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 《ドン行自転車屋久島行き》 2002年8月
 日南海岸
  

 川崎発のフェリーで前日に九州・宮崎に上陸。いよいよ今日から自転車での九州旅行が始まる。

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     宮崎

 宮崎市内のホテルで5時15分に起床。九州なので、まだ外は薄暗いが、天気はいいようだ。
 今回の旅の最終目的地は屋久島である。島へ渡る船は鹿児島から出るので、そこまでは自走で行くわけだが、ルートはいろいろある。内陸の都城経由で鹿児島湾に抜ける道が最短経路だが、できれば海に沿って走りたい。ということで、宮崎から日南海岸を南へ下り、都井岬を回って、志布志を経て、大隈半島を横断し、鹿屋から鹿児島湾に沿って北上して、桜島からフェリーで鹿児島へ抜けるルートを考えている。200キロ以上はあるが、2日あれば行けるだろう。今日は宮崎県の最南端・都井岬まで行く予定。

 6時10分にホテルを出発して、まだ爽やかな空気を肌に感じながら、宮崎駅前の大通りを南へ向かう。
 すぐに渡るのが大淀川。朝からクマゼミがシャワシャワシャワシャワ…と喧しい。赤とんぼも飛んでいる。

 (宮崎市内を流れる大淀川)

 南宮崎駅前を過ぎて、国道を離れ、勘を頼りに走っていたら、すぐに住宅街に迷い込み、道が分からなくなったが、宮崎空港が見えてきて、地図で現在地を確認できた。
 高速道路のように立派な国道220号線に入り、しばらくは快適に突っ走る。道の両側に背の高いヤシの木が並び、中央分離帯にはハマユウやカンナが咲き、南国ムードたっぷりの道だ。宮崎平野の田園風景が広がり、空が広い。早くも暑くなってきた。

     青島

 平野が尽きて、右から低い山が迫り、遊園地「こどものくに」の前を通り過ぎて、7時35分に青島に到着。道に迷った分も含めて、ここまで21.9キロ。
 島の入口に自転車を止め、とりあえず常緑樹の密林に囲まれた青島神社に参拝。ここは毎年春に宮崎でキャンプを行うプロ野球・読売巨人軍の選手たちが戦勝祈願に訪れることで有名だ。境内には今年の選手の願掛け絵馬が飾ってある。監督や選手がどんなことを書いているかというと…。
 原辰徳新監督は「Show The Spirit」。松井秀喜は「日本一 三冠王」。あとは大体「優勝」とか「日本一」とか「精進」とか、若手だったら「一軍定着」など。番長・清原和博の「世界平和」がひときわ目をひいた。
 パンの朝食を済ませ、島を歩いて一周。波の浸食作用が生んだ「鬼の洗濯岩」と呼ばれる奇勝を眺め、8時35分に出発。

 (青島)

(巨人軍の願掛け絵馬)


     日南海岸

 青島からすぐに上り坂となり、上りきったところが堀切峠。地図によれば標高は62メートルに過ぎないが、日南海岸を見下ろす景勝地である。フェニックスが植えられ、ハマユウが咲いている。
 堀切峠からはずっと海沿い。日向灘の真っ青な海原を左に見ながら走る。気分は最高!と言いたいところだが、あまりに暑い。しかも、キャンプ道具まで積んでいるので荷物が重く、ペダルも重い。せっかくの素晴らしい風景なのに、少しも楽しめない。
 いつもなら、絶景に出会うたびに自転車を停めて、カメラを取り出すのだが、そういう気分にもならず、ただ黙々と走る。
 JR日南線(南宮崎〜志布志)の駅がある内海という集落のローソンで休憩。時刻は9時。店内の冷房がありがたい。ペットボトルの水を購入。冷たい水もどうせすぐぬるま湯になるわけだが。
 それにしても、暑い。神社の木陰を見つけて、また小休止。汗がどっと流れ出す。リュックの下でTシャツの背中がぐっしょり濡れて、気持ち悪い。
 いったん日陰で休んでしまうと、もう日なたには出たくなくなるが、そうも行かない。腕などに日焼け止めクリームを塗りたくって、また走り出す。
 太陽は海の上から強烈に照りつけ、道路上に日陰はほとんどない。従って、走り出してしまえば、休むこともできずに、ひたすらペダルを踏み続けるしかない。日陰を見つけたら、いつでも休むつもりだが、本当に日陰がない。太陽が憎らしい。

     日南市

 いるか岬で宮崎市から日南市に入り、真っ赤なハイビスカスや濃いピンクのブーゲンビレアも目につくようになった。それでも心があまり動かない。ちょっと重症だ。走れないわけではないが、なんだか無気力無感動になっている。

