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津山・美作訪問記

平成28年7月24日、私は友人Hと共に津山市を訪れた。 伏見簡裁の項目 で手に入れた18きっぷを使った日帰り旅行のためである。

Hとは去年の夏に同じく18きっぷで福井の三国と芦原温泉を旅行しており、今年もどこかへ行こうという話から、彼の親の故郷で彼自身幼少期を過ごした津山へ行く運びとなった。

朝8時30分に大阪駅を出て、1時間ほどで姫路へ。新快速の速さを思い知らされる。

姫路では10分ほどで姫新線の列車に接続する。いつも見るだけだったキハ127に乗ることが出来て感動する。この車両は沿線が金を出して投入されたのだという説明を、非鉄ヲタであるHに話す。同じような18きっぱーが思ったより多くいるのと、播磨新宮までは非電化ながら姫路の近郊輸送を担っていて利用客が多いので座れるか心配だったが、幸い2人がけの転換クロスに座ることが出来た。


↑電車にも見えるので現代的な姫路駅にも違和感が無い            ↑播磨新宮駅。佐用行きもキハ127であった。

播磨新宮での乗り換えもスムーズ。多くが乗り継いだのでこちらでも焦ったが、同じくキハ127の2両だったので難なく座れた。ワンマンとの表示があるのに車掌が乗り、検札を行う。ICカード(播磨新宮以降は使えない)利用者がちらほらいて、精算に手間取っていた。そうした客は若い女性客が多く、皆とある途中駅で降りて行った。臨時のハイキングイベント(街コン)だろうか?

のんのんびより的風景を愛でながら、30分ほどで佐用に着く。元兵庫県民のHもここへはなかなか来ないという。智頭急行からきたスーパーはくとやスーパーいなばが行きかう中、我々はキハ120の単行に乗る。18きっぱーとの席取り合戦に負け、ロング部に座る。座れただけでもよしとする。


↑佐用駅は少し小高くなっている。奥のホームが智頭急行用。駅前には町役場があった。

スーパーはくとの車両HOT7000系は兵庫・岡山・鳥取の頭文字をとったものだ、などと再びヲタ知識を披露する。ふんふん聞いてくれるHは非鉄の鏡。

佐用から先はカーブも増え、速度も少し落ちる。線路の際まで木々が生い茂り、夏を感じる。

ディーゼルエンジンの音も心地よく、田舎に来たなぁという思いを強くする。1時間ほどで目的地津山へ。のんのんびより的風景が続いたせいか、津山市街が都会に見える。Hは思っていたより寂れているとの感想を残し、田舎に行きまくっている私の都会基準がだいぶ緩くなっていることを感じさせる。


↑着きました。                                       ↑津山駅。赤茶色の瓦屋根が特徴的。駅前は整備中(左に新しいバス乗り場あり)


↑駅前には何と鉄道模型店が。隠れた需要があるのかな?           ↑観光案内所の前に新しくなったバス乗り場。

観光案内所でマップを仕入れ、ひとまず昼食を食べるためにホルモンうどんの店を探す。事前に調べてきた「東宝」というお店を迷いつつも見つけたが、残念ながら本日休業であった。

そこで、吉井川を渡り、津山市街地に入る。明治時代に新しく開業した鉄道は、用地がなかったことからどこも町はずれに作られていて、ここ津山も例外ではない。橋からは天満屋の建物など津山の町並みがよく見える。


↑津山市唯一の百貨店はよく目立つ

橋を渡ったところには法律事務所があり、法曹増員を感じる。裁判所からはちょっと距離があるはずなのだが。
しばらく歩くとアーケードの入り口があったので入ってみる。立派な商店街である。シャッターが下りている店が多いが、きっと日曜日だからだろう(好意的な解釈)


