このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
鉄道コーナー MaboroshiKidou
嵐山の謎の電車と回答2
嵐山の謎の電車について、以下の謎に対して、電車は京都市電の200形の廃車体、場所は愛宕山鉄道、釈迦堂駅跡の児童公園と考えていましたが、釈迦堂駅跡の横に住んでおられる方より、“写真の電車は、釈迦堂駅跡の児童公園に有ったものでは無く、近くの別の公園にあった別の京都市電200形の廃車体では?”という貴重な情報をいただき、この電車の謎が再び深まりました。
この電車及び愛宕山鉄道の遺構に対して送っていただいた情報を以下に紹介致します。大変ありがとうございました。
又、京都市電の廃車体が以前は、この2台以外にも多数、公園に置かれていたのでは?という新しい謎が増えました。
<回答> 釈迦堂駅付近に在住されているOHSHIMA様よりこの電車に関する回答をいただきましたので、掲載いたします。
京都市電の保存車両の現況については、下記のページで確認する事ができます。当時は京都市児童館として多数使用されていた様で、この200形廃車体もそれらの内のひとつだったのでは?と思われます。
京都市電の廃線跡を探る
以下、ご回答の全文を紹介致します。
私は生まれて以来、愛宕電車の釈迦堂駅の横に住んでおります。 現役時代は、長老でないとわかりませんが、昭和40年代の様子をお知らせします。 まず写真の電車ですが、釈迦堂駅跡の公園のものではありません。 バックがあまり見えないので断言はできませんが、置いてあった場所では後ろに山はみえないので、 多分裏柳町の公園(嵯峨小学校の西)に有った電車と思います。 当時は、市営の児童公園に電車やバスが置かれており、町会所や倉庫に使っていました。 しかし、残念ながら現在はどちらも(その公園も釈迦堂のも)存在しません。 以上が項目2と3の情報です。 もう一方の公園ですが、嵐山から釈迦堂に歩いてくると、広い「新丸太町通り」があります。 その交差点を左折して、広い道なりにカーブして行くと、突き当たりにあります。 なにせ子供時代の記憶ですので、そちらの公園は遊びのエリア外であまりさだかでは・・・ 電車が有ったことはまちがいないですが・・・
以下、釈迦堂駅跡等、愛宕山鉄道の遺構の様子の情報をいただきましたので紹介致します。
あと遺構などについてですが、釈迦堂駅跡は昭和40年頃までプラットホームが残っており、 子供時代の遊び場でした。 ホーム上には、セイタカアワダチソウが茂っていたのを覚えています。 その頃まで電車も(市電200型)ホーム横の公園にありました。 軌道跡もまだ整備されておらず、釈迦堂ー清滝間は未舗装のバス道でした。 今の高架道路もなく、山陰線のオーバーハングの築堤が残っていました。(跨ぐ鉄橋はない) 新丸太町通ー釈迦堂間も荒地のままでしたが、40年〜45年頃に現在のような新しい道路が出来る時に 次々と消えていきました。 釈迦堂駅跡と車庫跡にあった公園は、新道が出来た時に小さくなりましたが、今もあります。 平井さんの撮られた釈迦堂付近の2枚の写真の、中間あたりの信号のある変則の交差点が、 まさに駅跡だった場所です。 (交差点の旧道と新道の間にせまい公園があります) 市電200型のあとには、木造の集会所が建っています。 知る限りでは、車庫跡も建物はなく、検査用の深い穴だった(車体の下にもぐる)ところには、 水が溜まっていてプールの様になっていました。
(実際に戦後は子供がプール代わりに泳いだりしたと聞きます) その車庫跡の位置が、レストランの北の方でした。 (2枚の後の写真のあたりになります)以下、愛宕山鉄道ケーブル線跡の現在の様子と山頂駅跡の写真画像も送っていただきましたので紹介致します。
先日のメールにて書いていた愛宕ケーブルの件ですが、山頂駅跡のようすです。
階段状のホームが見えると思います。
駅舎はコンクリートが溶け出して、いずれは朽ち果てるだろうな。
周囲にはホテル跡や遊園地跡もありまいた。
清滝川から約2キロ(トンネル迂回あるので実際はもう少しながいか)階段状の斜面ばかりでちよっとキツイけど、貴重な体験でした。
又、次のページでは、以上の情報を元に電車が置いてあった場所の探索結果を紹介します。
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