 このあたりは岬と小さな湾が入り組むリアス式海岸で、道路はほぼ海岸線に忠実に続く。それでも、時には岬を貫通するバイパスのトンネルが掘られている。こういう場合、心に余裕があれば、トンネルは避けて、あくまでも景色のよい海沿いの旧道を選ぶのだが、今は断然トンネルだ。近道だし、陽射しからも逃げられる。
 サボテン公園とかサンメッセ宮崎(丘の上にモアイ像が立つ観光牧場)などの観光施設も、鵜戸崎の断崖に立つ鵜戸神宮もすべて通過して、一点の日陰もないカンカン照りの下を走り続け、日南市の中心部に近い風田のセブンイレブンでようやく一息。立ち寄るのはコンビニだけ、というのはいかにも虚しいが、仕方がない。
海紅豆の咲く公園で休憩 のり巻きなど買って、さらに3キロ余り走り、日南市内で最も大きな港町、油津の小さな公園で休憩。海紅豆の花が咲いている。時刻は11時半。ここまで宮崎から58.7キロ。木陰のベンチで早めの昼食。でも、なんだか食欲もない。ぐったり。



 公園の水道でボトルの水を詰め替えて、12時に油津を出発。ここから少し内陸に入ると、武家屋敷が残る城下町の飫肥があるが、まったく行く気なし。
 油津港を眼下に見ながら坂を上ると、またトンネル。しかし、自転車と歩行者は通行不可で、遠回りの旧道を通らねばならない。走ってみると、旧道というより廃道に近く、アスファルトの路面には無数の亀裂が走り、そこから雑草が生えていた。

 ひなびた風景の中を走って、油津から20分ほどで大堂津に着く。日南線の駅があり、そこでまた休憩。駅は無人で、すぐ裏が海水浴場。駅のベンチに座っていても、潮騒が聞こえてくる。のどかな昼下がりではある。

(大堂津駅)

 妙になまめかしい人魚の像がある大堂津駅前を12時40分に出発して、まもなく南郷川を渡る。砂地の川底が透けて見え、南国的な明るい表情の川だ。クロサギが餌を探していた。ここで日南市から南郷町に入る。

(南郷川)


     南郷町

 わりと大きな目井津漁港の前で小学生の団体を乗せた観光バス3台に抜かれた。子どもたちの視線を感じる。彼らの目に僕はどんな風に映るのだろう。
今のところ日本最南端のセブンイレブン まもなく「今のところ日本最南端のセブンイレブン」の看板を発見。南郷駅東店。記念に立ち寄る。高校生らしきアルバイト店員がやけに多い。みんなヒマそうだ。時刻は13時。ちょうど店の前に「都井岬40㎞」の標識があった。

 南郷駅前を過ぎて、ここで鉄道とともに内陸部へ向かう国道220号線と別れ、国道448号線に入る。鹿児島へは220号線が近道だが、ここは遠回りでも都井岬経由の海岸ルートを選ぶ。そのぐらいの気力はまだあった。
 448号線もしばらくは田んぼの中の道。山から降りしきる蝉時雨はミンミンゼミとアブラゼミが中心。朝は賑やかだったクマゼミの声が今は聞こえない。
 やがて、道はきつい上り坂になる。今日一番の急勾配。すっかりバテて、途中で自転車を押したくなるが、草刈り作業員があちこちにいて、かっこ悪いので、なんとかペダルを漕ぎ続ける。もうヨレヨレで、いずれにせよカッコイイわけがない。
 なんとか坂の頂点を越えて、下りに転じるとすぐに道の駅「なんごう」。もちろん、ここでも休憩。時刻は13時40分。それにしても、宮崎から72キロしか走っていないのに、こんなに疲れ果てて、明日中に鹿児島までたどり着く自信がかなり揺らいできた。
 この道の駅は裏山が公園になっていて、散策路がめぐらされ、亜熱帯植物の大温室やトロピカルガーデンなどがあるらしい。しかし、僕はひたすら休む。
 地元の農産物など特産品の売店で、きんかんアイスクリームを買って食べる。ひとりだけ汗だくで、とても暑苦しい人になっている。リュックから扇子を取り出し、パタパタあおぐ。傍目には相当ヘンな奴に見えることだろう。

 40分も休んで、ようやく活動再開。
 走り始めて、すぐに海を見下ろす展望所にあずまやがあった。またまた休憩。
 とにかく、このあたりの海岸風景、ただ走り過ぎてしまうのではもったいない。リアス式の複雑な海岸線、点在する島々、岩礁まで透けて見えるエメラルドグリーンの海。海の中にはテーブルサンゴや熱帯魚も見られるそうだ。「人間魚雷回天訓練の地」という石碑もあった。

