このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

山列車 への想い

2003年・6月、私は国道41号線を岐阜方向に走っていった。
庵谷を通った時の事。坂をゆっくり登っているDE10がバックミラーに映った。
「!!」私は何となく気になり、国道を反れ、踏み切りの傍でその姿を見つめた。
2両の機関車が煙をもうもうと吐きながら従者を従えてゆっくりと峠を登っていった。
自然に湧いてきたドキドキ・いつもの心臓の鼓動とは違う、只ならぬ衝撃を私は感じた。
・・・遅ればせながら、これが、私と「神岡重連貨物」との最初の出会いである。

この一年前、石北重連貨物を常紋峠にて偶然目撃し、力強い走りに衝撃を受けた。
・・・5882レはDE10+数両の貨車。石北の10両のコキ編成にはとても及ばない。
しかし、風光明媚な鰤街道の坂道を力強く歩いて行く5882レは、私にとり、石北に
決して引けをとらない程の衝撃を与えた。
・・・目の前を通り過ぎた列車は、私に、北の大地で見た感動を再燃させてしまった。
 (今思えば、前後非対称なDE10の足音は独特でこれは、石北のDD51にない魅力だと思う)
この時、私は富山在住で仕事柄昼間に自由時間が取れた。もう、迷わず、この、重連を
追いかける事となった。

そして、2004年冬・この感動を多くの人達に伝えられたら良いと思い、私は、神岡鉄道・奥飛騨
温泉口駅へ向かった。この駅の待合室で佐々木 氏が神岡鉄道の写真展をしていたので若し、
宜しければそれに倣って私の写真も飾らせて欲しい、と。
私は、長年ここを撮り続けている佐々木 氏の写真と張り合える実力を持っていなかったので
この事を諦めかけていたが、先方から、「今度、サンプルを持ってきて下さい」との事・写真が
先方の意に沿えばここで写真展を開けるチャンスである。数日後、大雪の中、いつ来るか分
からない51レを何とか撮って再び駅に向かう。先方に写真を見せたら、「時期期間未定の条件
付で」OKを頂いた。その後、私は早急に写真を渡した。
私はせいぜい7日間位のものだろう、と、軽い気持ちでいたが、駅の方の好意もあり、結局2月
〜3月の間、作品を飾らせて頂いた。作品を制作するに当たり、写真のセレクトはすんなり行
ったのだが、このタイトル付けがゼロからの出発だったので結構悩んだ。この末、「列車が神
岡の山間を走る姿を率直に現そう」と言う事で、「山列車」に決定した。           

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