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 《ドン行自転車最果て行き》 2001年8月

   礼文島


 利尻島からフェリーで、礼文島へ渡り、2泊しました。最南端の知床から最北端のスコトン岬、さらに西海岸の桃岩や元地や澄海岬まで自転車で走れる道はほとんど走ったと思いますが、この島の本当の魅力に触れるには徒歩が一番かもしれません。

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    利尻〜礼文航路

 いま、利尻島西海岸の沓形にいる。
 昨夜は星空だったのに明け方には雨もぱらつき、テントを出ると曇り空だった。相変わらず南西からの風が強い。

 昼のフェリー(1235分発)で沓形から礼文島へ渡るつもりだったが、それまで待つまでもないので、8時40分にキャンプ場を出発し、追い風に乗って鴛泊へ戻る。こちらからは1005分発の便があるのだ。
 礼文島まで僕が730円、相棒が580円。自転車の客はもう一人いて、彼は鴛泊のユースホステルに2泊したそうだ。
 今度の船は稚内から来る礼文島・香深行き「アインス宗谷2」。稚内を7時50分に出て、9時40分に鴛泊に到着。乗客の乗降と車両・貨物の積み下ろしを済ませて1005分に礼文島へ向けて出港した。
 利尻島から礼文水道を隔てて北北西の方角に浮かぶ礼文島香深港まで所要時間は40分ほどだが、海上は非常に風が強く、波も高く、船は大いに揺れた。
 乗客の投げるエサを目当てにウミネコの群れが風に吹き飛ばされそうになりながら懸命に追いかけてきて、結局、礼文島までついてきた。船と一緒に両島の間を行ったり来たりしているのだろうか。
 到着は定刻の1045分より少し遅れたようだ。船酔いとまでは行かなかったが、下船後もしばらくは地面が揺れているように感じた。

     陰鬱な島

うすら寒い礼文・香深港に到着 それにしても、なんて陰鬱な島だろう。島はすっぽりと霧に包まれ、非常に視界が悪く、いつしか雨も降っている。あまりにも暗く寒々として、すぐにでも帰りたくなる。
 途方にくれたまま、フェリーターミナルのビルの中へ避難。しばらくは何もする気にならなかった。
 手元の地図上では島に2か所のキャンプ場があるが、こんな天気だと屋根の下で寝たいので、宿泊案内所で「北海荘」という旅館を紹介してもらった。1人客は割増料金で、1泊2食付き8,000円だそうだ。たまにはこのぐらい払っても大したことないが、「ひとりは割増料金」などと言われると、いかにも歓迎されていない感じで、ますます気持ちが沈む。
 とにかく、ターミナルビルの2階の食堂で昼食をとった後、とりあえず近くの郷土資料館へ行ってみたり、土産物屋に入ったりして時間をつぶす。
 そんな調子で2時間ぐらい経ってしまい、13時を過ぎて、ようやく雨が止んだようなので自転車で走り出した。相変わらず霧で視界不良のままである。

     礼文島の概要

 ところで、礼文島はアイヌ語のレブンシリ(沖の島)に由来する。円形の利尻島とは対照的に南北に細長い島で、人口は4,000人弱。全体が礼文町に属している。
 面積も人口も利尻島の半分程度で、島の最高峰・礼文岳の標高は
490メートルだから利尻山(1,721m)の3分の1にも満たない。利尻島が山の島だとすれば、礼文島は丘の島である。しかし、島の西海岸は険しい海食崖が続くため、一部を除いて道路が通じておらず、島の幹線道路は東海岸を南北に貫く一本道だけといってよい。
 フェリーの着く中心集落・香深は島の南東岸に位置している。もっとも深い霧のせいで景色がほとんど見えず、道路地図による知識以上のことはまだ具体的なイメージを描けないでいる。とにかく暗くて寂しい島という、逃げ出したくなるような印象しかない。



     礼文島最南端〜知床

さて、とりあえずは海沿いの道を南へ行ってみよう。最南端まで5キロぐらいだろうか。
 霞んだ風景の中、寂しい気分でゆっくり自転車を走らせる。雨が降り出したら、いつでも港に引き返すつもりで…。
 北海道はどこも立派な道路が多く、利尻島もそうだったが、礼文の道は舗装されてはいても、幅が狭く、昔ながらの道である。
 点在する家は潮風に晒され白っぽくなった古い木造家屋が多い。どこの家も廃物利用のガラス窓などで風よけのフレームを造って、その中で花を育てている。そこに厳しい自然に晒されて生きる人々の心があらわれているようで、胸にしみる。

