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三江線よ永遠なれ

伏見簡裁の項 で買った18切符常備券、残りが3日分になったのでこれを用いて三江線に乗り、下関で魚を食い、北部九州を攻めて夜行バスで帰還するという遠大な計画を立てた。

同行者はいよいよ学位取得が確実となったIである。といっても彼は忙しいので、下関で離脱するのだった(結局小倉になった)。

今回の旅行記もなるべく日にちを分けて書くも、あいかわらずPCの挙動が不安定なので、写真が少なくなると思われますがご容赦ください。

8月22日(月)
大変暑くなりそうな予感のする真夏の朝、大阪駅に8時過ぎに着いた私を待っていたのはJR神戸線の遅れだった。

早めに駅に着くことができ、1本前の12分の姫路行きに乗れたと喜んだのもつかの間、車内放送も何もない中25分遅れて列車は出発した。
三宮までは激混み、神戸を過ぎてようやく座る。
準備に手間取り前日は午前3時過ぎに寝ていたのできつかった。

姫路では予定の列車が接続を取ってくれていたので、ここからは計画通りに進む。相生で下車し、2000円強払ってワープと言う軟弱な行為をする。
ネットでは駅前に金券ショップの自販機があると言うので、暑い中キャスターを引っ張って出向くも、大阪方面の切符しかなく徒労に終わった。


こだま737号で岡山へ。わずか11分で着くのは流石だ。
レールスターといえど、自由席は2+3配置だったことを知った。

岡山からは三原行き。115系赤ヘル電車が来る。赤ヘルとはブント(共産同)ではなく広島東洋カープのことである。ちなみにカープはこれを書いている年、25年ぶりに優勝し広島市街は狂乱状態だったそうである。
並んだお蔭で2人がけの窓側に座れた。ここから三原までは睡眠不足の影響もあって爆睡。


12時45分に三原に着く。実はちょうど同じ列車にIが乗っていたことが後ほど判明する。
Iとはこの日の19時に広島で合流する予定だったのだが、呉線安浦駅にあるコンクリート船武智丸を見るために、私の乗る1本前の呉線広行きに乗ったのだった。

三原駅のガード下にある大阪居酒屋で昼食を済ませた私は、珍しく観光列車に乗ろうと13時30分発の快速「せとうちマリンビュー」の指定券を前日に入手しておいたので、それに乗る。呉線は電化路線だが、キハ47の2両編成を改造した物が使われている。


↑呉駅で撮影したマリンビュー号                            ↑指定席車両の車内。クーラーと扇風機は原型をとどめている。


↑海側のボックス席。テーブルが大きい。                      ↑ロングシート部分はフリースペースに改造され、船を思わせる丸窓がある。


↑こういう飾りも各所にある                               ↑山側はソファーになっている。海側を頼んだのにこの座席になった…

指定された席は車両前方のソファー席であった。他にその一角に客はおらず、ソファー一人占めとは気分がいい。指定席車両自体もそこまで混んでおらず、各ボックスに1グループという感じでほどよい埋まり具合である。自由席は立ち客も出るくらい混んでいたので、指定券をケチらなくてよかったと思った。
夏休み中は毎日運行しているゆえ、時間を覚えた地元民が快速列車代わりに使っているようである。


↑2号車自由席は普通のキハ47とあまり変わらない。扇風機がお洒落になっている。↑Iが訪れた武智丸付近。

ソファー席は進行方向左手にあり山側だが、座ると海が見える設計になっている。向かいのボックス席は誰も使っていないらしく、オーシャンビューを独り占めできそう…と思ったのだがある中年女の出現がそれを妨げることになった。

出発後数分して、帽子と長袖をまとった中年女が向かいのボックス席にやってきた。車掌に「冷房が利きすぎている、寒い、あんな席にはいられない」と強く訴え、私の2つとなりのソファー席からボックス席へ移ってきたのだった。そんなに寒いようには思えなかったが、エアコン直下だときついのかなぁと思い最初は同情していた。

