このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

3.沈殿池  33°51'10.67"N133°20'29.80"E (グーグルアース)                           

写真のの建物は接待館らしいとすると私が撮った沈殿槽はの場所だと思われる。小足谷疏水道坑口の案内板は
立っているが道は途中で消え、近辺を探したが結局解らずじまい。 どうも埋められたようだ

小足谷疏水道と収銅所

別子銅山の深部に溜まった構内水を排出する為に寛政4年(1792年)に着工した。坑道の長さは940mもあり、これは手掘りの時代においては常識はずれの大工事であった。
従って、途中何度か中断があり、明治元年(1868年)4度目の着手で黒色火薬やダイナマイトを使って明治16年(1883年)に4番坑道に貫通した。
この完成によって構内水の排除と通気問題が一挙に改善された。但し、構内水には硫黄や重金属が含まれており、川に直接流す事は出来なかった。
そこで排水は延々と箱樋の中を流し、鉄屑を入れて銅を沈殿させ、余水は沈殿池に溜めて浄化し、上澄みだけを放流していた。
この対岸一帯にはその施設が構築されていた。                 (案内板より)

 

沈殿池への標識は無く入り口を探すのに苦労した。
小学校跡付近から谷に降り、谷に沿って強引に下った。
後で沈殿池の進入路の存在がわかったが注意をしていないとわかり難い。
沈殿池は補強工事がされており上部に上がれるようになっている

 

内側(山側)より撮る

  下の写真は展望台より撮ったのだが写真の中央、山の谷間に見える筋状に光っているのが沈殿池
グーグルアースでも写っている 33°51'10.67"N133°20'29.80"E


1月冬季の西赤石登山中に発見する。場所は接待館前の対岸に位置する
この沈殿池こそ当時の写真に写っているものと思われる
夏季に遊歩道からはこの場所は木々に覆われ全く見えない

内側は何層にも仕切られ、箇所によっては木製の部分もあり落ち葉などの堆積物で殆ど埋まっている



一番下流にあたる場所 排水口が見える



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