 海岸のわずかな土地を細々と続いてきた道がぷつりと途切れた。
 こんなところに知床という地名がある。知床はアイヌ語のシリ・エトクで、大地の先端を意味し、要するに岬のことである。それを「地の果て」などと訳して、ことさら感傷的なイメージを付け加える風潮もあるが、本来はごく日常的な言葉に過ぎない。

 しかしながら、この礼文島の知床はまさに地の果てを思わせる土地だった。誰もいない海岸に荒波が噛みつき、沖合は霧ですっかり霞んで、利尻島も姿を消した。背後には丘の急斜面が迫り、いかにも人を寄せつけない感じである。
 特に何があるわけでもなく、すぐ引き返すばかりだが、あたりにはノコギリ草がたくさん咲いていて、オオセグロカモメやウミネコが群れ飛び、ハクセキレイやカワラヒワの姿も見かけた。晴れていたら、きっと風景の印象も気分も全然違うだろう。

     水中公園

香深に戻って、今度は北方へ足を伸ばす。5キロぐらい行った香深井集落のさらに少し先に「水中公園」というのがあるらしい。どんなところか分からないが、とりあえずその辺まで行ってみよう。
 だんだん霧が消えて、空もいくらか明るくなってきた。天気は回復しつつあるようだ。
 香深の街を抜けて、岩礁の多い海岸を右に見ながらのんびりとペダルを踏む。道路も部分的には立派に改修されていて、工事中の区間もあった。
 アイヌの神様(カムイ)を祭った見内神社を過ぎると香深井の集落。この先は海岸の地形が急に険しくなり、落石防護シェルターが続くようになる。
 水中公園があった。利尻島の自然水族館と似たような海の一部を仕切っただけの施設で、親子連れが一組だけ来ている。
 海岸へ下りて水の中をのぞいてみたが、アザラシも魚も何もいない。しかも、遊歩道の一部は荒波に洗われ、通行できなくなっている。
 管理人のおじさんが1人いて、小屋の中の生簀でソイやガヤなどメバルの仲間やウニが飼われていた。そこでウニを触らせてもらったりしていると、小屋の外にいた親子連れのお父さんが、「あっ」と叫んで海の彼方を指差した。
 ずっと空を厚く広く覆っていた灰色の雲が少しずつ切れてきて、その切れ目から利尻山が頭をのぞかせていた。まだ島の大部分は雲に隠れたままで、見えるのは山頂だけだが、かえって神々しさがあり、感動的だった。
 親子連れはそれで満足して車で走り去ったが、その後も管理人のおじさんとずいぶん長話をした。お互いにヒマなのだ。たとえば、こんな話。
 水中公園の魚はウミウに全部食われてしまったこと。それでネットを張ったら、今度はウミウがたくさん引っかかって死んだため、ネットを外さざるをえなくなり、結局、魚は展示用に屋内で飼うことになったこと。
 今では昆布と並び礼文の代表的な海産物であるウニも昔は昆布の天敵として漁業関係者には迷惑な存在だったという話。
 そして、キツネの話。礼文島には元々キツネはいなかったが、野ネズミ退治のため、大正時代に千島からキタキツネ雄雌10匹ずつを導入したところ、どんどん増えてしまったそうだ。しかし、キツネはエキノコックス症の媒介動物ということで、自衛隊による殲滅作戦が行なわれ、今は島にキツネはいないという。

北海荘

どれくらい時間が経っただろう。おじさんはまだ話し足りなそうな表情だったけれど、
「じゃあ、そろそろ行きます。また明日ここを通りますけど」

 ということで、香深へ戻り、街の裏手の高台にある北海荘17時過ぎに投宿。裏山からコマドリやエゾセンニュウの声が聞こえてきた。
 夕食はびっくりするほど豪勢で、ボタンエビ、イカ、タコ、ホタテ、ウニ、イクラ、アワビ、ズワイガニ、ホッケ、サケ、モズクなどが、刺身、鍋、その他で食卓いっぱいにずらりと並んだ。礼文島へ来てよかった。だんだんそういう気持ちになってきた。
 本日の走行距離は42.6キロ。明日は島の北端まで行ってみる予定。


