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夏の終わりのエピローグ (近海郵船フェリー:釧路〜東京)  1997年8月

 釧路を起点に根室、知床、網走、サロマ湖、屈斜路湖、摩周湖などをめぐった初めての北海道自転車旅行もいよいよ終わり。前日の夕方に再び釧路に戻り、あとはまたフェリーに乗って東京へ帰るだけである。


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 とうとう北海道で迎える最後の朝がやってきた。
 昨日は賑やかな都会に見えた釧路の街が今朝はまだ白々とした冷気に包まれて静かにまどろんでいる。立ち並ぶビルはどこも目覚めておらず、だだっ広いアスファルトの上をクルマのタイヤの乾いた音だけが往来している。

 東京行きのフェリーの出航は正午なので、時間にはゆとりがある。
 7時半過ぎに釧路駅前を出発したものの、まだ和商市場も開いていないし、朝食はどうしようかと考えていたら、釧路に着いた最初の晩に夕食をとった定食屋がこんな朝早くから開いているのに気づいて訪ねてみた。
「あら…」
 おばちゃんも僕のことを覚えていてくれた。
「無事に帰ってきたのね」
 バイクや自転車の旅行者がしばしば立ち寄るけれど、大抵はそれきりだから、何ごともなく旅を終えたのかどうかと考えることがあるそうだ。無事に釧路に戻ってこれたことを報告できただけでも最後に立ち寄ってよかった。
「何がいい?」
「えーと、何にしようかなぁ」
「さんまのピリカラ煮定食なんてどう?」
「あ、それがいいッスね」
 ご飯、しめじとえのき茸の味噌汁、納豆、イカの塩辛、白菜の漬物。こんな朝飯は久方ぶりである。
 カウンターには先日はなかったハーブの鉢植えがいくつか並んでいる。
「この間、買ってきたのよ。ちょっといいでしょ?」

 お客は僕だけで、食事が終わっても、すぐには立ち去りがたい気がして、つい長居をしてしまう。
「コーヒー飲むでしょ?」
 大きめのマグカップになみなみと注がれたコーヒーを出してもらって、旅先での見聞をまるで家族に聞かせるように僕は話し( 網走のコスプレ・チャリダーの話 が妙に受けた)、おばちゃんも娘さんと2人でグアムへ旅行した時のことなどを楽しそうに語ってくれた。ほかにも天気の話から世間話まで話題は尽きず、結局、お店で1時間ほど過ごしてしまった。
「じゃあ、そろそろ行きます。ごちそうさまでした」

「これが私の自転車…」
 見送りに出てくれたおばちゃんは僕の自転車を見て、店の前に止めてある自分の愛車も誇らしげに見せてくれた。後ろにカゴのついた三輪自転車。これで近所の長崎屋や和商市場へ買い物に行くのだそうだ。この街の日常を生きる人の自転車はさすがに街の風景によく馴染んでいる。単なる通りすがりの旅の自転車はやはり少し浮いている。

「今日は暖かくなるわ」
 すっかり身体に馴染んだ大気の感触を確かめるようにおばちゃんが呟く。こういう微妙な感覚はよそ者にはなかなか分からないのだが、確かに見上げた空には雲の合間から青い色がのぞいていた。今回の旅はずっと雨や曇りの日ばかりだったのに皮肉なことである。考えてみれば、夏には滅多に晴れることのない霧多布が素晴らしい晴天だったことで、天気に関する運をすべて使い果たしてしまったのかもしれない。根室の落石では星空を眺める楽しさを覚えたのに、結局、あれ以来、夜空に星が輝くことは一度もなかった。そして、いよいよ北海道を離れる日になって、この青空である。といっても、太陽がギラギラと照りつける夏空というよりは、何かを諦めたような儚げな青さではあるけれど。

近海郵船フェリー「サブリナ」 それから和商市場へ寄って花咲ガニと毛ガニを東京へ発送し、フェリーターミナルのある釧路西港へ向かう。
 最初に釧路に着いた日はいきなりの強い雨の中を走ったせいか、ずいぶん遠く感じたけれど、今日はあっという間にターミナルに着いた。
 港には近海郵船フェリー「サブリナ」が停泊していた。なんだかずっとここで僕の帰りを待っていてくれたような錯覚を覚えるが、もちろん今朝7時半に東京から着いたばかりである。

