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4本足の大蛇の思い出
平成10年2月20日 記 石川美代子
いくら山中三軒家でも、住めば都よ我が里よ。とは言うけれど、物心がついてからの幼い日々は、一人で遊んで淋しいものだった。一年生の入学をどんなに待ちわびたか知れない。
昭和7年4月、桜の花が咲く小さな学校で勉強出来たことがどんなに楽しかったか、今も心に浮かんで来る。友達も出来て嬉しい日々であった。
5月半ばの或る日、学校の帰り道、燦々と輝く太陽の下で、昼間の学校生活の疲れが出て、その上お腹が空くやらで何かないかなあと思いながらおきろく谷川に目をやると、流れのそばに小さないたどり(虎杖)と杉菜が密生しているのが見えた。いたどりを取って食べようと、小さな私は両手で草を掻き分けると蛇の頭が見えた。そのあと両手が見えた。とっさにとかげ(晰揚)かな? と思ったが、とかげにしては大き過ぎる。こんな大きなとかげは見たことがない。そのままじっと見ていると、茶色の胴体がずるずると50センチくらい動いて今度は両足が見え、尻尾が見えた。そして見えなくなってしまった。あまりの驚きに私はただ呆然と見詰めていたが、ハツと我に返り、怖さも忘れてもう一度見ようと、そこら中を掻き分けたが、4つ足の蛇はもう居なかった。手足には可愛い5本の指があり、手は小さく足は大きかった。
私はさっきまでの疲れもひもじさも忘れて家に走って帰り、早達母にいま見て来たことを興奮して話したが、母は「嘘言うな、そんなもんはおるか。」と一言のもとに打ち消されてしまった。どんなに言っても母には信じて貰え無かった。その悲しさに二度とそのことは口にしなかったのを覚えている。
それから10年程たった頃、その谷川の近くに住んでいた男の子が、4本足の蛇を見たと、その子の父親が話していた。それを聞いた村の長老が、白分も谷奥でその蛇の衣の脱皮を見たと話してくれた。私はほっとした。あれは夢ではなかったと、…………………。
その谷奥は長老の山林で、モミの大木の根元が空洞になっていて山の神さんが祀ってあり、注連縄(しめなわ)に御弊が結んであった。 鬱蒼として昼尚暗い所で、御弊がひらひらと風に揺れていた。あの時の蛇さんが、山の神さんのお使いさんの様に思えて急に恐くなり、家へ逃げ帰ったのを覚えている。
その集落は、父の話しでは大正元年に北海道へ移住して誰も居なくなり、お墓ばかりが並んでいる所である。
新宮村と金砂町の境界の三ツ足山(標高1105 m)で、1升瓶程の大蛇の脱皮を見たと父の友達も言っていた。その山で大蛇にばったり出会って這う這うの体で逃げ帰ったけど、毒気にあてられたのか、その人は亡くなったとか。60有余年前には、今では考えられないものが私のふる里の山には住んでいたとは?………………。
この年になっても私の心には、あの幼い日の出来ごとが、鮮明に残っている。
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3.移動製材の思い出
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