     桃岩展望台

礼文島の宿で迎えた朝。窓の外は相変わらずの曇り空で、雨もポツポツと落ちている。気温は17度。
 8時に出発して、まずは有名な桃岩へ行ってみる。
 桃岩は香深から山を越えた西海岸にあり、急坂と急カーブの続く道が通じている。島内サイクリングは身軽なスタイルで行きたいのだが、今日は島の北部のキャンプ場へ移動するつもりなので、自転車もフル装備。最初から急な上りで、ペダルが重い。ただ、雨は止んでくれた。
 南北に細長い礼文島の東西の幅は北へ行くほど広く、逆に香深のあたりは最も狭くて、幅2キロほどしかない。道が曲がりくねっているので、実際の距離はその倍以上あるとしても、わりと早く峠のトンネルが見えてきた。そのトンネルの手前から脇道に入ってさらに1キロほど上ると桃岩展望台の駐車場がある。そこで自転車を止めて、散策路を登るが、めざす丘の稜線は霧で霞んでいる。
 ところで、礼文島は本州の2,0003,000メートル級の山々と気象条件が近く、海岸から珍しい高山植物が咲く「花の島」である。それが多くの人々を魅了するわけだが、一方で希少植物の盗掘も増えているという。そのため、ここにも監視員のおじさんがいた。
「こんなところまでよく自転車で上ってきたねぇ」
 と呆れられた。

(霧の丘。眼下に広がる海もほとんど見えない)

 まったく樹木のない丘は貴重な植物群落として天然記念物に指定されているが、花の最盛期はやはり初夏のようで、目にとまったのはトウゲブキやツリガネニンジンやエゾカワラナデシコ(タカネナデシコかもしれない)といったすでにおなじみの花ばかりだった。
 ところで、桃岩だが、球状節理が発達した巨大な岩山で、名前の通り桃のような形をしているらしい。しかし、展望台に立っても霧のせいで、「あそこにぼんやり見えるのがどうやらそうらしい」という程度にしか分からなかった。眼下に広がっているはずの海もほとんど見えない。とにかく北東からの風がすさまじく、吹き飛ばされそうなほどだった。
 帰りに道端で初めて目にする小さなピンクの花を見つけた。図鑑で調べるとイブキジャコウ草というシソ科の植物だ。ハーブとして有名なタイムの仲間で、姿もよく似ている。実際に薬用、香料として利用されるそうだ。

(トンネルを抜けて西海岸へと下っていく。この写真の左側に桃岩がある)


    元地・地蔵岩・メノウ浜     

 トンネルを抜けて西海岸へも行ってみた。丘の上の展望台は霧に包まれていたが、下界は霧もなく、従って、目の前に桃岩がでんと聳えている。なるほど、桃の形に似ていると言えなくもない。標高は250メートルほどあるそうだ。
 その桃岩を見上げつつ、鉛色の海に向かってヘアピンカーブの続く道をぐんぐん下っていく。長い下りだが、帰りのことを思えば、少しも嬉しくはない。
 坂を下りきったところが元地の集落。礼文島西海岸の数少ない集落の一つで、狭い土地にわずかな民家が身を寄せ合っている。
 集落を抜けたところが道の終点で、その先の海岸にそそり立つのが地蔵岩。桃岩と並ぶ礼文島のシンボルで、こちらはすらりとした柱状の岩が天を突いている。そこから先は地形も急峻で、住む人もいない。人間はここから先は立ち入ってはならぬ。神様のそんな意思が地蔵岩にこもっているようにも感じられた。

 ところで、元地付近の海岸には「メノウ浜」の名があり、メノウの原石が打ち上げられるというので、波打ち際で探してみた。といっても、メノウとはどのような石なのか、よく知らないので、綺麗な小石を7つほど拾い、近くの売店のおばちゃんに鑑別してもらったら、3つがメノウだった。なかでも、ひとつは「いいメノウだわ」と言われた。
 メノウ浜にはまた見慣れぬ青い花がたくさん咲いていた。丸っこい肉厚の葉っぱが特徴的で、図鑑で調べてみると、ハマベンケイ草という植物だった。

 (メノウ浜で拾ったメノウ。大きい方が「いいメノウ」。もう1個は紛失)


