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  釧路湿原 1997年8月

 走行ルート:シラルトロ湖〜ザルボ展望台〜塘路湖〜細岡〜岩保木山〜釧路

 1997年夏の北海道自転車ツーリングもいよいよラストコース。釧路湿原を経て、ゴールの釧路市へと向かいます。

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     シラルトロ湖

 朝のシラルトロ湖は鏡のような水面に対岸の丘や人家をくっきりと映していた。昨夜の雨は大したこともなく、今朝は上がっているが、またいつ降り出すか分からないような空模様ではある。さっさとテントを撤収して出発。

  

 茅沼をあとに国道391号線に戻り、南へ向かう。釧路まではもう40キロもないから、ゆっくり走っても昼頃には着けそうだ。
 シラルトロ湖が再び右に広がってまもなく、左側の牧草地に2羽の丹頂鶴がいた。国道は交通量が多く、大型のダンプカーなども頻繁に通るが、鶴は気にする風でもなく、熱心に餌を探していた。

(牧草地にタンチョウヅル)


     ザルボ展望台

 しばらくはシラルトロ湖の東岸を走り、ひと山越えると、「ザルボ展望台」の案内板があった。シラルトロ湖の南方に位置する小高い山で、遊歩道がつけられているので、入口に自転車を止めて登ってみる。
 途中で家族連れとすれ違い、頂上の展望台に着くと、南側の視界が開け、塘路湖が広がった。周囲18キロと釧路湿原で最大の海跡湖である。そのほかにも塘路の集落や名も知らぬ小さな沼、そして果てしない釧路湿原とそれを取り巻く丘陵地帯が眺望できる。ハンノキやヤチダモの樹林と淡い緑の湿原が混在する眺めはどこかアフリカの平原を思わせ、ゾウやキリンやライオンがいてもおかしくないような気がする。湿原の彼方はぼんやりと霞んで曇り空と溶け合い、それが却って海のように広い湿原の無限の広がりを感じさせるのだった。

 (ザルボ展望台からの眺め)


     塘路湖と標茶郷土館

 さて、塘路へ来るのは2度目である。前回は釧路からの列車で途中下車して、塘路湖の周辺を散策した。湖は凍りつき、雪に覆われ、白い湖上では白鳥たちが求愛のダンスを舞っていた。丘陵の麓の道でキタキツネに出会ったのもその時のことである。
 湖畔の道をのんびり走っていて、道端の木立で何やら鳥の気配。視線を走らせると、少し大きな鳥が木から木へと飛び移っていくのが見えた。その姿や様子からキツツキであることはすぐに分かった。背中がウグイス色だからアオゲラだろうと、この時は思ったが、実はヤマゲラが正解だった。両種はよく似ているが、北海道にアオゲラはおらず、一方のヤマゲラは北海道だけに棲んでいるそうである

 塘路湖畔にある標茶郷土館を訪れる。この木造の洋館は、明治18年に標茶に設置された北海道集治監釧路分監の本館として建てられた歴史的建築物で、昭和44年にこの地に移築されたものだという。
 パンフレットによれば、集治監とは「徒流刑に処せられたるものを拘禁する所」とされているが、要するに一般監獄と異なり、死刑を除いた重罪犯人を収容する監獄であった、とのこと。明治初期に相次いだ佐賀の乱、萩の乱、西南の役などで国事犯とされた者を北海道に送り、開拓事業に動員する目的で道内各地に設置されたものの1つであるそうだ。釧路分監では釧路川の浚渫、道路新設工事などが行われたが、なかでもアトサヌプリ硫黄鉱山での作業は収容されていた囚徒にとって言語に絶する苛酷な労働であったという。
 このような囚人労働やその後のタコ部屋労働による残酷物語は北海道各地に残っており、実際、道内の鉄道や道路の建設、鉱山開発、治水事業など明治から昭和の敗戦までの北海道開発の多くが苛酷な強制労働によって進められたのである。それを考えると、北海道を旅する時にはそうした歴史的事実を忘れてはいけないな、と改めて思う。

 館内には先史時代から現代までの標茶の歴史を物語る貴重な品々や集治監関連資料、町内に生息する動物や鳥類、昆虫類の標本などが展示されており、先ほどのヤマゲラに関する知識もここで得た。

 郷土館をあとにして、釧路川の岸辺に出てみた。このあたりの釧路川は平坦な湿原の中を流れ、Sの字をいくつも連ねたような極端な蛇行を繰り返している。水量は豊かだが濁っていて、両岸の木々が深い緑の影を水面に落としている。ちょうど川下りのカヌーが通りかかり、川岸の線路には釧路発塘路行きの観光トロッコ列車「ノロッコ号」もやってきた。
 
