このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

* * (2006/04/20) * *
(その2)

※2006年4月20日(その1)


 さて北光社より再び置戸へと戻る。さすがに運行最終日に乗車しないわけにはいかないので、置戸より乗車する。昨夜の車中泊で突如考えた計画である。

 まずは749D置戸発北見行きを全区間乗車。折り返し列車である744Dはかなりの混雑。749Dも覚悟していたが、思ったほどではなかった。それでもいつもとは明らかに違う。汽車に乗ると、銀河線を見つめる沿線の人の多さがあらためてわかった。鉄道ファンが多いのはもちろんだが、沿線住民の方々の多くもこの廃線の日を記憶にとどめたのだろう。
 車中では何故かいつも進行方向左側に座る小生は、その左側が埋まっていたせいで右側に座った。それがこの後、運が良いことに気づく。
 訓子府に15分ほどで訓子府に到着。進行方向を見ているとなにやら騒がしいことに気づく。訓子府ではちょうどこの749Dとさよなら列車の9704Dが交換するところだったのだ。ホームはすごい人の山、ホームにこれだけの人が集まってよく転落者がでなかったものだ。右側に座っていた小生は対向のさよなら列車を撮影、とても幸運であった。
置戸・749D
↑置戸・749D
訓子府・9704D
↑訓子府・9704D
 先ほど訪れた日ノ出駅のホームでは石灰工場の社員さんがこの列車を見送ってくれた。おそらくメインはさよなら列車だと思うが、この列車も直後を通ったからだろう。
 上常呂では746Dと交換。この駅でも数人が乗り込んでいたようだ。
日ノ出駅ホーム
↑日ノ出駅ホーム
上常呂・746D
↑上常呂・746D
 北見到着の直前に見える北見運転所は通常どおりの光景。検修庫横に部品取りとして留置?されているCR車の廃車体はいつ解体されるのだろうか。
 北見駅は銀河線専用の3番線に到着。到着ホームには「ありがとうございました」の横断幕が掲げられた。3番線のCR車とこの幕が格好の撮影スポットと化していた。
北見運転所
↑北見運転所
北見駅2,3,4番線
↑北見駅2,3,4番線
 この時間帯は北見駅の最も賑わうとき?である。特急「オホーツク」がこの北見で交換し、それに銀河線の池田行きが改札に加わる。明日はこの光景から池田行きがなくなってしまう。
 北見駅には銀河線の専用改札はなく、JRから間借りしている。ただ券売機はJR線とは別になっているが、いずれ撤去されるだろう。改札内の銀河線案内表示も同じだ。
北見駅の改札案内
↑北見駅の改札案内
北見駅跨線橋の案内
↑北見駅跨線橋の案内
 さてここからは北見発池田行き714Dに乗車する。本当ならば終点の池田まで乗り通したいところだが時間の都合上、足寄までの乗車とした。北見発車時点でかなりの混み具合だった。改札開始後、すぐに乗らなければ着席は不可能だった。結局、足寄までずっと立つことになった。
 写真は小利別停車中の車内。通常であれば乗降があるかないかの駅であるが、この混み具合だ。
北見・714D
↑北見・714D
小利別停車中の車内
↑小利別停車中の車内
 川上駅では北海道のテレビ局、UHBが取材中。UHBの某アナウンサーも見かけることができた。
 陸別駅はテレビ各局の前線基地?である。池田方の駐車場には移動中継車が並んでいた。
川上・714D
↑川上・714D
陸別・714D
↑陸別・714D
 各駅では多くの方々に見守られながら発車していた。やはり最後の日は特別なもののようだ。
