このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

北海道遠征記

〜いざ、内部侵入〜

 

S. Klimov in Hokkaido

 

 

 

 

 足跡の続きを辿ると1階の窓へと伸びていた。1階部分は多くの廃材(木材)が散乱しており、鋭利な釘の立った物も転がっていた。靴底にプロテクターの入った軍用ブーツを履いているので万が一、これらの物を踏んでも大惨事を免れる事が出来るが登山用のブーツや一般的なシューズだと簡単に靴底を貫通してしまっているに違いない。窓枠にもガラスの破片が僅かながら残っているので手元・足元、特に大柄な体格の人は頭上にも注意が必要だ。

 

 

 

 

 

 

足跡が続いてた1階部分。珍客が訪問中に飲んだのか、古びたウィスキーのビンも転がっていた。

他のサイトでは半分水没している様子が紹介されている事が多いが、今回は全体的に干上がっていた。

多くの残骸が散らばっているがこれらは何処からやってきたのだろうか…?

 

 

 

 

 

     

 

中心部分にある螺旋階段(写真左)。転落防止の為に鉄格子が設けられている。

全ての教室は隣の教室との仕切りとなる壁面に黒板が設置されていた。

写真では見えづらいが、建築中に書かれたものと思われる「黒板」の殴り書きが残っている(写真右)。

 

 

 

 

 校舎内部は中心部の柱を軸に螺旋階段、廊下、そして教室ともう1つの階段が配置されている。中心部の柱は空洞で所々、投入口が開いているがこれはダストシュートで、児童たちがゴミ袋にまとめたゴミを投入して1階の集積場に集めるというものである。螺旋階段のある天井部分には明かり窓が設けられており、太陽光が差し込んでくるようになっているのだが冬は雪に覆われてしまって昼でも薄暗い。

 

 

 

 

 

     

 

ブレてしまっているが、天井の明かり窓(写真左)と、柱にあるダストシュートの投入口部分(写真右)。

柱には何故か育毛剤の新聞広告、その上にポスターが貼られていたようだが、剥がされてしまっている。

階段部分の壁面には美唄鉄道の路線図だと思われる落書きもあった。

ゲストブックなのか、ノートが置かれているが…おや…?!

 

 

 

 

 

 

…誰だ、ノートの表紙に"DeathNote"って書いたのは…ww

 

 

 

 

 危険な某炭鉱病院の廃墟程ではないが、やはりDQNによる下品な落書きや破壊の痕跡が多く目に付く。ノートが置かれていたが中は覗かなかった…中身はきっと、この廃墟同様に荒れ放題になっている事だろう。現役時代、多くの児童たちで賑わった場所とは思えない、寒々しく、そして不気味な空気が流れる…。

 

 

 

 

 

こんな場所に名前なんぞ刻みたくない。     

 

「制覇 2006年9月27日」…って、ポケモンダイヤ・パールの発売前日にこんな落書きが…。

現役時代に存在した連絡通路と繋がっていた場所はシャッターが下ろされている。

丁寧にも「出口」と落書きされているが、そこから先は地上へ真っ逆さまへのダイブが待ち受ける。

それ以前に錆付いてしまっていて開かないが。

 

 

 

 

 下品な落書き等に呆れつつも一通り写真を撮り終えた俺は、沼東小学校を後にした…。

 

 

 

 

 

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