  釧路川を行くカヌー           ノロッコ号


     達古武沼から湿原遊歩道を行く

湿原の中の木道を走る さて、塘路から国道は再び丘陵地帯を行く。急な坂を上ると標茶町から釧路町に入り、右に左にカーブを切りながら下っていくと、達古武(たっこぶ)沼の入口。もう急ぐ必要は全くないので寄ってみる。
 湿原の中の小さな沼のほとりに整備された達古武オートキャンプ場。ここから湿原の中に遊歩道があり、歩いてみようと思ったら自転車でも走れるらしい。ちょうど正午になり、雨が降り出したが、気にしないで、木道に乗り入れる。
 しばらくは丘陵の麓の林の中を進み、途中からヨシが密生する湿原の中に出ていく。達古武沼を左に見ながら、のんびりと走るのは気分がいい。湿原の中でコヨシキリがさえずっている。
 散策する人は多くないが、たまには出会い、リュックサックを背負った外国人女性もひとり双眼鏡を片手に歩いていた。
 名も知らぬ白や紫の花が咲く湿原の向こうに釧網本線の線路が見える。細岡駅と塘路駅の間で、経験から言えば、車窓にエゾシカが出没する可能性が高い区間である。丘陵地帯にすむシカの群れが水を求めて湿原へ出てきて線路を横断するので、列車との衝突事故も少なくないようだ。僕も事故に遭遇したことはないものの、シカの飛び出しで列車が急停車した経験は何度もある。折しも、きのう摩周駅で見た釧路行きの快速「しれとこ」が湿原の中を軽やかに走り過ぎていった。

(湿原を行く快速「しれとこ」)


     釧路湿原駅と細岡展望台

 湿原の中の木道から未舗装の一般道に出ると、まもなく細岡駅前を通過。道なりに行くと、今度は釧路湿原駅の入口があった。昔はこんな駅はなかったが、いつのまにか開設され、春から秋の観光シーズンのみ営業している。ここにも寄ってみる。
 湿原がよく見える場所にあるのかと思ったら、丘陵の裾の見晴らしのよくない場所にログハウス風の駅舎があり、クルマで来たらしい観光客相手に駅員が記念切符などを販売していた。

 その釧路湿原駅に近い丘の上には細岡展望台がある。その登り口にあるビジターズラウンジの喫茶コーナーでエビピラフとコーヒーの昼食。フロアの真ん中で薪ストーブが燃えていた。
 展望台からは果てしなく広がる釧路湿原とその中を蛇行する釧路川が一望できるが、今日は降ったり止んだりの小雨と霧のせいで風景は薄ぼんやりと霞んでいた。

(霧の釧路湿原)


     林道を行く

 展望台からダートの坂道をさらに進む。クルマのカップルに「頑張ってください」と声をかけられ、丘陵地帯の尾根道を上っていくが、周囲には木が茂っていて、湿原はもはや見えない。くねくねと曲がりくねる道を走るうちに方向感覚も失われてきた。
林道でキツネ2匹とシマリス1匹に会う これまでは基本的に舗装された主要道を中心に走っていたから、こんなダートの幅も狭い林道は初めてであるが、いいこともあって、のんびり走っていると、行く手をキタキツネが横切ったりする。すぐに見えなくなってしまったけれど、さらに行くと、またすぐ前方を行くキタキツネの後ろ姿が目に留まったので、静かに自転車を停める。今回の旅ではエゾシカの写真は何枚か撮れたので、キツネも1匹ぐらいは写りが悪くてもいいから写真に収めたい。絶好のチャンス到来である。そこへなんと道端にシマリスまで出てきたではないか。こんな幸運は滅多にない。逃げられないように、そっとバッグからカメラを取り出したところへ、運悪く後方からクルマが来てしまい、リスもキツネも茂みの中に身を隠してしまった。クルマが通ったあとにリスの姿はどこにもなく、どんどん遠のいていくヤブのざわめきがキツネの所在をわずかに教えてくれるばかりだった。

