このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
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英彦山六峰の一つである檜原山に行って来ました。お寺の横に鳥居、途中に講堂・・・ 国東の岩戸寺や天念寺と同じような配置になっており、英彦山六峰の中でも一番神仏習合が残っている山という印象です。 | |||||||
■檜原山正平寺 | |||||||
正平寺は天台宗比叡山延暦寺末寺で宗峻元年(578年)に、釈正覚上人が初めて犬ヶ岳に長福寺を創立した後、檜原山に移したのが始まり・・・ と寺の前に看板に書いていました。 | |||||||
正平寺駐車場に到着 | 正平寺前の池 | ||||||
■梵字鳥居 | |||||||
正平寺の横にある鳥居には7文字の梵字が書かれているとの事です。山伏の墓などには梵字がよく書かれていますが、神様のシンボルである鳥居に梵字を書くとは不思議な話ですね~ | |||||||
梵字鳥居 | 梵字がかすかに見えますが7文字もあるか? | ||||||
■山伏の墓地 | |||||||
梵字鳥居の手前から左に行くと、山伏の墓地があります。その中でも引き立っているのが奥の方にある宝塔です。 | |||||||
座主の墓か? | 山伏の墓がいっぱいあります | ||||||
立派な宝塔です | これは? | ||||||
■講堂 | |||||||
檜原山正平寺は面白い。梵語が書かれた鳥居を通っていくと講堂に到着 その裏には護摩堂跡・・・まさに神仏習合です。 神輿殿は覗き窓から手を入れると中の照明が点くようになっており、場所に似合わずハイテクです。 | |||||||
講堂 | 落雷で焦げた枯れ木の中にある仏像 | ||||||
神輿殿 覗き窓から中の神輿が見られます | 中にある神輿 | ||||||
■護摩堂跡 | |||||||
講堂の裏側に護摩堂跡があります。護摩堂跡地にはなにもありませんが、その裏側にある大岩に下には朽ちた石仏や首の無い石仏があります。 首のない石仏は廃仏稀釈の影響でしょう。 | |||||||
護摩堂跡 | 横にある岩の下には各種仏像が | ||||||
石仏だけでなく木像もあります | ここにも首のない石仏があります | ||||||
■登山道 | |||||||
檜原山は見通しはあまりよくありませんが、途中に巨石や修験者が行を行った窟があり山登りを楽しませてくれます。 窟の中には今でも釈迦木が供えられており、修験の歴史が生き続けている事を実感出来ます。 | |||||||
押別岩 | 倒木が多い登山道 | ||||||
針の耳 ここを通って登ります | 針の耳の中に頭のない石仏 | ||||||
■上宮 | |||||||
上宮に到着 | 宝筐印塔 国東に比べると規模が小さい | ||||||
これは? こんな形のを見るのは初めてです | 麓を見下ろす朽ちた石仏 | ||||||
■頂上 | |||||||
頂上はあまり展望はなく、だいぶ荒れ果てています。 山頂には檜原権現が祀られていると書かれていましたが、この朽ちた石仏の事だろうか? | |||||||
頂上に到着 | 残念ながら視界は悪い | ||||||
頂上の石造物 | 朽ちた石仏 | ||||||
■下り道 | |||||||
下り道には多くの岩場や修験者が修行をしていた窟があります。下り道にある代表的な窟と岩屋を紹介します。 | |||||||
行者岩(金剛窟) | 護摩壇 | ||||||
弁天岩 | 金比羅岩 |
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