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国鉄特急 |
<本州>
日本海 〔NIHONKAI〕 PC特急 ブルートレイン 2004.4.1修正 2012年1月6日更新 2012年3月18日更新( 写真追加 ) 2012年10月8日更新( 写真追加 )
大阪と北海道を結ぶ超有名寝台特急。運転区間は大阪〜青森間で、運転経路は東海道本線、湖西線(1975年3月以降)、北陸本線、信越本線、羽越、奥羽本線で日本海側を縦断し、青森に達していました。大阪より青函連絡船を介して北海道へ向かうブルートレインとして、人気、知名度とも高く国鉄を代表する寝台特急のひとつでした。日本海は1968年(43年)10月の改正で 急行日本海 から格上げされ、20系のブルートレインとして大阪〜青森間に新設されました。
写真は、青森駅で出発を待つ急行時代の日本海です。牽引機はDF50567、列車は上り502レ、1963年4月に青森駅にて、Takazawa様が撮影された貴重な写真を掲載しています。詳細は 急行日本海 に掲載しています。
急行<日本海>DF50567 青森駅 1963年4月 Takazawa様撮影
写真は向日町運転所内で待機する日本海を牽引するEF58118、1974年9月に撮影。関西地区の寝台特急では1972年10月より往年の名機EF58が復活し、又1975年3月改正までは、写真の様にヘッドマークが取り付けられていました。1975年3月改正以降は、湖西線経由となりEF81が牽引する様になり、ヘッドマークも取り外されました。
日本海の愛称は、日本海側を縦断する寝台列車として、非常にふさわしく、ヘッドマークも日本海の青と、星空の青が、シンプルにデザインされており、当時から最も好きなブルートレインでした。
特急<日本海>EF58118 向日町運転所にて 1974年9月撮影
下の写真は、こーちゃん様が撮影されて1968年10月頃の特急日本海です。急行から格上げされ、日本海縦貫線の初の20系寝台特急として、登場したばかりの日本海で、写真では、寝台がA,B寝台になる前の2等寝台の表示になっています。昭和44(1969)年5月10日には、等級制の廃止が行われ運賃のモノクラス化が行われ、1等寝台がA寝台に2等寝台がB寝台となりましたので、それ以前の貴重な写真です。又車両は、ナハネフ20で、20系初期の座席車ナハフ20を寝台車に改造したものです。車掌室の窓が、曲面ガラスではなく、平面ガラスの継ぎ合わせになっています。
大阪駅に停車する特急<日本海>20系ナハネフ20 1968年10月頃 こーちゃん様撮影
下の写真は向日町運転所で撮影した20系日本海の編成、1974年9月撮影、この20系の編成は、1975年3月の改正で、14系寝台車に置き換えられました。又この改正では、14系座席車による1往復(季節運用)が増設され、合計2往復となりました。
特急<日本海>20系カニ21 向日町運転所にて 1974年9月撮影
下の写真は大阪駅で撮影した日本海、20系ナハネフ21、1975年5月撮影。この時の日本海の最後尾は、ナハネフ21が、連結されており、曲線のナハネフ20(又は22)、切妻貫通のナハネフ21(又は23)は好対照であり、20系客車の魅力のひとつでした。これに対し14系は、魅力に欠け、14系の日本海の写真は、ほとんど残っていません。
特急<日本海>20系ナハネフ21 大阪駅にて 1974年10月撮影
画質は悪いですが、大阪駅に到着すEF58、ヘッドマーク付き日本海、車両は、EF58 78+20系です。1974年10月撮影。
大阪駅に到着する特急<日本海>、EF5878 1974年10月撮影
下の写真は宮原区で撮影した日本海14系編成です。日本海は1975年3月改正で、20系より14系化されました。画質は悪いですが、14系時代の唯一、撮影した1枚です。又、この改正で、向日町より宮原区に担当が変わりました。バックには旧型客車などの姿も見られます。
特急<日本海>14系 宮原にて 1975年5月5日撮影
下の写真は大阪駅に到着した14系時代の日本海です。1975年頃、Toyoshima様が撮影された貴重な写真を掲載しています。
特急<日本海>14系 大阪駅にて 1975年頃 Toyoshima様撮影
