このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
北海道遠征記 〜哀愁漂う上砂川〜 S. Klimov in Hokkaido
「悲別駅」こと、上砂川駅の駅舎。本来の位置から移設され、向きも変わってしまっている。 撮影開始直後に小雪が舞い始め、より一層哀愁を漂わせていた。 無論、今回の遠征でもラティアスとジラーチも一緒に…定番ですね(^ ^; 先ずは有名なドラマ「昨日、悲別で」の舞台にもなった上砂川駅。上砂川駅とは1994年まで存在した函館本線上砂川支線の終着駅であった。 大正時代、当時の砂川村=今の上砂川町にて石炭が採掘開始されたばかりの頃は石炭の質が悪かったのだが、採掘していく内に良質の石炭が発見されるようになり、需要が高まった事から鉄道が敷設される事が決定された。元々は炭鉱専用の鉄道として敷設されたのだが、石炭の需要が高まるにつれて従業員や商店等が増加、人々の往来も増えたにも拘らず石炭しか輸送しない上砂川支線を横目に馬車や徒歩で移動していた住民らの不満が高まり、当時の鉄道省に陳情…それにより旅客輸送が開始され、上砂川駅が誕生した。 上砂川でロケが行われ、1984年に放映されたドラマ「昨日、悲別で」は一大ブームを巻き起こして車や列車で多くの観光客が訪れた。上砂川駅は1987年に無人化されたのだが、道内初の無人駅の再利用に民間の団体が立ち上がり、女性の私設駅長を任命、観光案内などを行っていた。又、駅舎の一部がライダーハウスとして開放され、毎晩賑わいを見せたという。しかし、モータリゼーションによる影響は大きく、上砂川支線の利用客は年々減少する一方であった。そして1994年5月16日、多くのファンが別れを惜しむ中、上砂川支線は75年の歴史に幕を閉じた。 上砂川支線廃止後は別の位置に移築され、向きも90度ほど変わってしまっている。駅舎内には「昨日、悲別で」のロケの様子を伝える写真や、現役時代に使われていた時刻表や運賃票などが展示されている。
保存されている車輌と駅名票。保存されている車輌内部は非公開。 車掌車のある位置が本来のホームとレールがあった場所付近であるといわれている。 上砂川駅には駅舎の他に、ドラマの収録で使用されていた悲別の駅名票と、晩年使用されていた上砂川の駅名票が立てられており、当時使用されていた車輌(郵便/荷物車スユニ60形と車掌車ヨ8000形の2両)が保存されている。いずれも塗膜が一部剥離・腐食しており、車掌車に至っては駅舎側を向いたデッキにある窓ガラス1箇所がが割られてしまったのか、ベニヤ板とビニールシートで覆われていた。 一通り撮影を終えた俺は、今回のメインの探索となる円形の廃校舎、沼東小学校へと向かう事になった。 |
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