このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

伊予三島市金砂町の中之川部落に隣接するところに、黒蔵という所があります。
 その昔、土佐の国から大石か馬守という武士が、中之川峠を越えて黒蔵へ来て住み着き、関助と名乗って暮らしていました。
 黒蔵の関助は無類の鉄砲の名人で、遠くまで狩りに行っていました。その頃、土佐蜂に得体の知れない怪物が出て、悪いことをするので、人々は通行出来なくなったとの、噂が聞こえて来ました。それを聞いた関肋は怪物を討ち取りに、刀を差し鉄砲を持って土佐峰に出掛けて行きました。
 夜になって待って居ますと、不気味な風と共に怪物が現れました。怪物は虎の顔をしていて、しっ尾は蛇だったそうです。すさまじい勢いで飛び掛かって来ましたが、関の孫六の名刀で一刀のもとに退治しました。
 夕日、人夫を雇って家に持って帰りますと、村人が珍しがっては見物に来ました。
 川之江の代官所へいち早く連絡すると、怪物と刀を持って、出頭するようにと、お達しがありました。そこで関助は、人夫に怪物を担がせて代官所へ出掛けて行きました。
 代官は一目見るなり驚いて、「関肋。これは何という動物じゃ……。] 「代官さまヌエと言う動物で御座います。」「うん佐様か。う−ん。そちが退治したのか。その刀をわしに見せてくれぬか。」「さようでございますか。」と言って、その刀を差し出した。
 所が、後日代官所から返して来た刀は偽物で、なまくら刀だったのです。そんな事とは露知らぬ関肋は、自分の刀だと思っていました。
 しばらくして、土佐峰にはまたヌエが出て、暴れ廻って居ました。「前に退治たヌエは雌だったから、今度は牡らしい、つがいなのか。」等と噂が聞こえて来ました。
 それを聞いた関助は、もう一度土佐峰へ行き、一刀のもとに切りつけたと思ったのですが、刀をヌエの歯で噛み折られ、遂には関助も喰い殺されてしまったのです。ですから関助の亡骸は何処にも見つかりませんでした。
  にうやけの淵)の道路沿いの岩間には、今も関助が龍神様を祀って建てたと言う祠が、苔むして寂しく残っています。

これは、平成11年9月18目に、土居町津根の篠永 明さん(86才)関助の子孫だという方から聞いた話です。



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南のふるさと 中之川


        黒蔵の関助


    平成11年10月20日 記     石川美代子


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