 足寄駅では40分ほどの間合いをおいて、池田発北見行き715Dに乗車する。足寄は道の駅も併設しており、普段から利用客が多い。午前中は盛大なイベントがこの駅でも行なわれたのだろう。雨が降る中到着した715Dはすでにかなりの混雑。足寄でだいぶ降りるのかと思ったら、そうでもなかった。朝の札幌市営地下鉄のような混み具合だ。車両の中ほどで、結局は池北峠を越え置戸にて下車するまで立つことになった。当然のことながら写真は全く撮れず…。
足寄駅出札口
↑足寄駅出札口
足寄・715D
↑足寄・715D
 置戸駅でもホームには大勢の方々が汽車を見送りにきていた。写真の715D横に立つのは駅長さん?でせうか。あと数時間の安全運行に徹する鉄道員の姿は実に頼もしいものです。
 駅舎内では最終列車757D発車後のお別れ会を行なうということで、その準備が着々と進んでいた。駅前のそば屋さんが中心となっているようだ。できることならば私もその場面に立ち会いたかったが、次の日は通常通り勤務があるため、なるべく釧路に近いところで見送りたいという希望があり断念した。
置戸・715D
↑置戸・715D
置戸駅駅舎内
↑置戸駅駅舎内
 置戸町内で食料を買い込み、池北峠に向かう。小利別では池北峠を越える最後の列車717Dを撮影することにした。717Dは通常は帯広始発だが、さよなら列車等車両運用の関係で池田発となっている。
 いよいよ最後の撮影地、そしてふるさと銀河線現役最後の撮影となる陸別に入った。北見方からの最終列車、北見発陸別行き748Dはすでに3番線に転線されていた。通常748Dは1番線に入線後、ホームから離された位置で留置されることになるが、やはり池田からの最終列車725Dを迎えるための準備と思われる。
小利別・717D
↑小利別・717D
陸別駅2,3番線
↑陸別駅2,3番線
 池田発陸別行き725Dが十勝側の最終列車である。時刻はまもなく到着時刻の22:08になるが、まだ汽車の到着する気配がない。駅構内では拡声器にて725Dは若干の遅れをもって運転中とのこと。遅れは想定の範囲、むしろ数分の遅れで走っているほうがすばらしい。
 鉄橋を渡るときの汽笛が聞こえ、もうすぐ陸別に入ってくる。陸別手前の左カーブから鉄橋二本をわたり前照灯が見えてきた。4両編成、本日のさよなら列車に使用された列車が725Dとなって陸別1番線に無事到着した。先の748Dにて陸別に到着した2両とあわせて6両が陸別にて保存される計画となっている。
陸別・725D到着直後
↑陸別・725D到着直後
陸別駅池田方
↑陸別駅池田方
 天候は最悪の大雨。報道でも言われていたが、廃線の悲しみや怒りがこの大雨となっているのだろうか。
 乗客を降ろした後、車両をホームにかからない位置まで移動した。1番線をゆっくりと池田方に向けて走り出す。歩みを止めたところで留置体制をとる。運転手さんが輪止めをする作業を多くの方々が見守っていた。
陸別・725D移動
↑陸別・725D移動
陸別・725D留置
↑陸別・725D留置
 陸別駅待合室の窓には「さよならそしてありがとう銀河線」の文字が掲げられた。夜になって暗闇に浮かぶその文字は寂しさを感じさせる。
 ここで私の撮影は終了。そして運行最終日の銀河線を取材する活動も終了となった。最後に駅を出て、ふと辺りを見回すと気になるものがあった。工務区の隣にある陸別町の消防署駐車場には翌日の運行に備え十勝バス4両、北見バス1両が待機していた。これが明日から大活躍するのだろう。