下の写真は、特急まつかぜと並ぶ14系日本海です。1976年2月にデジアナ様が、大阪駅にて撮影された写真を掲載しています。
まつかぜと並ぶ特急<日本海>14系 大阪駅にて 1976年2月 デジアナ様撮影
下の写真は、EF81重連で大阪駅に到着した日本海です。1977年2月11日にデジアナ様が、大阪駅にて撮影された写真を掲載しています。この頃は、牽引機はEF81で、ヘッドマークは取り付けられていませんでした。
特急<日本海>EF81重連 大阪駅にて 1977年2月11日 デジアナ様撮影
下の写真は、24系字幕時代の日本海です。1979年4月にデジアナ様が、大阪駅にて撮影された写真を掲載しています。バックにはボンネットの字幕ヘッドマークの雷鳥も見られます。その下の写真は、電源車のカニ24です。 日本海は、1978年10月2日には、14系から24系及に置き換えられました。又季節列車であった1往復24系25型(2段寝台)も定期列車となり、定期2往復運用となりました。
特急<日本海>24系 大阪駅にて 1979年4月 デジアナ様撮影
特急<日本海>24系カニ24 大阪駅にて 1979年5月11日 デジアナ様撮影
次は24系イラスト入りマークの日本海です。以下の写真はいづれもデジアナ様が1981年3月11日に大阪駅にて撮影された写真を掲載しています。
特急<日本海>24系カニ24 大阪駅にて 1981年3月11日 デジアナ様撮影
そして、24系電源車カニ24側のイラスト入りマークの日本海、及び同列車がEF81 103牽引で大阪駅に入線するシーンです。ヘッドマークの取り付けが無かった時代に、テールマークがイラスト入りになった事が、唯一の救いでした。
特急<日本海>24系カニ24 大阪駅にて 1981年3月11日 デジアナ様撮影
特急<日本海>EF81 103 大阪駅にて 1981年3月11日 デジアナ様撮影
次はEF70ヘッドマーク付きの日本海です。この写真、1984年7月26日に、敦賀機関区で開催された撮影会にて、デジアナ様が撮影されたものです。
寝台特急日本海新設(1968年10月)当初、牽引機は、直流区間の大阪〜米原間はEF65 500、米原〜田村間は、デッドセクションを通るため、DLのDE10又はDD50が牽引、田村〜糸魚川の交流60Hz区間は、EF701000番台が牽引、糸魚川以北はDD51が、牽引していました。EF701000番台は、特急日本海新設時に、高速化対応のため、EF70一般機から改造された機関車で、車番は1001〜1007、EF81牽引となる1975年3月改正まで、日本海を牽引しました。
特急<日本海>EF70 1001 敦賀機関区にて 1984年7月26日 デジアナ様撮影
次はDD51ヘッドマーク付きの日本海です。これは、1985年8月25日に、吹田機関区で開催された撮影会で、デジアナ様が撮影された写真です。日本海のDD51の牽引は、日本海新設(1968年10月)当初より全線EL(EF81〜EF75)牽引となる1972年10月改正まで、糸魚川〜青森間で行われました。
特急<日本海>DD51 吹田機関区、撮影会にて 1985年8月25日 デジアナ様撮影
次はEF81ヘッドマーク付きの日本海です。これは、1984年11月23日に、岸辺にて、デジアナ様が撮影された写真です。この時のヘッドマーク取り付は、ヘッドマーク復活に向けての試験運転的なものだった様です。その後、日本海のヘッドマークは1985年3月改正時に復活しました。
特急<日本海>EF81 岸辺にて 1984年11月23日 デジアナ様撮影
次はED75ヘッドマーク付きの日本海です。これは、1986年3月14日に、青森駅にて、デジアナ様が撮影された写真です。日本海のED75の牽引は、1972年10月改正から青函トンネル開業までの1988年3月改正まで、糸魚川〜青森間で行われました。
特急<日本海>ED75 788 青森駅にて 1986年3月14日 デジアナ様撮影
次は敦賀駅にて機関車交換中の日本海です。これは、1986年3月16日に、敦賀駅にて、デジアナ様が撮影された写真です。
特急<日本海> 敦賀駅にて 1988年3月16日 デジアナ様撮影
そして、JR以降直後の日本海です。これは、1987年4月29日に、新大阪駅にて、デジアナ様が撮影された写真です。既に車体はボロボロで、国鉄時代の酷使を物語っている様でした。