Hの親類は青果商を営んでいたようで、アーケードの中に店があったそうである。

そんなアーケードの中でもなかなかホルモンうどんの店は見つからず、結局アーケードを出た先の居酒屋「Dai黒もつ鍋屋」に入る。

↑ホルモンうどん。                                    ↑ヨメナカセというおつまみ。牛の大胸筋だそうである。

Hの親曰く、ホルモン自体は有名だったが、「ホルモンうどん」というメニューは昔はあまり無かったそうで、電通あたりのマーケティングの存在を感じる。
ヨメナカセという品名が気になったので、頼んで食べてみたが、心臓に近い筋肉だけあって少し血生臭さがあった。独特の味で美味しかったが。語源は精力が付いて夜はお嫁さんが泣くくらい大変…という下世話な話ではなく、下処理が大変で家事を担ったお嫁さんが苦労して泣く、というところから来ているらしい。
かなり精力が付きそうな味がしたのだが。。

こういう品名も、いずれは当たり障りのない名前に変わりそうだなぁと思った。

2人で2000円ほどと、なかなかお手頃価格で美味しいお店だった。トイレが和式だったけど。

店を出て、いよいよ津山城址へ。10分ほど歩き、金融街(信金本店と中国銀行支店、山陰合銀支店がある)を抜けて鶴山公園に着く。
入り口の観光センターでお土産の十萬石と、津山朝日新聞、B'z稲葉浩志の寄稿文が載る市政要覧を買った。津山朝日は入手できないと思っていたのでうれしかった。


↑入り口にある観光センター                              ↑さっそく登場する石段に心を折られる

石段を登りきったところからしばらく右に歩くと、公園入り口があるので、300円の入園料を払い、園内へ。
ほんとうに城跡という感じで、建物の復元は最上段の櫓くらいと、途中に学校に使っていた幕末からの建物が残るくらいだった。桜がたくさん植わっており、春のお花見スポットになっているという。

石段と格闘しつつ、登るにつれて津山駅方面への見晴らしがよくなっていく。ちょうど数日前に配信されたポケモンGOをやる人がちらほらいる。鶴山公園内にもポケストップが何箇所かあった。さすが。

最上部の櫓は2階建て。最近復元されたばかりのようで、内部は綺麗であった。係員もおり、よく管理されている。中では津山城の紹介DVDが流れ、「鶴山(つるやま)」から「る」が抜けて「津山(つやま)」になった事を初めて知った。確かにつるやまよりは呼びやすいか。


↑茶室もある。実際に使えるのかな?                        ↑日本史で習うよね違い棚。書院造。


↑2階にある謁見の間みたいな場所。将棋指しのHが「ここで対局したい」との感想を漏らす。↑2階からの眺めもなかなか良い

畳敷きの環境が懐かしく珍しく、つい寝転がりたい衝動にかられる。

櫓を堪能してから、天守閣跡に登る。

↑津山市街地を見下ろす。こちらは西の方                      ↑これは北西方向。手前は文化会館。

頂点を極めた後、発掘現場の脇などを通り過ぎながら北にある裏門へ出る。裏門の手前にもポケモントレーナーがいた。

ここからは津山高校を目指す。Hの親の母校であり、文化財の建物があるという。10分ほどで到着。途中の県道394号の交通量に驚く。


↑連続テレビ小説のロケにも使われた立派な建物                 ↑今は使われていなさそう

通用門が開いていたのでお邪魔して、近距離から建物を愛でた。1900年に旧制津山中学校舎として建てられたそうである。校舎裏には池などもあり、大変風情がある。
滋賀の豊郷小学校はアニメに出て以来巡礼先とされ落ち着きがなくなったが、連続テレビ小説では幸か不幸かそういった効能は見られないようで、見学者は我々しかいなかった。平日にはどうやら内部を見学できるような雰囲気であった。
津山高校自体は、近年中学校が併設され、地方に増えてきている公立中高一貫校になっている。そのための建物がこの旧建物の隣に建てられており、色合いを似せて調和をとろうとしていた。


↑手前が新しい校舎。奥が文化財の旧本館。地方有力校ゆえSSH指定校だ。↑なぜこんな継ぎ接ぎっぽくなってしまったのか

日曜なので生徒はグラウンドにいるサッカー部員くらいしかおらず、とくに誰何されることもなかった。図工教室や吹部ポスターに高校時代を思い出す。私の母校はオケ部だったが。自販機でお茶を買ってから退散。

