このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 知床峠 (標津〜羅臼〜知床峠〜宇登呂) 1998年8月

 いよいよ知床半島です。標津から羅臼まで根室海峡に沿って約50キロ、そこから標高740メートルの知床峠を越えて、オホーツク海側の宇登呂へ抜けるルート。前回は雨と霧の中の峠越えでしたが、今回は…。

   前日へ     翌日へ     自転車の旅Index     TOP



     標津の朝

 北海道へ来て初めて布団の上でゆっくり眠って、4時20分に目が覚めた。こんなに早く目が覚めるのは、窓の外が明るくなるからで、新聞によれば、本日の日の出時刻は根室が4時16分、釧路が4時22分である。
 起き上がって窓を開けると、風はだいぶ弱まり、波も穏やかになっている。上空には薄墨を滲ませたような雲が低く連なっているが、水平線付近には光の色が広がり、空を舞うカモメも天候の回復を知らせてくれる。防波堤の突端の灯台はまだ赤色灯を明滅させているが、それもやがて雲間から降りそそぐ朝日に包まれ、シルエットと化した。こうしてまた新しい一日が始まったのである。

 いい天気になるかと思っていたのに、青空がのぞいて朝の陽射しが根室海峡を照らしたのも束の間、空はまたまた曇り。東北地方はいまだに梅雨が明けていないそうだが、北海道の天気がすっきりしないのもその影響だろうか。
 テレビの気象情報によれば、5時の気温は根室が13.7度、羅臼が13.9度だという。その中間にある標津も似たようなものだろう。8月とは思えない気温だが、これでほぼ平年並みだそうだ。内陸の弟子屈町・川湯では10.5度だったというが、これが北海道東部のいつもの夏であるらしい。

 さて、今朝は羅臼から知床峠を越えてオホーツク側の宇登呂まで走る予定。体力勝負の一日なので、朝飯をしっかり食べてから、茶の間でストーブにあたっていたお婆さんに宿代4,500円を払い、7時20分過ぎに出発。

 標津の街を抜け、5キロほど行った伊茶仁で国道244号線を左に見送り、335号線「国後国道」に入る。244号線は知床半島の基部を横切って斜里・網走方面へ抜けてしまうが、335号線はずっと根室海峡に沿って羅臼へ向かう。要するに、ここからいよいよ知床半島である。かつて標津から羅臼までヒッチハイクをした時、最初の乗り継ぎがこの分岐点だった。
 ここから羅臼まで44キロ。大体は右に根室海峡をちらちら見ながら山林の中を行く感じである。シラカバの白い肌が清々しく、冷ややかな大気も心地よい。

     薫別

 伊茶仁から十数キロ走ると、トンネルが見えてきた。去年はまだ工事中だった薫別トンネルである。このあたりは山が海に迫っているので、その狭間を縫う道路は必然的にカーブが多くなる。それを少しでも直線的に改めようと切り通しやトンネルがどんどん建設されているのだ。この区間で最大の難所、羅臼峠も昔は曲がりくねった山道だったが、まったくの新ルートに切り替えられてしまった。車にはハンドルというものが付いているのだから、何もそこまで道をまっすぐにしなくても、と思うが、こういう土木事業を延々と続けることが地域経済の生命維持装置になっているのだろう。昨秋に北海道拓殖銀行が経営破綻して以来、北海道経済の深刻な苦境が続いているせいか、今年はどの道を走っても工事区間がやたらに多い。

 真新しい薫別トンネルの出口付近にはまだ新しい花や果物が供えてあった。こういうのを見ると、ちょっとドキッとして、気持ちが引き締まる。
 トンネルを抜けると、薫別。ここがヒッチハイクの2度目の乗り継ぎ地点であった。3台目は菅原文太みたいな運チャンのトラックに乗せてもらったが、薫別を出ると、すぐに曲がりくねった山道に入った記憶があるのに、ここもまっすぐな切り通しに変わり、その分、勾配もさほどではなくなっている。
 いつのまにか晴れ間がのぞくようになってきた。海峡の向こうには国後島の島影もくっきりしてきたし、行く手に聳える知床連峰もまだいくらか雲をまとっているものの、青味の強い緑色が濃くなってきた。道端にはマーガレットに似たフランスギクがたくさん咲いている。
 崎無異という土地を過ぎて、植別川という急流を渡ると、標津町から羅臼町に入る。橋の袂にはワシのイラストをあしらった羅臼町の看板が立っている。「羅臼22㎞」の標識もあるから、ちょうど国道335号線の中間点ということになる。

