句で、周りからは上に上がるな!近づくな!とよく言われていました。
知ったのはごく最近の事です。
最後に美代子さんが書かれたこの手記を私のホームページに是非載せたいとお願いした所、快くOKの返事をもらいました。
こうやけの写真については多数の人達の顔と実名が載っているため迷ったのですが美代子さんと相談した結果、現在はすでに他界している人達なので大丈夫だろうという事で載せる事にしました。
本来なら「かわぐち探検隊ついにに発見!こうやけ伝説と7人塚の新事実!」と軽い乗りで書くのですが、何か運命的なものを感じました。
畑の中に遺骨が眠っているのが事実だとしたら…、何で埋めたとされる場所が7人塚の場所と離れているのか考え込んでしまいます。(´Д`;)
とにかく事実を書くのが先決と思い順次アップしていきます。
コピーしたのをプリンターに付属していたOCRのソフトを使いデター化しているので時間がかかり、私の読めない難しい漢字が多いため悪戦苦闘しました。
間違った漢字や読みがあるかもしれませんが私の頭ではこの程度ですので作者の美代子さんをはじめ皆さんお許しください。
尚、美代子さんへメッセージなどあればお伝えしたいと思いますので掲示板へ書き込みをお願いします。
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