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国鉄の強者達 |
<ディーゼル機関車>
欧風スタイルのDD54は1966年に亜幹線の無煙化のエースとして登場したディーゼル機関車です。 既に電気式ディーゼル機関のDF50や幹線用の液体式のDD51は登場しており、これらより後に登場しながら、最も早く姿を消した悲運の機関車です。
風貌も技術も西ドイツの流れをくむ機関車で異色の存在でした。 三菱重工が西ドイツのマイバッハ社、メキドロ社より技術提携を受け開発、生産し、メキドロ形液体変速機(DW5)と1820PSのマイバッハ機関(DMP86Z)を持ち、卓越した ドイツの技術が採用されていました。 外観は、この頃主流の凸型では無く、箱型で、車軸もB−1−Bの珍しい軸配置になっていました。DD54は試作機も合わせ40両が製造され、関西の福知山線や山陰本線などで活躍しました。
DD541 トップナンバー Chiba様撮影
写真は、DD54トップナンバー、DD54 1号機、三菱重工製で、1966年6月24日に、福知山に新製配置されました。この1号機は、お召列車も牽引しましたが、ほぼ10年後の1976年6月30日に早くも廃車されました。Chiba様が撮影された貴重な写真を掲載しています。
DD548 大阪駅にて 1971年撮影
写真は、1971年、大阪駅で撮影したDD548です。DD54が駅のホームに停車しているとその轟音と油の焼けた様な排煙はすごく、異様な迫力がありました。DD548は、量産型の第1陣となる2字車(4〜8号機)で、初期のタイプです。1968年に登場、福知山線の列車を牽引していました。
下の写真は、福知山線の旧型客車を牽引し、大阪駅に到着したDD5410です。1972年に撮影、DD5410は、1969年に製造された3次車(9〜17号機)です。
DD5410 大阪駅にて 1972年8月撮影
華々しくデビューしたDD54ですが、製造当初より推進軸や液体変速機等にトラブルが相次ぎ故障の修理もできないまま使用休止となるものもあり、1978年6月18日の播丹線645列車を最後に10年余りの短命で姿を消してしまいました。DD5432 花園駅にて 1977年撮影
写真は山陰本線、花園駅で撮影した1977年に撮影したDD5432です。DD5432は後期の6次車(30〜40号機)で、後期量産の5,6次車(25〜40号機)は、運転窓がHゴム化されており、初期量産タイプと印象が異なります。又このDD5432は、ブルートレイン 出雲 を牽引できる様に、スカートにジャンパー栓が追加になっており、前面がより勇ましい姿になっていす。32〜37号機が、ブルートレイン牽引対応となっていました。
下の写真は同じく。山陰本線、花園駅を通過するDD5411が牽引する貨物列車です。これらは廃車される晩年の雄姿です。
DD5411 花園駅を通過する貨物列車 1977年撮影
現在では、DD5433の一両のみが、大阪の交通科学博物館に保存されていて、その雄姿を見ることができます。このDD5433も量産後期の6次車で、ブルートレイン牽引対応となっていました。1971年6月三菱重工三原製作所製造
DD5433 大阪の交通科学博物館にて 2006年1月8日撮影
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