     礼文島東海岸を船泊へ

 また山を越えて香深に戻り、いよいよ東海岸を最北端めざして北上開始。
 天気は相変わらず曇り。利尻島は今日も雲をかぶり、裾野だけがわずかに見える。
 昨日までとは逆で、風が北東から吹いているので、波静かだった西海岸と対照的に島の東側は海が荒れている。なにより向かい風なのが辛い。まぁ、ゆっくり行こう。

 香深井を過ぎ、水中公園の前で相変わらずヒマそうな管理人のおじさんと挨拶を交わし、北へ北へひた走る。
 礼文岳への登山口がある起登臼内路の集落を過ぎ、さらに赤岩上泊と行くと道が分岐。右は金田ノ岬を回って船泊へ通じる海岸ルート。左はその船泊への短絡ルート。ここは左へ行って丘陵越えの上りにかかる。
 その丘の上にあるのが高山植物園。ビジターセンターや実際に高山植物が観察できる見本園を30分ほど見学。ここには希少種を絶滅の危機から救うための培養センターも併設されているが、こんなところにもヨーロッパ原産のコウリンタンポポやジャコウアオイなど帰化植物が進出していた。
 しかし、ここで何よりも感動したのは幾重にも連なる丘の風景。いつしか雲が切れて、晴れ間が広がり、青い海を背景に優美な曲線を描く草原の丘が輝いて、心の中まで晴れ晴れとしてきた。

 

 11時半に植物園を出発し、エリア峠を越え、軽快に坂を下ると左に湖が見えてくる。それが久種湖。日本最北の湖で、その湖畔にキャンプ場がある。今日はここに泊まろう。島の北部の中心集落・船泊のすぐそばでもあり、買い物などにも都合がいい。
 受付で300円払って、きれいに整備された草地のサイトにテントを張り、ついでに洗濯。

     スコトン岬

 1255分に再び自転車で走り出し、島の最北端、スコトン岬をめざす。
 礼文島は馬の頭のような形をしていて、最北部には両耳に相当する二つの岬がある。東側が金田ノ岬、西側がスコトン岬である。そして、スコトン岬の方がわずかに北へ長く伸びていて、そこが島の最北端ということになっている。ちなみにキャンプ場はちょうど両耳の間、おでこの位置にある。
 二つの岬の間に広がる船泊湾に沿ってのんびり走って30分。江戸屋白浜須古頓といった集落を過ぎ、左手に続いていた草原の丘がついに尽き果てたところ。それがスコトン岬「最北限の地」である。
 言うまでもなく、日本の「最北端」は宗谷岬であり、スコトン岬は緯度でいえば、宗谷岬よりわずかに南に位置している。従って、「日本の最北端」を名乗ることはできないものの、スコトン岬の北に日本の領土は存在しない、という意味で日本の北の果てには違いない。よって、ここでは「最北限の地」と称している。「最北限のトイレ」とか「最北限の牛乳」などというのもあった。
 しかしながら、岬の先端に立つと、その先には岩礁が点々と海上に顔を出し、その先には島が浮かび、しかも白黒に塗られた灯台まで見える。トド島である。本当はあの島に渡らなければ、最北限の地に立ったとは言えないのだった。

     江戸屋山道

 スコトン岬の帰りは海岸ルートではなく、なだらかな丘の上の細い道を選ぶ。江戸屋山道というらしく、海岸道路が建設される前の旧道だろう。一応舗装されている。
 すぐに右に分かれる土の道は西海岸に面した鮑古丹(あわびこたん)という集落ともいえない民家と番屋の小さなかたまりに通じている。その細道のかたわらに青紫色のナミキソウ(浪来草)が小さな群落をつくっていた。

(鮑古丹とナミキ草)

 鮑古丹には下らず、なおも左手に船泊湾を見ながら、花咲き乱れる草原の丘の中腹を進む。カーブを曲がるたびに新たな丘の風景が展開する至福のサイクリング。昨日、礼文島に上陸した時はあまりに陰鬱なイメージで、すぐに帰りたい気分だったが、今はこの島がどんどん好きになっている。礼文島に来て本当によかった。

(江戸屋山道と海岸道路)

(風の丘を走る)


ゴロタ岬の頂上     ゴロタ岬

 さて、しばらく行くと、ゴロタ岬への登り口があった。自転車では行けないので、愛車はそこに残し、細くて急な遊歩道を歩いて登ってみた。

 標高179メートルのゴロタ山は日本海に突き出たゴロタ岬の最高地点である。三方を険しい断崖に囲まれ、狭い山頂に立つと、まるでどこかの高山の頂上みたいな趣がある。
 
360度、どちらを向いても眺めがよく、北は鮑古丹の浜からスコトン岬、トド島まで俯瞰でき、反対側には幾重にも連なる草原の丘と、その丘が急峻な断崖となって落ち込む西海岸がずっと見渡せる。
 そして、山頂一帯には色とりどりの花々。一番目につくのは黄色いトウゲブキ、ほかにピンクのタカネナデシコ、紫のツリガネニンジン、白いエゾノコギリ草など。

 ゴロタ岬からはかぼそい遊歩道がさらに続き、丘を越えて海辺(ゴロタ浜)に下り、遠くに見える鉄府の集落へ通じているのが見える。この道をどこまでも行けば、礼文島を縦走できるそうで、僕も歩いてみたい欲求に駆られるが、相棒が待っているので、来た道を引き返す。

(岬より北望。鮑古丹、スコトン岬、トド島)

(岬より南望。ゴロタ浜、鉄府方面)


   鉄府・西上泊・澄海岬

 愛車のもとに戻って、海岸道路まで下り、そのまま船泊方面に南下して、途中の浜中という土地で右折。ゴロタ岬から見えた鉄府と南隣の西上泊集落に通じる道である。
 なだらかな丘陵を越えると、分岐点があり、右へ行くと坂を下って、西陽のあたる鉄府漁港に出た。小さな集落だが、港には立派な防波堤が整備されている。活気はない。

 ゴロタ岬から続く遊歩道は鉄府からまた丘越えだ。港のはずれに自転車を残して、再び歩いてみる。
 急斜面にへばりつくような小径を登っていくと、小さなお宮のある稲穂ノ崎の尾根上に出た。ここも花がいっぱいで、イブキジャコウ草も咲いていた。

 (ゴロタ岬を望む)

 この魅力的な道を反対側に下れば、澄海(すかい)を経て、西上泊に行けるが、僕はまた愛車の待つ鉄府に戻らねばならない。いつもは旅の大切なパートナーである自転車が今日は少しばかりお荷物になっている。
 ここで、スコトン岬からずっと歩いてきたという青年に出会い、しばし立ち話。彼も久種湖畔のキャンプ場に泊まっていて、今日は西上泊まで歩き、明日はテントなどもすべて担いで、西海岸の遊歩道を縦走するそうだ。

 

(西上泊と澄海岬を丘の上から見下ろす)



 南へ下る彼と別れ、僕はもうしばらく誰もいない丘の上で海を眺め、北側の鉄府に戻る。
澄海岬 途中、何か小動物が草むらの中をガサガサと逃げていった。姿は見えなかったが、音から判断すると、ネズミより大きく、(礼文にはいないはずの)キツネより小さい感じ。イタチだろうか。

 さて、鉄府から自転車で分岐点まで引き返し、もう一方の道を行くと西上泊である。
 ここにある澄海岬はその名の通り、岩礁まで透けて見える美しい海の写真がよく観光パンフレットなどに載っていて、礼文島の景勝地のひとつである。ただ、すでに太陽は西に傾き、お馴染みの風景は岬の陰になっていた。その海辺に先刻丘の上で会った青年が腰を下ろして海を見ていた。

 

船泊に戻り、今度は島の北東端の金田ノ岬まで行って、スコトン岬とトド島の彼方に沈む夕陽を眺め、船泊のレストランで夕食をとって、キャンプ場に帰る。
 本日の走行距離は63.7キロ。


     久種湖

 礼文島に来て3日目の朝。曇り空だが、ところどころ青い色ものぞき、雲も朝の光で銀色に光っている。天気が崩れることはなさそうだ。気温は16度。少し肌寒い。
 炊事場の冷たい水で洗面を済ませ、まずは早朝の久種湖を反時計回りで歩いて一周。
 久種湖は船泊湾へ注ぐ大備川が海岸砂丘でせき止められてできた湖で、周囲3キロほど。北岸のキャンプ場から西岸にかけては遊歩道が整備され、丘陵の裾を進む。ヤナギの仲間やハンノキ、イタヤカエデなどが生えている。花もたくさん咲いているが、オニユリのほかはマツヨイ草(月見草)やジャコウアオイ、シロツメ草、アメリカオニアザミなど帰化植物が目についた。野鳥はウミウとアオサギ、ハクセキレイ。
 湖の南側は湿地帯で、ミズバショウの群落があり、また牛が放牧されている。ここを木道で過ぎると、一般道に出て、東岸を北上。右手のトドマツ林では木々が冬の季節風に背を向けるように傾いて生えていた。

     香深へ

 さて、テントをたたんで、8時に出発。船泊の集落を抜け、かつては稚内からの船便もあった船泊港を左に見ながら金田ノ岬へ向かう。この岬の上には礼文空港がある。
 紅白の灯台が立つ岬の先端をマラソンの折り返し地点のような急カーブで回ると、急に北東からの風が強くなった。あとは香深まで東海岸をひたすら南下すればよい。
 途中、ポニーのいる牧場の前で自転車のタイヤに空気を補充し、雲間から漏れる光で、ところどころ銀色に輝く海を眺めながらのんびり走っていると、目の前をイタチが横切った。
 上泊からは昨日も走った道。空はだんだん晴れてきて、最初は裾野しか見えなかった利尻山も全容を現わした。浜辺のあちこちに砂利の広場があり、昆布を並べて干してある。

 水中公園ではまた管理人のおじさんと顔を合わせた。
「秋めいてきたねぇ。もうすっかり秋風だもんね」
 この旅ももうすぐ終わりなので、少ししみじみとした気分になる。
 昨日拾ったメノウを見せると、「これはいいメノウだ」とここでも言われた。元地の山中にメノウの原石があり、それが大雨などで崩れて海中に沈み、波にもまれるうちに小さく削れて、浜に打ち上げられるそうだ。元地沖の海底には大きな原石がゴロゴロしているという。
 ほかに、利尻と礼文を結ぶ航路はいつも揺れること、礼文島には水産加工場がないため、礼文の漁船は稚内で水揚げすることなど、いろんな話を聞いて、20分ほどでおじさんと別れた。

     最後に最高の礼文島

 香深に戻り、フェリーターミナルのそばの店で買い物をして、それからまだ船には時間があるので、また桃岩展望台まで登ってみた。
 昨日はひどい霧だったが、今日はすっかり晴れ上がり、これ以上の晴天は望めない最高の天気である。
 丘には夏の名残の花が咲き乱れ、真っ青な礼文水道の彼方に利尻島がくっきりと浮かんでいる。空も海も風も丘も花も、すべてが輝いて見える。この島から離れたくない。強くそう思った。

 


   礼文〜稚内航路

 後ろ髪を引かれる思いで香深に下り、昼食をとった後、1305分発の稚内行き「フィルイーズ宗谷」に乗船。2等運賃が2,100円で自転車が1,150円。
 埠頭では有名な桃岩荘ユースホステルの連中が踊りながら船を見送っている。
 船が岸壁を離れると、たまらない寂しさがこみ上げてきた。もう手の届かない、明るい緑の丘の島がきらめく海の彼方にどんどん遠ざかっていく。右舷には利尻島が浮かんでいる。稚内まで1時間55分の航海。
 それにしても、雨と霧で今日とはまるで別の島のように陰気だった礼文に上陸したのが、まだ2日前のことだとは思えない。ましてや、利尻島やそれ以前のことなど遠い昔のことのようだ。陰と陽、礼文島の二つの顔に触れたお蔭で、時間の遠近感がすっかり狂ってしまったようだった。



     抜海の丘より

 稚内からは大きな荷物をすべて宅配便で自宅に送り、列車の輪行で帰った。
 宗谷本線を南へ下る列車が抜海の丘にさしかかると、車窓に一度だけ日本海が広がった。誰もが海に浮かぶ利尻富士に目を奪われる名所だが、僕の視線はむしろ礼文の島影を探し求めていた。島は利尻の北方にうすぼんやりと浮かんでいた。実のところ、ここから礼文島も見えることを初めて知った。
 列車はすぐに海岸を離れ、礼文島も見えなくなったが、利尻富士だけはいつまでも薄い青の三角形を原野の彼方にのぞかせていた。

                                           ドン行自転車最果て行き おわり



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