     羅臼峠

 羅臼町に入って最初の集落、峯浜を通過して、やがて今度はスノーシェルターの建設現場を通りかかる。冬の間、吹雪に見舞われると、吹きだまりではあっという間に道路が埋まってしまう。そこで、吹きだまりになる地点はあらかじめシェルターで覆ってしまうのだ。ここでも既存の道路にシェルターをかぶせるのではなくて、道路ごと新しく建設している。それが完成すれば、いま走っている立派な2車線道路は捨てられてしまうのだろう。もったいないことである。

 しばらく行くと、今度は完成したスノーシェルターが見えてきた。去年、羅臼峠にシェルターがあったのは覚えているが、峠はまだのはずだし、こんなところにあったっけなぁ、と思いながらシェルターをくぐろうとしたら、羅臼峠の文字が目に飛び込んできた。
 えっ、もう羅臼峠?
 羅臼峠はこの区間では最大の難所である。といっても、ルート変更された現在は標高70メートル程度らしいのだが、それなりの上り坂があったはず。しかるに、気づいたらもう峠の頂上にいるのだった。考えごとをしながら走っていたら、知らぬ間に峠道を上りきってしまった。無意識のまま峠をひとつ征服してしまったのだから、まずはメデタイ。

 さて、かつてヒッチハイクで通った時は羅臼峠には7〜8メートルもの雪の壁が両側に聳えていたが、今は峠に3つのスノーシェルターが連続している。最初のシェルターの出口付近に今度はクルマにはねられたキタキツネの死体が転がっていた。こういう悲劇は日常的に起きている。自転車の旅というのは、クルマ社会の犠牲になった夥しい数の死と出会う旅でもある。

     羅臼

 あの曲がりくねった旧道は一体どこに消えてしまったのだろうと思いながら、羅臼峠を一直線にダーッと下る。あとは大体、平坦な海沿いの道である。
 最果てには似つかわしくない御殿のような家が並ぶ集落を次々に過ぎて、スタートから47キロ、9時50分に知床半島東岸の中心地、羅臼に到着した。
 天候は曇り。大空のあちこちに薄い青色がのぞいているものの、全体としてはまだ雲が多く、海も鈍い灰緑色で、沖合に浮かぶ国後島にも低い雲が覆いかぶさっている。
 山側に視線を向けると、知床の最高峰、1,661メートルの羅臼岳がドーム状の山容を現わしているが、その背後には白い雲が立ち込めている。知床峠の天候はどうなのだろう。

 羅臼に来るのは3度目で、懐かしい思い出もいろいろあるけれど、今日は漁港の北側の「しおかぜ公園」で、効きの甘くなったブレーキの調整をして、街なかのセイコーマートで水やおにぎりやキャンディーなどを買っただけで、10時25分に出発。

     知床横断道路

 すぐに国道334号線「知床横断道路」の上りにかかる。標高740メートルの知床峠までは17キロ。その間、ずっと上り坂が続くわけだ。今度は羅臼峠みたいに知らぬ間に上ってしまう、なんてことは絶対にありえない。
 まもなく、勢いよく坂を下ってきたチャリダーに「頑張って!」と声をかけられ、こちらもまだ余裕の笑顔で手をあげて応える。去年は冷たい雨と霧で真っ白な風景の中を、とぼとぼと自転車を押して歩いた。今年はどうなることやら。
 羅臼の街を抜け、いきなりの急勾配となり、3.5キロ行った地点が熊の湯羅臼川の渓流沿いに露天風呂があり、キャンプ場もあるので、観光客やライダーで賑わっている。僕も去年はここでキャンプをしたが、寝袋を紛失してしまい、とても寒い思いをした。

 観光客のおばちゃんに「自転車で大変ねぇ」などと感心されつつ、10時50分に熊の湯をあとにして、いよいよ山道にかかる。
 薄曇りの空の下、緑濃い知床の山中を重いペダルを踏んでいくと、やがて羅臼川にかかる知床大橋を渡り、すぐに落石防護の覆道に入る。左側に連続する支柱の合間から覗ける峡谷には「熊越の滝」というのがあるそうだが、道路からは見えない(たぶん)。
 長い覆道を抜けると、薄日が漏れて、気温も上がってきた。沿道の草むらではキリギリスが鳴いているし、エゾゼミのジーッという単調な声も聞こえる。去年に比べれば、天気はだいぶいいようだ。

