このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

屈斜路湖と摩周湖 1997年8月

 今日の走行ルート:屈斜路湖・和琴半島〜屈斜路コタン〜川湯〜摩周湖〜弟子屈〜和琴半島(66.8キロ)

  屈斜路湖の和琴半島を拠点にカヤックを楽しんだり、摩周湖までサイクリングに行ったりの一日。


   戻る    前日へ     翌日へ     トップページ


     カヤックに挑戦

 屈斜路湖畔のキャンプ場で迎える朝。朝風呂に浸かり、和琴半島の自然探勝路(周囲2.4キロ)を散策してきた後、レンタルのカヤックに挑戦してみた。
 カヤックとは空洞になった艇内に下半身がスッポリおさまるタイプの細身のカヌーで、両端に水かきのついた1本のパドルで操る。バランスを取るのが難しそうだし、僕には縁のない乗り物だと思っていた。しかし、ほかの人たちが乗っているのをしばらく見物していると面白そうだし、静かな湖上ならそれほど難しくもなさそうなので、ちょっと試してみようという気になった。
 料金は30分で700円。まずは救命胴衣を着用し、係りの兄さんにパドルの操作法やバランスの取り方を簡単に教わり、今シーズンひっくり返ったのは2人しかいないと言われ、湖の真ん中へ行くより、湖岸沿いに進んだ方が面白いとアドバイスを受けて、いよいよ湖上へ漕ぎ出す。
 両膝を左右の内壁に押しつけるようにしてバランスを保ち、ちょうど自転車のハンドルのように握ったパドルで左右交互に水を掻いて進む。
 初めは思い通りに進まなかったが、すぐにコツをつかみ、半島中ほどの湖岸へと向かう。険しくて陸上からはなかなか近づけない場所である。鬱蒼と茂る木々が岸辺から湖面を覆い、緑の影がゆらめく水は湖底まで見透かせる。
 とにかく、ちょっとした探検気分でチャプチャプと音を立てて水を切るように進んでいくと、実に楽しい。病みつきになりそうだ。いつまでも乗っていたい気持ちになったが、とりあえず30分で岸に戻った。

     あてはないけどサイクリングに出発

 さて、あまりに居心地がいいので、このキャンプ場に連泊することにして、これからこの一帯をぐるっとサイクリングしてこよう。荷物はすべてテントに残して、自転車にはバッグ類も一切つけず、ウエストポーチに財布とカメラだけ入れて出かける。服装もいつもはTシャツに半ズボンだが、少し肌寒いので今日はTシャツの上に綿の長袖シャツを着て、下もジーンズにしてみた。ジーパンはサイクリングには不向きなのだが、どうせそんなに長距離を走るわけではないので、まぁ、いいだろう。
 とにかく、いつになく身軽なスタイルであてもなく走り出す。
 とりあえずは国道243号線に出てみたが、本当に行くあてがないと、どうも気合いが乗ってこない。無気力無目的で走るには北海道は広すぎる。ペダルを踏むにも力が入らないが、それでもゆっくりと弟子屈方面に進むと、ホクレンのガソリンスタンドがあり、そこを左折。このあたりが屈斜路湖の最南端で、ここからは東岸沿いに北上して川湯方面へ向かう。
 それにしても、こんな格好だと地元民が自転車で走っているようにしか見えないのか、すれ違うライダーたちはいつもほどには挨拶してくれない。時たま出会うチャリダーも旅行者同士の挨拶をしていいものかどうか迷っているようで、こちらが手をあげると、少し慌てたような顔つきで挨拶を返してくれる。どこへ行ってもその土地の風景に馴染んだ地元民に見えるというのが、僕の旅のひとつの理想なので、結構楽しい気分になる。

     釧路川の源流

 のんびり走っていると橋があった。下を流れるのは釧路川。ちょうど屈斜路湖から湖水が流れ出す、まさに源流部である。ダムや水門や護岸などの人工の構造物は一切なく、原始の姿のまま、川は鬱蒼とした原生林の間をとうとうと流れてゆく。広大な釧路湿原を貫流し、釧路市で太平洋に流れ出るまでの長い旅がここから始まるのだ。

     アイヌ民俗資料館

 その橋の北側には弟子屈町立のアイヌ民俗資料館がある。ここは屈斜路コタンといって、古くからアイヌの人々が集落(コタン)をつくって暮らしてきた土地なのである。
 8月だというのにストーブが焚かれた館内には屈斜路湖の形成過程から始まって気候風土や動植物などこのあたりの大自然の紹介と、その中で暮らす人々の衣食住や祭り、自然と共生する知恵などに関する数々の資料が映像や音声も交えて展示されている。
 自然に対する畏怖と感謝から生まれた豊かな文化は人々の生活に節度と秩序をもたらす。それは現代人が失ったものでもある。アイヌの文化から学ぶものはかなり多い。

     アイヌ詞曲舞踊団「モシリ」との出会い

 資料館の隣の「丸木舟」という店で昼食。メニューの中にホワイトラーメンというのがあり、どんなものかと聞いてみると、スープが牛乳ベースなのだという。あまり美味そうだとは思わなかったが、つい注文してしまう。実際、味についてはあまり印象に残っていない。というより、いつしか僕の意識はラーメンよりも店内に流れる音楽に集中していたのだった。
 さまざまなパーカッションとアイヌの伝統楽器ムックリ、小川のせせらぎのようなピアノが謎めいた森の奥に迷い込んだような雰囲気を醸し出し、地を這うようなベースやクラリネットや神秘的な女声コーラスが不思議に重なり合って、めくるめく世界を展開していく。なんだろう、この音楽は。
 店の片隅には何種類もCDが並べて売られているが、あれが今かかっているのだろうか。ラーメンは半ば無意識に食べ終えて、代金を払い、CDを手にとってみる。「モシリ」というアイヌ詞曲舞踊団(とパンフレットに書いてあった)のもので、11枚ものアルバムが出ているようだ(注*現在は12枚)。店の人に聞くと、通信販売でのみ売られていて、直接買えるのはここだけだという。
 今流れていたのは「ウレシパ・モシリ(互いに育てあう世界〜地球〜)」という第5集だそうで、坂田明やフェビアン・レザ・パネ、吉野弘志、八尋知洋などといった著名な音楽家も参加している。思いがけない発見をした気分で、とりあえず、それを買う。これで東京に帰ってからの楽しみがひとつできた。


  モシリについての情報は こちら

   1998年のモシリ・ライブ体験記

     砂湯

 CDをウェストポーチにしまい、再び湖畔の道を走り出す。といっても、道路は林の中を通っていて、湖はあまり見えない。新緑や紅葉の季節は美しいだろうな、と思わせる気持ちのよい道ではある。
 付近には温泉が点在し、オートキャンプ場などもあるので、観光のクルマが多く、林が切れて湖岸に出られる場所はどこも賑わっている。とりわけ有名なのは「砂湯」で、湖畔の砂浜を掘ると温泉が湧き出す。かつて雪の季節に来たことがあり、その時は湖面がその一帯だけ凍っておらず、白鳥がたくさん集まっていた。あの日はほかに観光客の姿もなく、ひっそりしていたから、今日は印象がまるで違う。

     川湯温泉

 屈斜路湖畔を離れると、まもなく川湯の温泉街に入る。
 高校時代に川湯駅(現・川湯温泉駅)に近いユースホステルに泊まった時、ここまで温泉に入りにきたのだが、どうも記憶が曖昧で、こうして走ってみても、過去と現在が結びつかない。あの時は翌朝、摩周湖へ日の出を見にいき、朝食後には硫黄山や屈斜路湖や美幌峠へ連れていってもらったのだが、すべてクルマでの移動だったから、僕は運ばれているだけで、「点」ごとの記憶はあっても、それがちゃんと「線」で繋がっていないのである。
 
それはともかく、温泉街には旅館やホテルが並んでいるものの、あまり活気は感じられず、「空室あります」の札が出ていたりする。北海道をある程度の日数をかけて家族で旅行するとなると、宿泊費だけでもバカにならない。旅館やホテルに泊まっていたら、莫大な費用がかかる。それでキャンプ場はどこも賑わい、こうした旅館街は閑古鳥が鳴くという現象が起きているのかもしれない。町なかに温度計があって、気温は「12.3℃」と表示されていた。今日はまた一段と寒い。

     硫黄山(アトサヌプリ)

 温泉街を抜けると硫黄山が見えてくる。至るところで噴気が上がる活火山で、標高は512メートル。巨大な屈斜路カルデラの中央火口丘であるという。山には全く木が生えていないから、アイヌ語でアトサヌプリ(裸の山)と呼ばれている。山の周辺も亜硫酸ガスの影響で樹木は少なく、ツツジばかりが群落をつくっている。エゾイソツツジという種類で、初夏に白い花を咲かせるそうだ。
 観光バスやクルマやバイクがひっきりなしに出入する駐車場の片隅に自転車を残し、大勢の観光客に混じって強い硫黄臭が立ち込める中を歩いていく。黄色く変色した地面のあちこちに噴気が出て、熱泉が湧いている。ゆで卵を各自で作れるように生卵を売っているが5個で400円もする。
 それにしても、場所によっては周囲が全く見えなくなるほどのガスだが、人体に害はないのだろうか。明治時代には硫黄採掘のために囚人が使われ、過酷な労働条件の下で多数の死者を出したほか、失明する者も続出したという話を聞いたことがあるのだが。

     川湯温泉駅とサイクリングトレイン

 硫黄山のすぐ東に釧網本線の川湯温泉駅がある。かつては川湯駅だったが、観光客へのアピールを狙って改称された。この手の駅名変更が最近は珍しくなく、南へ2つ目の弟子屈駅も今は摩周駅に改名している。
 その川湯温泉駅は駅舎も「オーチャードグラス」というレストランに変身していた。ホームにはちょうどディーゼルカーが停まっていて、先頭部に「サイクリングトレイン」というヘッドマークがついている。これは今年(1997年)からJR北海道が道内のいくつかの路線で走らせていて、自転車をそのまま車内に持ち込めるという画期的な列車である。釧網線では夏休み期間中に釧路と川湯温泉の間で1日1往復している。その釧路行きが動き出したので、どれだけ利用者がいるのかと車内をのぞいてみたが、自転車どころか乗客の姿も全然見えなかった。
 僕も今回は利用のチャンスがなさそうだが、ぜひとも全国的にどんどん普及して欲しいと思う。都会の満員電車は無理としても、自分の自転車を自由に列車内に持ち込めて、どこへでも気軽に行けるようになれば、特にサイクリング好きでなくても利用しようという人は多いと思うし、列車で旅行する人も増えるのではないだろうか。

     摩周湖展望台へ登る

 14時過ぎに川湯温泉駅をあとにして、次は摩周湖へ行く。最初は目的もなく走っていたが、いつのまにか目的がはっきりしてきた。
 駅のすぐ南側にある踏切が川湯から摩周湖第三展望台、第一展望台を経て弟子屈へ下る21.3キロのルートの入口である。この道の弟子屈〜第一展望台間は年中通行できるが、残りの区間は冬期閉鎖となる。僕は摩周湖へは何度も行ったが、すべて雪の季節だったから、弟子屈側から上った。なので、川湯から上るのは初めてである。ちなみに地図によれば、川湯の標高は130メートル程度で、摩周湖第三展望台付近には668メートルと表示があるから標高差は500メートル以上にもなる。まぁ、なんとか行けるだろう。
 しばらくは牧場があったりして、道も平坦だったが、すぐに摩周カルデラの外輪山にとりつき、ヘアピンカーブの連続する急な上りとなった。ギアを軽くして、ゆっくりゆっくり重いペダルを踏む。展望台までは10キロぐらいはありそうだ。
 額の汗が止めどなく流れ、目はしみるし、口の中は塩辛い。長袖シャツは脱いで腰に巻き、Tシャツ姿になって悪戦苦闘している側をデラックスな観光バスが前から後ろから次々と通り過ぎる。快適に運ばれていく観光客を羨む気持ちはまるでないが、彼らからどんな風に見えるのか、とは考えてみる。まぁ、どうでもいいけど。

 だいぶ上ってきたな、と思う頃、道路際にキツネらしき動物の死骸があった。クルマに轢かれたらしい。カラスにでもつつかれたのか、原形をとどめぬほど変わり果て、散乱しているが、飛び散った血や肉片はまだ鮮度が高いようだった。

     摩周湖第三展望台

 もう少し、もう少し、と自分に言い聞かせながら上り続けると、やがて右下の視界が一気に開ける。道路際に狭い駐車スペースがあり、そこに摩周湖第三展望台の標識があった。あれ、ここがそうか。川湯からちょうど10キロ。時計は見なかったが、恐らく1時間はかからなかったろう。もっと観光地らしいところかと思っていたが、売店などは一切ない。わずかにクルマやバイクがあるだけで、人もまばら。バスは素通りしていく。商売に結びつかない場所に観光バスは停まらないのだ。

(眼下に硫黄山と屈斜路湖が見える)

 眼下には森と畑と牧草地がさまざまな緑色や茶色のパッチワークのように広がり、その向こうに硫黄山が噴煙を上げ、その彼方に屈斜路湖が見える。ずいぶん高いところまで上ってきたな、と思う。硫黄山ですら見下ろす位置にあるのだ。
 駐車場から道路を渡って反対側へ石段を上ると、展望台があり、眼下に摩周湖が深い藍色の湖水をたたえていた。氷のない摩周湖は初めて。空は曇っているのに、湖面は青く、湖上の空気までが青く染まっているように見える。周囲を急峻な崖に囲まれたカルデラ湖。流れ込む川も流れ出る水もない孤高の湖である。

  

 展望台の正面には標高857メートルの摩周岳。アイヌ語でカムイヌプリ、つまり神の山と呼ばれる火山が聳え、摩周岳から垂直に視線を下ろすと海抜351メートルの湖面には小さな島が浮かんでいる。カムイシュ島といい、神となった老婆の意味だそうだ。アイヌの人々もこの湖には神秘的な何かを感じていたのだろう。深みのあるブルーの湖面を取り巻くカルデラ壁を覆う緑の樹林も美しく、とりわけダケカンバの幹の白さがきわ立っている。

 それにしても、摩周湖といえば霧だけれど、僕はどうも相性がいいようだ。数えてみると摩周湖へ来るのはなんと6回目(1日2回を含む)にもなるが、霧で見えなかったのは1度だけ。たまには霧の摩周湖とやらを見てみたいと思うほどである。
 吸い込まれるような風景に見とれていると、おじさんにシャッターを頼まれたので、ついでに僕もお願いした。
 訪れる観光客はみんなジャケットやセーターを着込み、秋を通り越して冬みたいな服装をしている。僕だけ汗をかいてTシャツ姿。少し浮いているかもしれない。

     摩周湖第一展望台

 厳粛な気分で摩周湖を眺めて、ここからは下り坂。グングン加速し、ビュンビュン風を切って疾走すると、初めは爽快だったが、急激に体が冷えてきて、3キロ下った第一展望台に着いた時には寒さで震えるほどになった。腰に巻いていた長袖シャツを急いで着込む。気温は間違いなくヒトケタだろう。
 その第一展望台は第三とはまるで違った雰囲気だった。すごい観光客の数。観光バスが次々と到着し、団体客がゾロゾロと降りてくる、という光景が延々と繰り返されている。



 ここでは摩周湖の写真を1枚撮っただけで適当に切り上げる。ただ、あまりに寒いので、観光客でごった返す暖房のきいたレストハウスでホットミルクを飲んで身体を温め、帰途につく。

   摩周湖ホームページ (ライブカメラで現在の摩周湖の様子が見られます。今日は湖面はちゃんと見えてますか?)



     摩周湖〜弟子屈〜和琴半島

 弟子屈までは下る一方。麓の摩周湖ユースホステルから湖まで5.5キロほどの道のりを早朝散歩と称して何度も歩いたので、大体覚えているが、初めこそカーブが続くものの、あとはほとんどまっすぐ下っていく。いずれにせよ、ペダルを全く漕がなくても、スピードがどんどん上がっていくが、後ろから観光バスが迫ってくるので、ひたすら飛ばしまくるわけにもいかない。安全第一である。
 前方から重い荷物を積んだ自転車の女の子が2人、苦しそうな表情で上ってきた。「がんばって!」と声援を送る。
 続いて、今度は自転車青年ともすれ違い、懐かしい摩周湖ユースホステル前を通過。まもなく弟子屈の交差点に出た。

 弟子屈から和琴までは国道243号線を15キロほどの距離。ジャガイモ畑や牧草地の中を時速30キロぐらいで快調に飛ばして、16時半にキャンプ場に着いた。
 夕食は近くの食堂でカツカレーを食べ、温泉で汗を流せば、あとはもうテントに戻ってラジオのナイター中継を聴くぐらいしかすることがない。夜になると東京の電波がここまで届き、合間に首都圏の交通情報などが聞こえてくる。
 いつのまにか眠ってしまい、ふと気がつくと、野球はとっくに終わっていて、森高千里が喋っていた。なぜか最後まで聞いてしまい、それからテントの外に出てみると、わずかな雲間から満月がのぞいていた。



  戻る    前日へ     翌日へ     トップページ
 

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください