このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
中部砲台跡
北部砲台跡より遊歩道を中部砲台跡に上がる。左写真の遊歩道を上がると10分ほどで鉄塔の脇に出る。 この島で一番高い場所なので大変眺めがいい
中部砲台跡
この中部砲台跡は、日露戦争前の1900年ごろ、旧陸軍によって築かれたものです。大久野島には、ここの4門のほかに、
南部に4門、北部に8門の、合わせて16門の大砲が据え置かれて、芸予要塞としての役目を果たしていました。
これらの大砲は、第一次世界大戦のとき取り外されて前線に送られたと言う事です。なおここに使われている赤レンガは、
ロシアから輸入されたものだと言われています。当時製造された全国の砲台の中でも、大久野島に砲台は、もっとも完全な姿を残しています。「案内板より)
連絡路で全ての部屋が通じている
一箇所 半地下への入り口が在り 地面がぬかるんでいるが意を決して入っていく事に…
突き当たりの左壁に数十センチ角の穴があったが在り、内部は真っ暗で何も見えない。
怖わごわフラッシュで撮った写真が右。死体(^_^;)なんぞ写っていなくよかったが…それにしても不気味だ…いったい何に使っていたのか…?
高さ226mの巨大な鉄塔 イラストがほぼ人間の大きさだと思って欲しい。
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