 諦めて走り出す。すぐに国道に出られるかと思ったが、いつまでも道は山林の中をくねくねと続き、だんだん心細くなってきた。クルマも全く通らなくなった。もうキツネやリスにも会うことはないまま、ひとりぼっちで走っていると、岩保木山の案内板を見つけた。湿原の展望地として聞いたことのある山である。早く無人地帯から脱出したいという気持ちを抱えながらも、標識に従って脇道に乗り入れる。
 道端には薄紫色のツリガネニンジンがたくさん咲いていて、目を和ませてくれるが、道の状況は大変悪い。急坂が多い上に雨でぬかるみ、至るところに水溜りがある。何度も自転車を押して歩く。しかも、分かれ道が多くて、どっちへ行けば山頂なのかもさっぱり分からない。方向もよく分からない。来た道をよく覚えておかないと、迷いそうだ。
 やがて、視界が開けてきた。といっても、山頂の表示はどこにもなく、それらしいところがいくつもある。この辺一帯が岩保木山の頂上ということなのだろうか。どうも釈然としないが、どうせ湿原もすっかり霞んで見えないので、道を間違えないように自分のタイヤの跡を辿って林道に戻る。気がついたら靴も自転車もドロドロで、バッグにも跳ねた泥がたくさんこびりついていた。
 さらに進むと、ようやく下りになった。急カーブの続く坂道をガタガタと下っていくと、初めてライダーとすれ違い、細岡から10キロほども走って踏切を渡ると、やっと広い砂利道に出る。

岩保木水門     岩保木水門

 その近くにあるのが新釧路川と旧釧路川を分ける岩保木水門。旧来の釧路川をゆったりと蛇行しながら釧路市内を抜けて釧路港に注ぐが、その流れをこの水門で遮断し、ここから釧路市西方の太平洋まで一直線に導水する人工の放水路が新釧路川である。釧路湿原も釧路市に近い南部一帯ではいろいろと手を加えられているようで、ここから眺める風景は湿原というより広大な干拓地のように殺風景に見える。
 日本最大の湿原・釧路湿原はラムサール条約の登録湿地にも指定され、その貴重な自然は厳重に保護されているが、逆にいえば、保護区から一歩外に出れば開発し放題ということでもあって、地図を見ると湿原に隣接してゴルフ場がいくつもあったりする。水門の近くでも丘陵が削られ、ダンプカーが次々と土砂を運び出していた。海岸や湿原の埋め立てに使うのだろうか。

     釧路にゴールイン

 昼頃には釧路に着くはずだったが、いつのまにか夕方が近づいてきた。遠矢でようやく国道391号線に復帰して釧路をめざす。あと10キロほど。交通量が増えて、都市近郊の雰囲気になってきた。信号待ちの回数が増え、沿道には大型ショッピングセンターなども目につくようになってきた。もう風景を楽しむわけでもなく、黙々と走るのみ。
 いつのまにか釧路町から釧路市に入り、根室本線のガードをくぐれば、もう市の中心部が近い。釧路は今回の旅で訪れたどの街よりも大きな都市であるが、それにしても、旅の初めの印象とはまるで違って、すごい大都会に見える。なんだかホッとするようでもあり、寂しくもある。
 ちょうど今晩は釧路市民北海盆踊りというのが催されるそうで、釧路駅前から幣舞橋に至る大通りで準備が進められている。今回は根室、網走、釧路と3つの都市でいずれも夏祭りにぶつかった。夏といっても、銀行の電光式気温計は14.9度を表示しているわけだが。

 16時半に釧路駅前に到着。やはり「無事ゴールイン」という気分にはなる。
 今夜もまた釧路駅のツーリングトレインに泊まることにして、駅構内の古びた客車内に荷物を置き、身軽になって街へ出る。
 和商市場で夕食をとり、それから釧路港に面した新しい観光スポット「フィッシャーマンズワーフ」や街なかの書店やレコード店、古本屋などを回り、駅前ビルで開催中の「アンネ・フランクとホロコースト」展にも立ち寄って、途端に深刻な気分になるうちに大通りで盆踊りが始まった。
 銀行やデパートなどの職場単位や市民グループ、地元政治家の後援会など各種団体がそれぞれに趣向を凝らしていたり、あまり凝らしていなかったりで、とにかく大通りの会場を踊りながら練り歩いている。まだ、あまり盛り上がってはいない。気温は夕方より少し下がって、14.2度になっていた。
 夜の街をあてもなく走り回り、駅前の海皇というラーメン屋(地元のFM曲のアンケートで第1位に選ばれたラーメン屋とのこと)に立ち寄ってから、ツーリングトレインに戻ると、ライダーの1人が和商市場で試食用の余りのカニをまとめて1,000円で譲ってもらってきた。毛ガニやタラバガニの手足などが発泡スチロールの箱にどっさり入っていて、僕もお裾分けに与り、集まったライダーやチャリダーと旅の話でひとしきり盛り上がる。
 今日の走行距離は73.5キロ。いよいよ明日は北海道ともお別れだ。


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