特急<日本海>カニ24 新大阪駅にて 1987年4月29日 デジアナ様撮影
JR移行後の1988年3月13日には、青函トンネルの完成、海峡線の開通により、1往復が、函館まで延長され、日本海は、名実共に本州と北海道を結ぶ寝台特急となりました。
写真は夏季限定で運転されていた、「モトとレール日本海」です。「モトとレール日本海」は、余剰となったマニ50を利用してバイクとライダーを北海道まで運ぶサービスです。写真は、1988年8月11日に、大阪駅にて、デジアナ様が撮影された写真です。マニ50に日本海のテールマークとうい貴重な写真です。
「モトとレール日本海」マニ60 大阪駅にて 1988年8月11日 デジアナ様撮影
写真はマニ60だけが切り離されて牽引される「モトとレール日本海」です。日本海のバイク輸送サービスは、1986年夏季限定で始まり、当初はフェリーより時間が早い等好評でしたが、ガソリンを乗車前に抜かないといけない等、規制も多く、利用者が伸びず、1998年夏季を最後に廃止されました。
「モトとレール日本海」マニ60 青森駅にて 1988年8月12日 デジアナ様撮影
次は上記のマニ50を牽引していたED79ヘッドマーク付きの日本海です。1988年8月12日に、青森駅にて。日本海のEF79の牽引は、青函トンネル開業の1988年3月改正から函館乗り入れが廃止された2006年3月17日まで、青森〜函館間で行われました。又ED79はED75 700番台を津軽海峡線用として改造した機関車です。
特急<日本海>ED79 青森駅にて 1988年8月12日 デジアナ様撮影
日本海は、一度だけ、電車寝台特急として運転された事があり、下の写真はその時の貴重な写真です。1985年11月6〜7日に、臨時特急日本海として運転され、車両は583系、特製のイラスト入りマークが使用され、このデザインは機関車用とも客車用とも異なり、波が一本線で大きく、水滴まで描かれていました。
又、下の写真は、2001年9月15日に、青森運転所で開催された583系撮影会で展示された青森所属の583系日本海、イラスト入りマークは1985年運転のものと異なり、客車用とほぼ同じデザインです。但しこのヘッドマークで運転された事はありませんでした。いずれもデジアナ様が撮影された写真を掲載しています。
特急<日本海>583系 高槻〜摂津富田間 1985年11月7日 デジアナ様撮影
特急<日本海>583系 青森運転所にて 2001年9月15日 デジアナ様撮影
又、下の写真は、イラスト入りマークの切妻20系日本海です。1990年8月15日に、デジアナ様が撮影された貴重な写真を掲載してます。最後尾のナハネフ23は、上記の写真と比較し切妻部に白線が無いため、異なった印象になっています。臨時の日本海に使用されたものと思われます。
特急<日本海>20系 山崎にて 1990年8月15日 デジアナ様撮影
現在日本海は、2008年3月15日改正で、2往復が、1往復に減便されましたが、豪華寝台特急トワイライトエクスプレスと共に、日本海側を縦断する寝台特急として、活躍を続けています。
特急<日本海>EF81108 山崎にて 2008年2月18日撮影
今も走り続ける寝台特急日本海、2009年3月14日改正で、日本海は、関西で見る事が出来る唯一の定期ブルートレインとなりました。そして、2012年3月改正で、終に定期列車としては、廃止になります。
特急<日本海>EF81107 山崎にて 2012年1月04日撮影
特急<日本海>近江高島〜北小松間にて 2011年11月12日撮影
特急<日本海>EF81108 山崎にて 2012年1月06日撮影
最後の力走を続ける大阪発着、最後のブルートレイン日本海。
特急<日本海>EF81101 奥羽本線 大釈迦〜鶴ケ坂間にて 2012年3月5日撮影
特急<日本海>EF81108 青森駅にて 2012年3月4日撮影
2012年3月17日、雨の中のラストラン、上がり最終日本海
特急<日本海>ラストラン 長岡京〜山崎間にて 2012年3月17日撮影
特急<日本海>ラストラン 長岡京〜山崎間にて 2012年3月17日撮影
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