高校を訪ねた後は、もはや恒例となっている裁判所訪問である。津山高校から数分のところに岡山地裁津山支部があるのだった。

裁判所の方へ歩くと、先に地検支部に遭遇した。平屋建てという建物のしょぼさにコメントを失う(失礼)。

↑日曜なので気兼ねなく撮影できる                          ↑掲示物は覚せい剤と侵入用具の還付だった。絶対名乗り出ないと思う…。

「これだけ小さいと庁舎見学15分で終わりそう」「裁判員裁判は本庁行かなきゃだめでしょ(正論)」など遠慮のない言葉が飛び交う。日弁連の資料によればさすがに非常駐ではない(副検事だけでなくちゃんと検事がいるっぽい)ようだが。その代わり?、隣の新見(人口5万程度)は非常駐だそう。

地検の裏(南側)に裁判所はある。さすがに検察よりは大きい。しかし単独庁らしく、最近提訴されたJAつやまの残業代支払い訴訟は額が大きいと本庁に移送された模様である。

帰宅してから調べたところ、平成元年4月1日から合議非取扱庁になったそうである(「地家裁支部の適正配置の実施について(服部悟)」ジュリスト954号61頁)。
廃止直前の5年間(昭和58〜62年)で民刑合わせて平均7件しか処理していなかったそうなので、単独化もやむなしといえようか。


↑3階建てとなかなかの大きさ                             ↑特に耐震補強の後も見当たらない。最近の建築かな?

こちらも裁判官が2名常駐しているようである。掲示板に満州国の住所の入った公示を見つけた。

裁判所の前の道は狭く、大きな事件でメディアが集まったりすると大変だろうなと思った。ちなみに近くに山陽新聞と山陽放送の支局がある。

裁判所の前の道を下り、再び県道394号に出会う。それに面して建つ大きな日本家屋に「弁護士法人」の文字があった。

↑県道に面しているのでちょっとうるさそう。

大学時代、大分から来た女の子がいたが、彼女いわく大分の弁護士はみな豪邸に住んでいるそうで、だいたいこんな感じなのだろうか。自宅開業まではしていないかもしれないが。
ワンルームマンション弁護士がいる関西とちがって、まだ余裕があるのかもしれない。
Hは将来自宅開業してのんびりやりたいと言っていた。究極の職住接近だが、居心地はどうなのだろうか。

県道を渡り、県の出先機関なども見ながら、再びアーケード街へ。天満屋の入るビルに行き、アイスクリームを食べて休憩する。日曜なのに天満屋は閑散としていた。大丈夫だろうか。

駅に戻り、16時30分の佐用行きで林野駅へ。湯郷温泉に立ち寄るのである。
今度もキハ120単行で、席がすべて埋まり立客も出るほどだったが、次の東津山で少し入れ替わる。その東津山駅からは中国道のインターとピッカピカのでかいイオンが見え、天満屋に客があまりいない理由が理解出来た。

25分ほどで林野駅に着く。1面1線ながら、美作市の玄関口で駅舎もあり、簡易委託駅である。地元の学生2人のほか、湯治客らしい外国人数人も降りた。


↑走り去っていくキハ120。次に乗る列車まで3時間ある。             ↑昭和を感じる駅舎


↑駅前。商工会議所やタクシー会社がある。コンビニはなさそう。         ↑駅舎入り口。手洗いは駅左の別棟にあった(帰りに撮影)


↑駅舎内。窓口営業は朝9時から夕方5時まで。                  ↑売店は無いが自販機ならある。夏なので虫がいっぱい…

着いた時はまだ窓口が開いていたので、こういう駅にはあるだろう常備券の乗車券( 参考 )を記念に買って行こうと思い、常備券は無いか尋ねたところ、18切符の常備券と勘違いされたようで、「在庫になっちゃうから、西が引き揚げたんだよね…。ネットにはここで売ってるって書いてあるみたいだけど…。ごめんね」との返事が来た。簡易POSっぽいパソコンがあったので常備の乗車券も無さそうな雰囲気であった。人当たりの良い朗らかな職員であった。

ちょうど駅前に来たタクシーに乗り、温泉を目指す。道中、常備券の話をHにしたが、非鉄にとってはやはり理解が困難なようであった。無理もない。
10分ほどで観光案内所に着く。料金は950円だった。

観光案内所では話し好きのおばさんに、お薦めの日帰り浴場を尋ねる。
広島弁に似るという津山方言を話すおばさん(「○○じゃけぇ」と言う)に、日帰り温泉施設「湯郷温泉館」の他に、安く入れて(500円!)若者に人気という「かつらぎ」や「にしき園」を教わる。また、「美春閣」という宿は規模も大きく混浴!があるそうだが、そちらは車でないと行けない場所にあるそうである。

そこで、ひとまず「かつらぎ」に向かう。道に迷いつつも着いた先には、都会のお洒落カフェか現代美術館のような建物の「KATSURAGI(かつらぎ)」旅館があった。

↑和モダンな宿、だそうである                              ↑隣のレストランもおしゃれ

1人800円(500円+貸しバスタオル200円+ミニタオル100円)を払い、男湯へ。
日曜の夕方だからか、風呂は殆ど貸し切りであった。もっともそれほど大きくは無く、脱衣所も10〜15人が最大のようであった。しかし露天風呂から足湯まで一通り揃い、実質貸し切りゆえ大変よい。
露天風呂でだらだらしつつ、品の無い話などで盛り上がる。これが裸の付き合いというやつか。

1時間半ほどのんびりし、夕食を採ろうと宿を出て店を探す。温泉街ゆえ、かえってお店が見当たらない。「湯郷温泉館」近くにようやくラーメンの幟を見つけて入る。「ふる里」というお店だった。中では地元民らしいおじさんが2人先客でいた。

↑あごだしを使った正当派中華そば。650円。おいしかった。

店主が奥にいるようで、奥さんらしき人がテレビを見ながら接客をしていた。「衝撃映像」系のバラエティ番組を素直に面白がって見ており、ニコニコ動画に毒されすぎた自分からすると、「こういった純朴な人がおるんやなぁ」と新鮮であった。

ラーメンを食べ終わると時刻は19時20分過ぎ。そろそろタクシーを見つけて駅に戻らねば、55分の最終(!)佐用行きに間に合わない。
しかし流しはなかなか見つからず、観光センターもすでに閉まっていた。そこで、一番大きそうなホテルに飛び込み、フロントでタクシー会社の電話番号を聞き、Hが電話して呼び出してなんとか乗ることができた。行きのタクシーに19時30分に迎えに来るよう頼んでおくべきだったなぁと反省する。

駅には19時45分に着く。周辺はすっかり日が暮れ、都会になれた我々はその暗さにビビる。


近くの山に大文字焼きが浮かんでいた。

帰りのキハ120はさすがにガラガラで、同業者(18きっぱー)2人と地元の学生らしいの2人程度だった。温泉で気持ちよくなったので直角セミクロスなのに寝てしまい、首が痛くなった。30分で佐用に着き、ここからは智頭急行でショートカットし上郡へ。智頭急行初乗りである。このルートはHが検索で見つけてくれたものである。


↑智頭急行の車両                                    ↑転換クロスシート装備車に当たって嬉しい

智頭急行はさすが鉄建公団。線形もよく、気動車はエンジンをフルで飛ばす。客も少なく、転換クロスシートと軽快な気動車の走りを堪能する。
20分で上郡に着く。

上郡では20分ほど待ち時間があったので、コンビニに行こうとしたら駅から800メートルのセブンイレブンが最寄りなので諦めた。自販機でコーヒーを買い、貨物の通過を眺めたり、貼ってある備品シールからベンチの値段が16万9900円もすることを割り出しながら過ごした。車で親子連れが駅のポケストップにアイテムを採りに来ていて微笑ましかった。

↑駅前。学習塾はあれどコンビニは無い。健全!                       ↑ここまでくると本線でも有人改札。ICOCA?知らない子ですねぇ

21時21分の姫路行きは末期色真黄色113系が来た。山陽本線ゆえそこそこの乗車率だがドア横の2人がけに座れた。姫路には21時54分に着き、3分接続でホーム向かいの野洲行き新快速へ。前方の車両が比較的空いていたので、ここでも2人がけの席に座れた。乗り慣れた223系なので、もう帰ってきたも同然である。

おわり

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