しかし、彼女はせっかくのオーシャンビューだというのに眩しいのか、カーテンを閉め始める。ま、まて。
ご丁寧に持参したクリップでカーテンの隙間が開かないようにするという技まで駆使し、ドラキュラのように日光を避けるのだった。
結果、私の視界は閉ざされたのである…悲しい…

自律神経の機能がうまくいってないんじゃないか、ドクターハウスだったら強い当てこすりでも言って大ゲンカした挙句、女性が倒れてプリンストン大学病院に運び込まれる流れになるだろうなぁ…などと失礼な想像をしながら、ソファーを放擲しフリースペースに移ったのだった。

呉で降りて行った彼女はいったい何だったのか、観光列車らしからぬ行動は今でも謎だが、呉で降りてくれたおかげで、その後は瀬戸内を楽しむことができたのだった。

呉からは客も減り、車掌の巡回もあまりないので思い切って靴を脱いでソファーに寝転ぶ。ディーゼル音も心地よく、幸せな時間を広島駅まで過ごした。

広島駅ではコインロッカーにキャリーバックを預け、スカイレールに乗るために瀬野駅を目指す。ここで新車の227系に乗ることができた。
内装は近畿圏でもお馴染みだが、細部に違いがありピッカピカなので新鮮味がある。席はすべて埋まっていたので補助いすに座る。瀬野駅までは20分ほどであった。
瀬野の駅で下車印をもらう。駅員の名札を見ると八本松駅とあるので、管理駅があちらなのだろうと推測する。


スカイレールのみどり口駅は瀬野駅にデッキで直結している。券売機があり、片道はどの駅まででも180円だった。ICカードは使えないようで、QRコードの切符が出てくる。沖縄のゆいれーるもこの方式だと聞くが、磁気券より管理が楽なのだそうだ。


↑みどり口駅                                       ↑乗り場はゴンドラやロープーウェイのよう。

本数は結構あって、朝夕は8〜10分に1本と、下手な近郊鉄道より多い。私の乗った籠には先客で中学生が数名と、住民らしい方が数人いた。このニュータウンの足として定着しているようである。定刻になると自動放送の後にドアが閉まって発車。すこしロープーウェイのような揺れもあるが、安定した走りでぐんぐん山を登っていく。

3分で中間駅のみどり中街に着く。ここで下ってきた籠と行き違う。帰路に途中下車した時に確認したところ駅員はおらず、入り口に自動改札が備えられ、出口は事由に出られる感じだった。

道中は大変見晴らしがよく、多摩都市モノレール以上だった。家が全部新しく、谷の方に山陽本線が確認できる。

↑窓からの景色                                      ↑みどり中央駅から。かなり緑もある。

終着のみどり中央駅には、遠隔操作の制御室や籠の整備場もあり、スカイレールサービスの本拠地という感じがした。



ぶらぶらした後、折り返しの列車でみどり中街へ。この中間駅での乗降もそこそこあるようだった。


↑高低差が激しいので、駅の出口もこの通り登らされる入り口と、道路に面して直結した入り口の2つが存在する↑


↑右が出口、左が入り口。一応監視カメラがあるから、良い子のみんなは切符を買ってきちんと左から入ろうね!

再び籠に乗り、瀬野駅まで降りてくる。登るときは帰宅の制服学生が多く、下るときは広島に出かけるっぽい私服学生がいた。1乗車180円だが、定期を持っていれば乗れば乗るほど元が取れるので、ガンガン使うのだろう。
以前は、朝には小学生専用列車もあったようである。

スカイレール完乗と全駅下車を果たした後、新白島駅訪問を果たすために広島方面の列車に乗る。今回は新車ではなく、113系であった。転換クロスに換装されてはいた。25分でピッカピカの新駅に着く。JRは2面2線の対向式ホームが向かい合う構造。ホーム下に空間がある、どうも平成の安っぽい建築である。快速は停まらない。みどりの窓口があるものの、1人しか駅員がおらず窓口の客と改札の対応に右往左往していた。申し訳なく思いつつも、下車印をもらう。