 銀河線は廃線になる。鉄道がなくなるというのは町の財産のひとつがなくなったのと同じこと、だと私は思っている。実際に廃線によって寂れた町は数多くある。そこのところ、廃線を決断した北海道はしっかりと自覚してほしい。そして各市町村は廃線に負けないような町づくりをしてほしい。
陸別・待合室
↑陸別・待合室
陸別・代替バス
↑陸別・代替バス


◎あとがき◎

 陸別では最終列車の725Dが到着する前の22:00ころから約1時間、大雨の駅構内を撮影していた。当然のことながら合羽を着てきたが、全身ずぶ濡れになった。撮影中は意識していなかったが、車に戻るとすごいことになっていたことにようやく気づいた。車の暖房を全開にし、若干の休憩を取り23:00に陸別を出発した。翌日は仕事が通常通りあるため、3時間ほどで釧路に帰り、5時間睡眠の後出勤という算段を立てていた。この時、こんな災難が待ち受けているとは思っても見なかった。

 陸別を発ち、足寄の道の駅にてしばし便所休憩。そして本別の市街地に入ったところで、第一のルートが断たれた。本別から白糠に抜ける国道274,392号線が通行止めとなっていた。この道は雨に弱く、この天候では想定内だった。本別〜白糠のルートは早々に諦め、池田へと向かう。

 この後は池田、豊頃、浦幌を経由し釧路に至るルートへ変更した。池田の市街地を通るとき、不穏なものを見てしまった。池田駅の裏を走っていると、1番線にキハ283系が停まっていた。もちろん定刻ではありえない時間だ。この日は特急のダイヤも乱れていたようだ。道道73号線を順調に走り豊頃、浦幌と進む。浦幌の市街地に入る前、第二のルートを断つ知らせが目に入った。国道38号線の釧路市音別町付近で通行止め、これはさすがに参った。
 路肩に車を停め、ルートをあらためて練り直す。この先「いかに早く帰るか」ではなく「どうやって朝までに帰るか」を考えることにした。選択肢は音別町の通行止め解除を待つか、それとも釧路市阿寒町経由の遠回りをするかだ。かかる時間、燃料の残量、体力等を考慮し、結論は“阿寒町経由にて帰る”こととした。

 この行程で足寄〜池田間を往復することになったが、その途中では廃線後の処理がすでに進められていた。新聞等でも報道されたいたが、真っ先に始まっていたのが踏切の撤去作業だ。大雨の中、作業員の方々が踏切の支柱を土台からはずし、トラックへと積み込んでいた。つい数時間前まで汽車が走っていたはずなのに、まるで別世界にいるような不思議な感覚に襲われた。

 先ほど通った足寄まで戻り、ここから国道241,240号線を通り、釧路へと向かう。やはり国道38号線の代替ルートであることから、通行量は結構あった。足寄峠を通り、阿寒湖温泉を通過。まもなく釧路へ向かう国道240号線(通称「まりも国道」)と弟子屈へ向かう国道241号線(通称「阿寒横断道路」)の交点が近づく。が、この交点で絶望の「釧路市阿寒町付近で通行止め」という表示を発見。第三のルートも断たれてしまった。
 参ったどころの話ではない。このままでは通常通りの出勤もままならない。燃料の残量も気になるところだ。大きな都市では24時間のガソリンスタンドがあるが、無論この辺りにあるわけがない。結論は「阿寒横断道路」を通り弟子屈、標茶経由釧路行き。

 対向車はほとんどない。深夜の横断道路は初めて、というか横断道路自体2度目の走行となる。しかも全く予期せぬ走行だ。燃料の残量を気にしながら、エンジンの回転数をなるべく低く抑えるようにする。真っ暗な道を車の前照灯を頼りに弟子屈へと向かう。
 弟子屈に近づき、釧路方面への道を探す。ところが走れど走れどなかなか見つからない。これは迷った。「こんな時に・・・」と呟きたくもなる。一度足を止めて地図を広げ、なんとか弟子屈を脱出する。標茶を抜け、釧路町に入る頃には空が白んできた。釧路の自宅に到着は4時半ころであった。

 陸別からの走行距離は340km、時間にして5時間半ほど。これは釧路〜札幌間の走行に匹敵する距離だ。ふるさと銀河線の廃止に立ち会ったのはもちろんのこと、帰りの行程も含めてとても印象に残った日であった。廃線跡を見るたびに思い出すことだろう。

* * お わ り * *

トップページふるさと銀河線の話廃線前後の動き > 2006/04/20(その2)

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください