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屈斜路湖 1998年8月
この日は一日雨のため、屈斜路湖畔・和琴半島のキャンプ場に連泊。昼間は和琴半島周辺の散策、夜はアイヌ詞曲舞踊団「モシリ」のライブを観にいきました。
雨の朝
和琴半島は朝から雨である。しかも、かなり降っている。
今日はもうどこへも行かず、ここで連泊しよう。無料の露天風呂もあるし、売店や食堂もあるからキャンプ生活には好都合だし、何よりもこういう悪天候の日はそばにたくさんの人がいるというだけでも心強い。レストハウスには洗濯機と乾燥機も完備されているので、朝一番で洗濯をする。
和琴半島
ところで、和琴半島は全体がこんもりとした自然林に覆われた小高い山で、山頂の標高は216メートル。屈斜路湖の水面標高が121メートルなので、正味の高さは95メートルということになる。
この小山は今から1〜2万年前の火山活動によって屈斜路湖内にできた溶岩ドーム(円頂丘)の火山島で、それが土砂の堆積により湖岸に繋がったものだといい、その基部がキャンプ場になっている。
ちなみに地名の語源はアイヌ語で魚の尾のくびれたところを意味するワコッチで、それに大正10年にこの地を訪れた大町桂月(またこの人か…)が和琴の漢字を当てたのだそうだ。
和琴半島を歩く
その和琴半島には一周2.4キロの自然探勝路があるので、レインウェアに身を包み、傘をさして散策に出かける。湖岸の斜面にへばりつくような、意外に起伏の多い道である。
途中に設置された解説板によれば、摩周湖がインディゴブルー(藍色)であるのに対して、屈斜路湖の水はコバルトブルー(空色)に見えるという。これは昭和13年の湖底噴火により水質が酸性化し、また湖岸に湧く温泉成分の微粒子が溶け込んでいるために太陽光線が散乱して、このような色に見えるのだそうだ。といっても、今日は雨模様で、湖面は暗い緑味を帯びた鉛色である。その沈んだ色調と同じように僕の気持ちもパッとしないまま、眼下に湖面を眺めつつ、林の中の細道を時計回りに歩く。
豊かな原生林は樹木の種類も多く、トドマツやエゾマツのほか、イチイ、オヒョウ、ミズナラ、カツラ、シナノキ、ホオノキ、ヤマモミジ、イタヤカエデ、アサダ、アオダモなどが茂っている。
巨木も多いので、その下を通るたびに立ち止まって、リスでもいないかと見上げてみる。シマリスには会ったことがあるが(今回はまだ死骸だけだが)、野生のエゾリスはまだ一度も見たことがない。この森のどこかにいるはずだが、残念ながら今回も姿を見せてはくれなかった。ここにはクマゲラも棲んでいるそうだが、こちらもそう簡単には出てきてくれない。その代わり、アカゲラの姿を目撃することはできた。野鳥はカラ類が多いようだ。ほかにはエゾアカガエルが2匹。林の中にはアジサイに似たノリウツギの白い花が咲いている。
ところで、和琴半島といえば最北のミンミンゼミ発生地として知られるが、今年も全く声を聞かない。例年に比べて寒い夏だからだと思うが、実際に近年は数が減っているという。
半島の先端付近には硫気孔の跡がある。酸性土壌のため木は生えておらず、草やコケ類が見られるだけ。しかし、地熱のおかげで冬でも雪が積もらず、コオロギの声が年中聞かれるという。今も草むらでリーリーリーと鳴いている。
オヤコツ地獄と屈斜路湖のおいたち
そこから階段を下るとオヤコツ地獄。半島先端の湖岸から今も盛んに噴気を上げ、温泉が湧いている。この大地は生きている、そう実感させる光景である。
そもそも、この屈斜路カルデラは遠い昔の火山活動の結果として形成されたもので、大雑把に言えば、次のようなプロセスを辿ったものだという。
まず、数十万年からの火山活動により成層火山が形成される。それがその後の大規模な火砕流を伴う爆発的噴火を繰り返し、山体は吹き飛び、大量のマグマの噴出による火口の拡大と陥没によって巨大な窪地、つまりカルデラが誕生する。それがおよそ4万年前のこと。この時に放出された膨大な量の噴出物は道東地方一帯の大地を覆っているという。
このカルデラの底に水がたまってできたのが屈斜路湖であるが、火山活動はそこで終わらない。さらに次々と噴火を繰り返し、屈斜路湖の中島や和琴、アトサヌプリ(硫黄山)などの溶岩ドームをあちこちに噴出させたのである。
その結果、初めは広大なカルデラの底全体に水を湛えていた屈斜路湖も東半分が埋め立てられ、現在の形になったわけである。屈斜路湖の水深は大体40メートル程度だが、和琴半島沖には深さ117.5メートルに及ぶ爆裂火口があるという。
ちなみに隣の摩周湖は屈斜路カルデラの東壁のすぐ外側で1万数千年前に始まった噴火活動により形成された成層火山が7,000年ほど前の爆発的噴火で山頂部が破壊されて形成されたカルデラ湖である。その後、摩周湖が再び噴火活動を開始してカムイヌプリ(摩周岳)やカムイシュ島を噴出したというわけで、この地域の一連の火山活動の凄まじさは想像を絶する。
いま我々が目にしている屈斜路湖や摩周湖の美しい姿は地球の歴史のほんの一瞬の姿に過ぎないのであって、これからも大地は激しくその形状を変えていくのだろう。あの富士山だって、いつの日か爆発的噴火によって山体が崩壊し、巨大なカルデラを誕生させるかもしれないし、我々日本人はそんな大地がいつ暴れ出すか分からない火山と地震の国に暮らしているわけだ。
ひまつぶし その1
1時間ほどかけて散策路を一周すると、早くも暇を持て余すようになる。
湖畔にはボートやカヤックが並んでいるが、この雨では乗る人もいないし、レストハウスも開店休業状態。
和琴半島自然教室というのがあって、展示室内に動物や鳥類の剥製標本やさまざまな展示パネルがあったが、丹念に見ても大した時間つぶしにはならない。湖畔の露天風呂(写真)もひっそりしている。
アイヌ民俗資料館
何もすることがないので、雨の中を自転車で走り出す。どういう思考回路をしているのかと思われそうだが、自分でもよく分からない。
まずは5キロほど離れた釧路川の源流に近い屈斜路コタンの弟子屈町立アイヌ民俗資料館を訪れる。近年、巷では縄文文化に対する関心が高まっているが、その延長線上にあるアイヌ文化からも現代人が学ぶべきことは非常に多い。自然との共生ということが盛んに言われるが、それがどういうことなのか、手がかりはアイヌ文化の中にあるような気がする。
丸木舟とアイヌ詞曲舞踊団「モシリ」
資料館の次は隣の「丸木舟」という店に入る。昨年、ここで食事をした時に店内に流れていた「モシリ」というアイヌ詞曲舞踊団の音楽に出会い、その不思議な音世界にすっかり魅せられてしまったのだが、彼らのCDは通信販売を除けば、ここでしか入手できないらしいのだ。それでまた食事がてらCDを買いにやってきたわけである。
基本的にはドライブインだが、宿泊もできる店で、外観は不思議な装飾が施され、モシリのシンボルマークが掲げられて、かなり風変わりな印象を受ける。
店の中には今日も例の音楽がかかっていた。さざ波のようなシンセサイザーに力強い男性の叫び声、神秘的な女声コーラス、ピアノ、サックス、ウッドベース、パーカッション、そしてアイヌの民族楽器ムックリ(口琴)などがさまざまに絡み合って、土俗的かつ宇宙的、古代的かつ現代的、素朴でありながら洗練された音楽を響かせている。
これまでに彼らは11枚のCDを出していて、まだ1枚しか持っていないのだが、この音を耳にすると、やはり全部揃えたい、と改めて思ってしまう(注*現在は13枚のCDがあります)。
それから夜にはここでモシリのライブもあるそうで、それも観てみたい。フロアの奥に雛壇状の観客席があるから、夜にはこのフロアの椅子やテーブルを片付けてステージに早変わりさせるのだろう。パンフレットによれば、4月末から10月中旬まで毎晩ライブをやっているらしい。過去にマスコミにもたびたび紹介されているそうで、想像以上に精力的に活動している人々のようだ。
というわけで、意識のほとんどを音楽に吸い寄せられたまま、食事を終え、販売コーナーに並べられたCDを手にとって見ていると、ウェイトレスが、
「今かかっているのは、これの5曲目です」
と教えてくれる。『カントコロカムイ〜天の神々』と題された6作目のアルバムである。昨年もここで
5作目
を買ったのだと明かすと、
「1枚目もおすすめですよ」と言う。なかなか商売上手でもある。
彼女の薦めに従って1作目の『カムイチカプ〜神の鳥』と6作目の2枚を購入し、ついでに本日のライブのチケット(1ドリンク付き3,600円)も買う。今夜また出直してこなければいけないが、それまでには雨も止んでいるだろう。根拠はないが、そう期待したい。
モシリのホームページは
こちら
ひまつぶし その2
和琴に戻り、本当にヒマなので、また半島を一周したり、湖畔の無料公衆浴場に寄ったりした後、テントの中に寝転がって、買ったばかりのCDのジャケットの解説文(哲学者の梅原猛氏や演奏にも参加しているサックス奏者の坂田明氏などが一文を寄せている)を読んだりして時間をつぶす。予想に反して、雨は一向に止む気配がないまま、日が暮れてきた。
恐怖の雨中夜間走行
夕食後、雨はまだ降っている。というより、テントを打つ雨音はだんだん強くなってきた。こんな天候の中を出ていくと、かなり悲惨なことになりそうだ。何よりも、雨水ポタポタのビショ濡れ状態ではライブ会場に入りにくい。困ったなぁ。行くのはやめようか。そう思いながらも、一計を案じた。とりあえず、ずぶ濡れは覚悟の上で屈斜路コタンまで突っ走る。そして、「丸木舟」のすぐ隣のコタン温泉でまず一浴し、身なりをととのえてから会場へ行けばよい。よし、そうしよう。
というわけで、リュックに入浴道具と着替えを詰め、完全防水装備にサンダル履きで降りしきる雨の中、19時前に出発。ライブの開場は20時、開演は20時30分である。
いざ走り出して国道に出ると、雨の日の夜間走行が想像以上に恐ろしく危険であることが分かってきた。対向車が来ると、水滴で埋め尽くされたメガネのレンズにヘッドライトが乱反射して、前が全然見えなくなるのだ。しかも、道端には突然側溝が現われたりして、誤って突っ込んだら大ケガ間違いなしである。闇より暗い光というのもあるのだ、などと考えながら、自転車のライトが照らし出す3メートル先の路面に目を凝らして超低速で進み、対向車が来るたびに停まってやり過ごす。ここまでしてライブを観に行く客はほかにいないだろう。
国道から左折すると、今度は通る車もない真っ暗な道で、こんなところでヒグマに遭遇したらどうしようか、と案じながら、ビュンビュン飛ばして屈斜路コタンに到着。
コタン温泉
「丸木舟」の裏手の湖岸の露天風呂には雨の中でも先客がいた。何はともあれ、お湯に飛び込みたいが、ビショ濡れのレインウェアや汗でべとつくTシャツを脱ぐだけでも一苦労。ようやくお湯に足をつけると、不快指数100パーセントから快感指数100パーセントへ大転換。この喜びは大きい。
お湯に浸かっていたおじさんは地元の人で、ほぼ毎晩ここへ来ているそうだ。僕が「丸木舟」にライブを観にきたのだと言うと、おじさんも一度だけ観たことがあるという。
「なんか変わったことやってるよ」
これはたぶんごく普通の人のごく普通の感想だろうと思う。僕としては、あの音楽をどれだけライブで再現できるのか、期待半分、不安半分というのが正直なところである。
アイヌ詞曲舞踊団「モシリ」ライブ
さて、さっぱりと気分を一新して、けさ洗濯したばかりのTシャツに着替えて、濡れた衣類は袋に詰めて、ちょうど開場時刻に「丸木舟」に出向いた。
僕は東京のライブハウスの雰囲気を思い浮かべて、今夜もそれなりにお客が詰めかけているのだろうと勝手に想像していた。ところが、お客はわずか5人であった。小学生の男の子がいる3人家族と僕とおばさん1名。ちなみに収容人員は立ち見も含めて123名だというが、4月から10月までの半年間、ライブは客が1人でもいるかぎり原則的に毎晩行われるそうである。(注*現在は変更になっています)
そうこうするうちにブザーが鳴って幕が開いた。昼間のドライブインと同じ場所とは俄かに信じられないほどの異空間に男性の雄々しい声が響き、重厚なシンセサイザーが波のように押し寄せる。
それから繰り広げられた演奏、歌、踊りを統合したパフォーマンスは予想を遥かに超えた完成度の高いものであった。舞台美術や照明や映像も凝っていて、踊り子たちのアイヌの民族衣装を基調にデザインされたコスチュームも艶やかで素晴らしい。
演奏は「モシリ」の中心人物で、すべての曲を作り、舞台の演出も手がけるアトゥイさんのギターと打楽器のほか、舞台の両袖にシンセサイザー奏者がいるだけで、打ち込みの音源も使っているようだったが、あくまでも主役はリードヴォーカルのシノッチャキ房恵さんと踊り子たちである(ちなみに踊り子たちの多くはアトゥイ氏の娘さんだそうだ)。
アイヌ語の歌と呪術的な雰囲気の踊りを中心に進行するプログラムは「モシリ」が単なる音楽集団ではなく、まさにアイヌ詞曲舞踊団であることを実感させてくれる。とりわけ、感銘を受けたのは2人の女性によるムックリの二重奏。シマフクロウの映像をバックに、風や雨の音、フクロウの声などを表現するその響きがあまりに不思議で、すっかり心を奪われた。
踊り子たちが次々と衣装を替えて出てくるので、「モシリ」のメンバーが総勢で何人いるのか正確な数はつかめなかったが、10人近くはいたようだ。つまり出演者が観客の倍もいるという、なんだか申し訳ないような状況だったにもかかわらず、そんなことには全くお構いなしの妥協のない素晴らしいパフォーマンスであった。
アイヌの人々が遠い昔から受け継いできたアニミズム的で呪術的な祝祭空間を再現したようなステージを通じて、カムイ(神々=自然)とともに生きてきたアイヌの文化が決して過去のものではなく、今もこうして生き続けているのだということを教えられた気がした。
ところで、驚いたことに、踊り子の中に昼間ウェイトレスをしていた彼女がいる。あとで知ったことだが、この「丸木舟」はモシリのメンバーが営む店なのだった。
1時間のステージが終わると、舞台上で記念撮影タイム。緊張感に満ちたパフォーマンスとは一転して、和やかで笑いにあふれたひとときである。僕も踊り子たちに囲まれて「両手に花ね」なんて言われながら写真を撮ってもらった。
さらに昼間買ったファーストアルバムのCDにアトゥイさんのサインももらった。
「オホロ・ラメトックコロ・ピリカ」
書き添えられたアイヌ語は「永遠の美しい勇気」という意味だそうだ。忘れないようにしよう。
さて、また雨の中を濡れながら帰るつもりだったけれど、ありがたいことに帰りは和琴まで車で送ってもらった。
モシリのメンバーの多くは阿寒湖畔のアイヌコタンで生活していて、ライブ活動と自主制作のCDの販売だけで生計が成り立つはずもないから、昼間は民芸品店などで働き、毎晩ライブのために片道60キロの道のりを屈斜路湖畔まで通ってくるそうだ。アトゥイさんの娘さんたちも交替で出演しているとのこと。あれだけ弛緩のないパフォーマンスを連日こなすのは本当に大変なことだろうと頭が下がる思いだ。
阿寒湖畔では先日、8月なのに日中の気温がヒトケタなんていう日もあったなどという話を聞くうちに和琴に到着。今夜は豊かな気持ちで眠りにつけそうだ。
本日の走行距離は20.2キロ。
モシリの名誉のために付け加えておきますが、モシリのライブはいつもお客がこんなに少ないというわけではありません(1人ということもあったそうですが)。1999年にも丸木舟でライブを観ていますが、40人以上のお客がいましたし、2000年2月の東京公演は芝公園のabc会館ホールの定員400人のところに2倍以上の申し込みがあり、即日完売、400人以上がチケットを入手できなかったそうです。僕もキャンセル待ちで辛うじてチケットを買えました。また、お客の大半がリピーターということなので、一度見ると、ハマる、ということでもあるようです。屈斜路湖へ行かれることがあれば、ぜひ!
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