このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


可部線廃線区間(可部〜三段峡)

Kabe Line abolition section(Kabe-Sandankyou)







列車が来る事のない3番線。
使われなくなってから3ヶ月以上経過した線路は既に錆びている。
右側の待避線に嘗ては1〜2両編成の気動車がこの位置でエンジンカットして待機していた。







河戸へ延びる線路。数百mの区間は保線車両の機回し用として残されているようだ。
廃線後に使われた形跡はなかったが…。







「生」と「死」の分け目。
車止めの後方数mは線路・枕木共に撤去されており、その先には分断された「死」の線路が延びる…。







高校時代は自転車を乗り回していろいろな場所へ出かけていた。
上を通る国道54号線の線路を跨ぐこの区間は歩道がない為、よくこの場所で自転車を担いで向かい側まで渡っていた。







可部線は当初、軽便鉄道として開業していたが、開業から国鉄(現在のJR)に買収されるまで数回所有者が変わっていた。
広島〜可部間は1911年に完成、1936年までには安芸飯室まで延びた。
第二次大戦中に延伸工事が中断されたが、戦後の復興と共に工事再開、1954年には加計まで完成した。







廃線区間となった可部〜三段峡間は国鉄によって建設され、1969年には三段峡まで開通した。
国鉄に買収された当初、島根県の浜田まで延伸する計画もあった。
俗に「広浜(こうひん)線」等と呼ばれ、当時の地元住民にも期待されていた。





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