 同じように旅を終えようとしているクルマやバイクや自転車の旅行者たちに混じって、10時に乗船手続きを終え、自転車の乗船は11時からと告げられる。ターミナルビルにも売店はあるけれど、これでもう北海道の大地を走ることはないのかと思うと、名残惜しくなり、また自転車で近所まで出て、新富士のセイコーマートで弁当やパンやお茶やお菓子などを仕入れてきた。今回の旅ではセイコーマートにずいぶんお世話になった。

 11時10分頃、乗船。指定された2等の寝台に荷物を下ろし、とりあえず落ち着く。ひとつの旅が終わるのは寂しいけれど、これから東京までの長い航海を思うと、それはそれで楽しみでもある。

 12時10分。貨物の積み込みに時間がかかったため定刻より10分遅れて、「サブリナ」はタグボートにグイグイと引っ張られて、すっかり晴れ渡った釧路西港の岸壁を離れた。東京到着予定は明晩20時40分。32時間半の遥かな海の旅路である。

 港内で方向転換を終え、仕事を終えたタグボートが引き上げていくと、大きくて優美な白い船体は防波堤の間をすり抜けて太平洋へと出ていく。
 船が白い航跡を描くにつれて大地との間にどんどん海面が広がり、陽射しに霞む釧路の街が遠ざかっていく。言い知れぬ寂しさが込み上げてきた。

 船のあとをたくさんのカモメやウミネコがついてくるのは、まるで名残を惜しんで見送ってくれているようで、1羽1羽が愛しく思えるが、じつは子どもたちが投げるスナック菓子が目当てである。
 そのカモメたちも1羽、また1羽と脱落して港へ引き上げていき、いつまでも頑張っているのは灰色の幼鳥1羽だけになった。幼さゆえにあとさきのことを考えずに夢中で船を追いかけてくるのではないかと、こちらの方が不安になったが、その最後の1羽もついに振り切って「サブリナ」は進む。
 といっても、右舷には北海道の大地が横たわり、製紙工場の煙突や海沿いを走るクルマも小さく見える。上り便は今年の4月から東京へ直行せず、広尾の十勝港にも寄港するようになったため、そこまでは北海道の沿岸を進むようだ。

 コンビニ弁当の昼食を済ませ、船内のテレビを見ていたら、14時11分に釧路で震度3の地震があったという速報が流れた。数年前には釧路地方でわりと大きな地震が何度か発生し、かなりの被害も出たが、最近は地震がない、という話を今朝、定食屋のおばちゃんとしたばかりである。
広尾・十勝港に寄港
 文庫本を片手にのんびり過ごすうちに、再び陸地が接近してきた。
 平坦な釧路とは異なり、高く険しい日高山脈に抱かれた十勝港への入港は15時40分。ここでもクルマやバイクが乗り込み、貨物の積み下ろしもある。

 出航は17時。「蛍の光」が流れ、岸壁で女性職員が手を振って見送る中、船はボーッと汽笛を鳴らして静かに離岸した。
 日高山脈は逆光に霞み、幾重にも連なる峰々は光と影のグラデーションを帯びて神々しいほどだ。広尾の空には淡い虹が大きなアーチをかけ、旅の終わりを感動的に彩ってくれた。
十勝港を出航 日高山脈に沈む夕陽 (日高山脈の夕景)

 十勝港をあとに「サブリナ」は一路東京をめざす。
 右舷には日高山脈が南へ行くほど高度を下げながら連なり、日没が近づくにつれて蒼黒いシルエットと化していく。すでに光の届かない海岸部には霧が出ているようだ。ただ、船の上空にはまだ明るさが残り、美しく色づいた鱗雲が広がっている。こんな落日を最後にみたのはいつのことだったか、と旅の記憶を遡っていくと、サロマ湖の夕景が心に浮かんだ。
 海を渡る湿った風が冷たさを増し、Tシャツ半ズボン姿では甲板にいるのが辛くなったので、深い霧の立ち込める海に没する襟裳岬は船内から窓ガラス越しに眺めた。それが今回の旅で最後に目にした北海道の大地である。本日の日没は18時20分。
  (襟裳岬)

 船内レストラン「ラビアンローズ」での夕食。ハンバーグ定食を注文。
 La vie en rose.バラ色の人生か…。食後の紅茶を片手に、すっかり闇に包まれた窓の外に目をやりながら、バラにもいろんな色があるけれど、「バラ色の人生」のバラ色ってどんな色だろうか、などとつまらないことをしきりに考える。
 そんな間にも「サブリナ」は夏の幻影を追い求めるように南へ南へと休みなく航行を続けている。


 
(東京湾の夕景)
                                             1997年北海道自転車旅行記 おわり

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