 


     串間市

 トンネルを抜けて、まもなく南郷町から串間市に入る。町から市に入ったのに、なんだか一段とひなびた感じになった。
 ウグイスが鳴く山林の中で、しばらく急なアップダウンに苦しみ、ようやく平地に下ると、道の両側に背の高いヤシの木が続くようになった。至るところにカンナやハイビスカスが咲き、ちょっと東南アジアの農村地帯のような風景でもある(行ったことないけど)。ニイニイゼミや、この夏はじめて聞くツクツクボウシの声がする。草むらではキリギリスも鳴いている。これで暑くなければ、気分がいいに違いないが、とにかく肉体的にも精神的にもすっかり消耗して、小さな木陰を見つけるたびに小休止。限界が近い。

 

 ひっそりとした集落を通りかかると、温泉付きの民宿があり、大いに心を惹かれつつ通過。
 その集落を抜けると、幸島の案内板があった。そこを左折。林を抜けると静かな砂浜の海岸に出た。すぐ向こうに浮かぶ濃い緑の島が幸島らしい。芋を海水で洗って食べるサルがいることで有名だ。渡船があるようだが、ベンチに腰を下ろすと、もう何もしたくなくなる。只今の時刻は15時過ぎ。宮崎からの走行距離は82キロ。
 ボーッと海を眺めていると、あまりに安らかな気分で、走り続ける意欲がすっかり萎えてしまった。地図を見ると、都井岬まで20キロぐらいだが、等高線の間隔が狭いからアップダウンがきつそうだ。しかも、岬は「海抜225m」と書いてある。やめた。今日はここまでにしよう。さっきの温泉付き民宿に泊まろう。

(画面右が幸島)

 市木温泉・民宿「たぎり荘」というのが本日の宿。先客は1人しかおらず、飛び込みでも大丈夫だった。1泊2食付きで6,300円。
 西陽が差し込む2階の部屋に通され、荷物を置くと、ホッと一息。ようやく人心地がついた。
 温泉は意外に雰囲気のある岩風呂風で、茶色っぽいお湯。鉱泉を加熱したものだと思うが、なかなかよい。しかし、夏の旅ではいつもそうだが、かぎりなく水に近いぬるま湯を頭からザブンとかぶるのが一番気持ちいいのだった。
 部屋に戻って、扇子片手に畳の上に寝転がって過ごす。窓の下は国道だが、交通量は少なく、とても静か。道の向こうは田んぼで、早くも稲刈りが済んだところもある。その向こうには低い山が連なり、コジュケイが「チョットコイ、チョットコイ」と鳴いている。
 夕食は1階の食堂で。地元で水揚げされたカツオやタイの刺身が出る(醤油がこの地方独特で甘みがある)。同宿者は東京から来たKさんといって、幸島のサルを見にきたそうで、今日が3泊目。昨年も来たというから、この宿ではすっかり顔なじみで、地元の子どもたちのラジオ体操にも参加しているらしい。僕も誘われた。
 ところで、この宿のおばあちゃん。見た目はごく普通のおばあちゃんなのだが、実はサル研究の世界では海外にも知られた有名人なのだった。三戸サツヱさん。Kさんによれば、年齢は80歳代後半のはず、とのこと。その三戸さんは数十年間にわたり、幸島にすむニホンザルの1頭1頭に名前をつけ、「戸籍」を作ることで、すべてのサルの系図を作成し、その家族関係、社会構造の解明に大きく貢献したのだという。日本のサル研究のパイオニアというべき人なのだ。幸島はいわば日本の霊長類研究発祥の地であり、あとで見せてもらった宿泊者のための雑記帳やアルバムをめくってみても、世界中の研究者がこの宿に泊まっているようだった。
 
 さて、夜も更けて、そろそろ寝ようかと思っていると、窓の下でKさんが呼ぶ。
「星がすごい!」
 さっそく外へ出て、車の通行も途絶えた国道の真ん中に突っ立って空を見上げると、本当にすごい星の数だ。天の川もくっきり見える。あたりが真っ暗なので、星の1つ1つがやけに明るい。まさに宇宙を見ているのだ、というリアルな感覚に粛然とさせられた。
 本日の走行距離は82.4キロ。去年の北海道では連日130キロぐらい走っていたのだが、この暑さでは1日100キロでもちょっと苦しい。明日中に鹿児島に着く予定だったが、もはや無理だろう。


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