 道路が行き場を失って空中に飛び出したような高架橋が翔雲橋。その袂が羅臼から6.5キロの地点。ここに「知床峠1合目・標高280m」の標識が立っている。時刻は11時13分。今日は峠に着くまで、2合目、3合目と標識があるたびに休憩がてら通過時刻をメモして、写真を一枚写すことにしよう。
 山を巻くように雄大にカーブする翔雲橋の途中から下を覗くと、去年は真っ赤に紅葉していたナナカマドが今年はまだ緑のままだった。いくらなんでも8月の紅葉は早すぎると思ったのだが、やはり去年は異常な冷夏で植物も季節を早トチリしていたらしい。

 0.5キロ間隔で現われる距離標識を励みに、とにかくペダルを踏み続ける。勾配は急になったり緩やかになったりだが、とにかく一貫して上り。平坦なところはほとんどない。しかも、急カーブの連続で、方向感覚が失われてくる。

 7.5キロ地点を過ぎてまもなく11時25分に標高380メートル2合目。1キロ余りで標高差100メートルを上ったことになる。
 8キロ地点通過が11時28分で、9キロ地点が11時36分。大体、1キロを8分のペースで、ゆっくりと、しかし、着実に峠をめざす。
 去年はほとんど自転車を押して歩いたが、あれは坂道がきつかったというより、冷たい雨に濡れて、景色も何も見えず、初めから戦意喪失状態だったせいである。
 その後、秋に東京の奥多摩方面を2度走り、標高1,146メートルの峠も越えたので、今回はその経験も多少は力になっているようだ。2合目を過ぎてからは、極端な急勾配も少なくなった。適当に休みながら、ちんたらちんたら上っていけば、このまま歩くことなく峠まで行けそうである。

 11時37分には標高450メートル3合目。9.2キロを過ぎたあたりか。2合目からは1.5キロ近く走って70メートル上った計算になるが、この何合目というのは標高とも距離とも関係はなさそうで、どういう基準なのか、よく分からない。

  

 11時45分には10キロ地点までやってきた。
 青空の面積が大きくなり、急に陽射しもカッと照って、夏らしい暑さになってきた。緑に輝く原生林の彼方には青さを取り戻した根室海峡が望まれ、国後島も浮かんでいる。昨年はこういう風景にはついぞお目にかかれなかったから、再び知床峠に挑んでよかった、と思う。峠に着いたら、どれほどのパノラマが開けるのか楽しみになってきた。

 11時50分に4合目通過。標高520メートル。知床峠は740メートルだから、標高の面ではもうすぐ、という感じになってきた。さすがに汗をかくので、休むたびに水分を補給する。
 周囲の山の緑もアスファルトの路面も輝いて見えるが、行く手には雲が湧いている。

 何台ものクルマやバイク、観光バスに抜かれたり、すれ違ったりしながら、おにぎり片手に走っていると、だいぶ間近に迫ってきた羅臼岳がサーッと雲に包み隠される。いつのまにか雲と同じ高さにまでやってきていて、しかも、だんだん雲行きが怪しくなってきた。

 (羅臼岳が雲に隠れる)

 12時01分に5合目標高580メートル。ほぼ12キロ地点だから、あと5キロ。どんどん雲が増えてきたが、路面にはまだ陽があたっている。

 ところが、13キロ地点を過ぎたあたりから木々の緑に紗がかかったようになってきて、12時14分に標高640メートル6合目に達する頃にはポツポツと雨が落ちてきた。まだ、遠い空から水滴が吹き飛ばされてくる感じで、大したことはないが、念のためリュックサックに雨カバーをかぶせる。もはや峠からの眺望を楽しむのは絶望的である。

 それから雨が本格的に降り出すまで大した時間はかからなかった。ここまで延々と上り続けてきたのに、14キロ付近から少し下って、12時24分に標高670メートル7合目を通過する頃には完全に陽射しが失せ、路面も濡れてきた。すっかり雲の中に入って、気温も急激に下がってくる。
 峠まであと2キロ余り。いよいよラストスパートだ。
 天候はどんどん悪化して、雨が強まり、たちまち全身が濡れてくる。
 途中で道路工事をやっていて、片側交互通行の区間もあり、8合目、9合目の標識は確認しないまま、16キロ地点を12時35分に通過。風景はもう真っ白である。

     知床峠

 とうとう霧の彼方に知床峠の駐車場がぼんやりと見えてきた。時刻は12時40分。
 激しい雨と風、そして霧。晴れていれば、観光客で賑わっているはずだが、ガランとしていて、人の姿もほとんど見えない。マラソンでやっとの思いで完走したら、もうゴールには誰もいなかった、そんな取り残されたような寂しい気分である。
 それにしても、羅臼をスタートする頃にはこれほどの悪天候になるとは思わなかった。すべてが白く霞んで、正面に大きく聳えているはずの羅臼岳は所在すら分からない。去年も雨と霧に包まれていたけれど、これほど凄まじくはなかった。おまけに震えるほど寒い。僕は霧で有名な摩周湖や霧多布とは相性がいいようだが、知床峠とはどうも相性が最悪であるらしい。
 とにかく、叩きつけるような雨なので、大急ぎでレインウェアの上下を着込み、すっぽりとフードをかぶって完全防水態勢を整え、身体が冷えたのでトイレに行っただけで、なんだかとても空しい思いのまま下りにかかる。
 昨年は羅臼側は雨だったが、宇登呂側はまったく降っていなかった。今回はまったく逆で、宇登呂側は麓までずっと雨のようである。
 立ち込めた霧と強い向かい風の中、グングン下っていくと、たちまちメガネのレンズが水滴で埋め尽くされ、前が見えなくなる。まるでワイパーのないクルマで暴風雨の中を突っ走る感じ。ハンカチで拭いても、ハンカチ自体が濡れているので、どうにもならない。交通量がそれほど多くないのが救いだが、それでもクルマが脇をかすめて行くたびに緊張する。こんなところでバランスを崩したら大変だ。耳を覆うフードはバタバタバタバタと大きな音をたて、それがスピードの恐怖を増幅する。せっかくの山下りなのに、ちっとも楽しくない。

     知床自然センター

 スリルと恐怖を存分に味わいながら、水飛沫をあげておよそ10キロを一気に下り、標高150メートル付近の知床自然センターに到着。
 走るのをやめると汗が一気に吹き出し、全身がビチョビチョ状態。靴の中まで浸水して、ひどく不快である。とにかく、寒くて寒くてたまらないので、観光客で賑わう自然センターの建物内に避難するが、全身から滴がポタポタ垂れる、とても迷惑な人になっているので、居心地はよくない。せめて自動販売機で温かい飲み物がほしいのだが、冷たいものしかない。レストランや喫茶コーナーはあるが、この恰好で入るのはちょっと気が引ける。
 こんな惨めな姿なのは僕だけかと見渡せば、ほかにもいた。濡れた靴の代わりにコンビニの袋を両方の素足にかぶせて、足首をゴムで縛ってグシャグシャ音を立てて歩いているライダーのカップル。僕も靴が濡れて気持ちが悪いが、あそこまでやる度胸はちょっとない。
 半ば放心状態のまま、センター内の知床に関する情報や展示をぼんやり眺めていると、宇登呂には従来の国設キャンプ場のほかに、温泉付きの「しれとこ自然村」というキャンプ場が新たにオープンしたことが分かったので、今日はそっちへ行ってみよう。雨の中のキャンプは気が進まないが、入浴だけでも利用できるそうなので、そこでテントを張るかどうかは、とりあえず風呂に入ってから天候の具合を見て決めればよい。宇登呂なら安宿はいくらでもあるだろう。
 とにかく、センター付近をウロウロしているうちに、濡れた服も乾いたとは言わないが、いくらかはマシになったようだ。これならレストランに入っても許されるだろうと判断し、レインウェアのズボンだけ脱いで(下は短パン)、センター内のレストラン「ユートピア」でカツカレーを食べる。食事を終えて席を立つと、椅子がお尻の下だけ湿っていた。

 さて、今回は宇登呂で連泊して、付近一帯を散策しようと考えているが、今日はもう何もする気にならない。すべては明日に回して、とにかく温泉で身体を温めたい。掲示板で見つけた明晩の「夜の動物ウォッチング」という自然センター主催のガイドツアーの参加予約をして、出発。

