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国鉄特急 |
<本州>
出雲〔IZUMO〕PC特急 ブルートレイン 2008年4月8日更新 2012年10月8日更新( 写真追加 ) 2012年12月4日更新( 写真追加 )
東京と山陰を結んでいた寝台特急、運転区間は東京〜浜田間と東京〜出雲市間の2往復設定されていました。出雲は新幹線が岡山まで開業した1972年3月に急行出雲から特急に格上げされ、20系が使用されブルートレインの仲間入りをしました。1978年10月改正では、同じ山陰のブルートレイン いなば が出雲に愛称が統一され、2往復体制になりました。
写真は、EF65牽引の寝台特急出雲です。牽引機はEF65 500番台、EF65542[東]、列車は上り出雲2002レ、新橋駅付近にて、1967年5月にTakazawa様が撮影された貴重な写真を掲載しています。
特急<出雲>EF65 542 新橋駅付近にて 1967年5月Takazawa様撮影
写真は、20系寝台特急出雲です。車両は20系ナハネフ22、新橋駅付近にて、1967年5月にTakazawa様が撮影された貴重な写真を掲載しています。1975年10月からは20系より24系に置き換えられました。
特急<出雲>20系 新橋駅付近にて 1967年5月Takazawa様撮影
写真は梅小路機関区で撮影した出雲、を牽引するEF65512、1976年1月に撮影、出雲は京都から山陰本線に入りますが、東京から牽引してきたEF65は、ここでDD51に牽引を譲るため、梅小路蒸気機関車館の前の留置線で待機している姿をよく見ました。
特急<出雲>EF65512 梅小路にて 1976年1月撮影
特急<出雲>のヘッドマーク 梅小路にて1976年1月撮影
上の写真は出雲大社の赤と湧き出る雲をイメージした出雲のヘッドマーク。下の写真は山陰本線の餘部鉄橋を渡るDD51牽引の出雲下り3号です。
餘部鉄橋を渡る特急<出雲> 1979年5月撮影
写真は、東京駅で出発を待つ出雲です。1982年5月3日、東京駅にて、デジアナ様が撮影された写真を掲載しています。1978年10月1日より、出雲はいなばから名称変更され、 紀伊 と並結の1往復も加わり2往復体制になりました。従来からの出雲1、4号の東京〜京都間の牽引機は、EF65 500番台からEF65 1000番台になり、新設の出雲2,3号の東京〜京都間の牽引機はEF58が投入されました。この出雲2,3号は、1984年2月1日に、紀伊の廃止に伴い、単独運転となり、これと同時に牽引機はEF65 1000番台になりました。
特急<出雲>EF65 1000番台 1982年5月3日 東京駅にてデジアナ様撮影。
下の写真は、牽引機が、一時期、京都駅の東側引込み線で、留置されたいた頃の貴重な写真です。1988年4月16日にデジアナ様が撮影された写真を掲載しています。
特急<出雲>EF65 1106 1988年4月16日 京都駅にてデジアナ様撮影。
写真は、山陰本線、城之崎〜玄武洞間の円山川沿いを走るDD51重連の出雲です。1992年5月4日に、デジアナ様が撮影された写真を掲載しています。
特急<出雲>DD51重連 1992年5月4日 城之崎〜玄武洞間にてデジアナ様撮影。
写真は、山陰本線の電化工事中に、山陽本線、伯備線経由で一時運転されていた時の出雲です。更に通常は撮影が不可能な時間帯に神戸付近を通過するものが、大幅な遅れで、撮影が可能となった非常に貴重な写真です。1994年9月18日、デジアナ様が撮影された写真を掲載しています。
特急<出雲>元町駅にて 1994年9月18日 デジアナ様撮影
写真は、山陰本線、餘部〜鎧間の餘部鉄橋を渡る出雲です。2005年7月21日に、デジアナ様が撮影された写真を掲載しています。山陰本線、京都以西は、当初、DD54が牽引し、1975年3月10日以降は、DD51となり、山陰本線が一部電化された後もDD51が、牽引しました。この餘部鉄橋も架け替え工事が本格的に始まり、まもなく姿を消していく事になります。
特急<出雲>DD51 2005年7月21日 餘部〜鎧間にてデジアナ様撮影。
1997年7月には東京〜出雲市間の出雲が伯備線経由で新造285系に電車化され愛称もサンライズ出雲に改められましたが、東京〜出雲市間の出雲は一往復が残りました。その後、2006年3月18日には、この残っていた出雲も他のブルートレインと同様に乗客の減少により廃止されました。
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