ここからはアストラムラインに乗り換えてみる。アストラムの駅は意匠がこだわっており、斜めに切った筒が地面にかぶせてあるような建物で、ここを境に地下から地上に出るようである。西日本一帯に金をかけなければならないJRと、広島市をバックにした都市新交通の違いが垣間見える。

↑ヨーロッパの駅のようだ

アストラムラインは帰宅客でかなり混雑していた。開業から12年、しっかり住民の足として定着している。このアストラムライン、本通から県庁前までは地下鉄として建設されているので、広島市にも地下鉄が存在することになっている。
夕暮れの広島市内を走るアストラムライン。高架なので見晴らしがよいが、混んでいるので途中はあまり景色が楽しめなかった。可部線との接続駅である大町駅で下車する。
可部線は初乗りで、てっきり複線電化と思いこんでいたのだが、降りてみると単線であった。まるで名古屋近傍の関西本線である。2両編成が大半なのもそっくりだ。こちらは並行路線がないのだから、もっと投資すれば…と思わなくもない。現実には家が立て込んで拡張や改良が困難なようである。
なお大町駅でも駅員1人がみどりの窓口の行列を捌くのに手一杯であり、私の18切符を目視して通すのがやっとだった。さすがに下車印は貰わなかった。
こういうワンオペ何とかならないのだろうか。かりにも政令指定都市の乗り換え駅なのだし…。

↑大町駅。ホームは1面1線で狭い。奥の高架がアストラムライン。新型が来た。

乗ってみると太田川のかなり際を走る場面もあり、昨年の水害が思い起こされた。途中2本の列車と行き違いをして、どちらもかなり混んでいたので、改良工事は不可避だろうなぁと思う。仙山線にも似た雰囲気がある。

横川で下車してみる。本線と可部線が少し離れた構造になっている。
地下道で各ホームが繋がっていた。下車印をもらい外に出ると、大きな覆いが駅前に被さる。広電の乗降場が改札の目の前にあり、アクセス抜群である。


↑横川駅。改札が少し手狭な感じがした。                      ↑広電のホーム。江波行きが待機している。

横川で駅前のダイソーに寄り、硬質カードケースを買う。旅行中に集めたポケット時刻表や切符をここに保管し、無事持ち帰ろうと考えたのである。これは正解で、折れ曲がらずに戦利品を持ち帰ることができた。

夜7時に広島駅に戻り、Iと合流する。キャリーバックを回収し、折尾に住む先輩への土産を買ってからお好み焼き屋へ。各々の道中の話などをする。

早めに食事を終え、芸備線のホームへ。自販機があると思っていたが無く、水を買うためIに荷物を任せて地下へ。実は地上の方が売店に近かったので、これはミスであった。買っているうちにみよしライナーが入線してしまっていた。なんと10分以上前の入線である。Iのおかげでボックス席は抑えることができたが、申しわけない。


↑キハ40・47で堂々の4両編成。快速表示も誇らしげ。             ↑LEDに換装されていた。

快速と言っても、帰宅客の需要を満たすため下深川までは各駅に止まる。往年の急行「みよし」を彷彿とさせる走りはここから。一気に志和口まで飛ばし、20時43分に着く。ここまでで広島からの客の殆どは下車する。ちなみに芸備線のICOCA北限は狩留家で、この快速は停まらない。

三次には21時22分に到着。普通列車より20分以上早い。


予約のホテルα—1は駅から10分ほど。部屋から三江線の線路と芸備線の線路が見えた。ホテルからコンビニへの道中、三江線の下をくぐる。翌日への期待が高まった。
なお三次に着いたことをtwitterに書いたところ、島根出身の後輩に捕捉された。以前「三江線に乗った事があるか?」という問いを匿名ask.fmでその後輩にしていたゆえであるが、まあ三江線乗りに来る人間なんて身近にいないだろうしなぁ。松江の民であったその後輩は、乗った事はおろか、そもそも西部にはあまり行かないとのことであった。

つづく

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