     しれとこ自然村

 再び冷たい雨の中を下っていくと、まもなく鉛色のオホーツク海がパーッと広がり、海に面した宇登呂の町が見えてきた(右写真は翌日撮影)。
 センターから3キロほどで海岸に出て、幌別川を渡るとまもなく「しれとこ自然村」の入口。左手の山に向かって急勾配の砂利道が伸びている。無駄な抵抗はやめて自転車を押して上っていくと、後方から来たクルマが僕の横で停まった。小さな荷台付きの4WDで、自然村のスタッフらしい兄さんが上まで乗せていってくれるという。また全身が濡れているから申し訳なく思ったが、ありがたい。重い自転車を荷台に積むのまで手伝ってもらい、助手席に乗り込むと、クルマは急坂をぐんぐん上っていった。

 「しれとこ自然村」は山林に囲まれた高台にあり、この雨の中でもテントを張っているグループがいた。しかし、2,100円で素泊まりできる15畳の部屋(定員10名)もあって、まだ空きがあるというので、今夜はそっちに泊まることにする。食事はできないので、街まで行かなければならないようだ。
 それにしても、こういう雨天の日に旅先で一夜を過ごす場所が見つかると、ホッとする。新しい施設で、気持ちがいいし、何より嬉しいのは温泉に入り放題ということ。まだ3時になったばかりだが、今日はもうこのままのんびりしてしまおう。
 自転車は軒下に置き、濡れた靴の中には新聞紙をぎっしり詰めておく。こうしておけば、いくらか早く乾くだろう。あとから来た女の子たちも同じことをしていた。
 それから、まだ誰もいない畳の部屋に通され、荷物を投げ出し、何はともあれ温泉へ。大きな風呂で、先客が数人いた。ここは地元の人の共同浴場にもなっているようだ。
 ガラス張りの展望浴場の外には露天風呂もあって、雨に煙るオホーツク海を眺めながら、のんびりゆったりとお湯の感触を楽しんだ。
 実にさっぱりしたいい気分で風呂から上がり、コインランドリーもあるので、濡れた衣類を全部洗濯機に放り込む。これで心身ともにリフレッシュして、明日からも旅が続けられそうだ。といっても、すでにここに連泊することに決めているわけだが。

 さて、洗濯も終わって、日が暮れてきた。ちょっと街まで食事に行ってこよう。同宿の青年も行くというので、一緒に歩いて出かける。埼玉県からという彼は鉄道と徒歩とヒッチハイクで旅をしていて、宇登呂では「ボンズホーム」という店の7日間煮込んだというカレーとジャガイモプリンを食べるのが目当てだそうだ。いかにも今どきの子らしく、行く先々のグルメ情報がインプットされているのである。僕は昼もカツカレーだったが、彼に付き合うことにした。
 小雨の降る中、傘をさして2キロ近く歩くと、賑やかな宇登呂の街に着く。旅館やホテル、ライダーハウスからラーメン屋、カニ売店、木彫りの店など観光客相手の店が軒を連ねる中にめざす「ボンズホーム」もあって、そこでカレーライスとジャガイモプリンを食べた。

 「ビッグマートみたに」というスーパーマーケットで明日の朝食用のパンやバナナ、甘栗など買って帰ると、宿泊用の部屋はいつのまにかほぼ満員になっていた。一応は男子部屋のはずなのに、おばちゃんも混じっている(女子用の部屋は別にある)。すでにみんな自分の布団を確保していて、僕ら2人分の寝場所が辛うじて残っているだけだ。この部屋に最初に荷物を置いたのは僕なのだが、そのわりには肩身が狭い感じである。先に自分の布団を敷いておけばよかったと思うが、まぁ、いいか。
 また温泉につかって、これも畳敷きの休憩室で埼玉の青年や福島からというライダー(彼は外にテントを張っている)と、買ってきた甘栗など食べながら談笑するというのもなかなか楽しい時間で、ここは本当に居心地がいい。館内に食堂か、せめて売店でもあれば言うことなし、なのだが。
 今日の走行距離は82.2キロ。



   翌日(知床半島サイクリング)     斜里・浜小清水方面へ    前日へ    自転車の旅Index    TOP

   1985年標津〜羅臼ヒッチハイクの記録

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください