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3.東平・Ⅱ
この坑道を利用すると第三通洞前まで車両が入れる為、坑内は整備されている様だ(一般車は入れません)
写真・B 33°52'27.16"N133°19'5.80"E 写真・C 33°52'29.24"N133°18'56.59"E
写真・A 元火薬庫の跡らしい 33°52'25.89"N133°19'7.46"E
東平採鉱本部跡 33°52'27.88"N133°19'6.64"E
採鉱の中心は、第三通洞の八番坑道準と九番坑道準に移行しつつあったので、第四通洞、大立坑の完成を機会に、
大正5年(1916)、採鉱本部を山頂に近い旧別子の東延から中腹の東平(第三地区)に移した。
採鉱本部の建物は第三通洞前に暗渠を築き、その上に二階建てで建築された。採鉱本部前には柵がめぐらされ、
その内には、火薬庫、機械修理工場、病院、土木課、山林課、運輸課、娯楽場、接待館などの中枢機能が集積していた
東平地区に移転した。そして、採鉱本部の建物は、昭和5年に東平から端出場に移された。
奥に見えるのが第三通洞
第三通洞(北口)標高744m 33°51'57.30"N133°19'30.82"E
東延斜坑底部まで1818m
第三通洞は東延斜坑の下底部にあった三角(みすま)という別子鉱床の富鉱部を狙って明治27年に開削に着手した多目的坑道である。
同35年に完成したことにより、坑内の排水の排出と排水と通気問題が一挙に解決し、出鉱量も飛躍的に増加していった。更に、明治44年に
別子山側に日浦通洞が貫けたことにより、東平と別子山日浦が全長3.990mのトンネルで結ばれ、別子鉱山の北と南を結ぶ動脈となった。
更に鉱山では籠電車という鳥かごの様な人車を連結して一般にも開放したので、利用者が多くて特別に人車を増結することもあった。
昭和48年、その籠電車も別子鉱山の終掘と同時に廃止された。
さらに明治44年に別子山側に
日浦通洞
が貫けたことにより、東平と別子山日浦が全長3.990mのトンネルで結ばれ、別子鉱山の北と南を結ぶ動脈となった。
坑口手前の橋を渡ったところ左手に銅山越への入り口がある
第3通洞 内部
平変電所 33°52'28.04"N133°19'7.76"E
煉瓦の建物は東平変電所の遺構で、明治36年頃設置された開閉所えお大正6年頃に変電所の
機能を備えた煉瓦の建物とした。尚その下段には鉱水を処理する流水沈殿槽が設置されていた。
変電所内部
左に行くと遠登志左斜め上は一本松停車場跡へ
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