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北海道自転車旅行 2000年 夏
阿寒湖・摩周湖・屈斜路湖


霧の阿寒湖     阿寒湖の朝

 久しぶりの寝袋で、しかし、ぐっすり眠って、早朝から活動開始。6時前には阿寒湖畔の遊歩道を散歩して、森の中で草を食むエゾシカ2頭に会う。

 朝食後、テントをたたんで、8時25分にキャンプ場を出発。阿寒湖畔をあとに国道241号線「阿寒横断道路」を弟子屈(てしかが)町へ向かう。
 ようやく天気は回復したが、せっかくの青空をまた雲の塊が覆い隠そうとしていて、時折、頭をのぞかせる雄阿寒岳は白い雲の帽子をかぶっている。

阿寒横断道路 さて、今日も693メートルの双岳台まではひたすら上りである。この道は3度目になるが、過去2回は弟子屈から阿寒湖へ来たので、逆から上るのは初めて。でも、阿寒湖の標高がすでに420メートルもあり、峠との標高差は270メートルほどだから、大したことはない。少なくとも、標高120メートルの弟子屈から上るよりはずっと楽なはず。まだスタートしたばかりで、体力は十分にあるし、風景を楽しむゆとりもある。まぁ、気楽にのんびり行けばよい。

     双湖台

 針葉樹と広葉樹の混ざった豊かな森の中をゆっくりペダルを踏んで、徐々に高度を上げ、9時20分に双湖台に到着。楽勝だった、とは言わないが、さほど辛いとも思わずにここまでやってきた。
 売店のある展望台からペンケトーとパンケトーを眺める。
 広大な阿寒カルデラを埋め尽くす樹海の中に密やかな水面をのぞかせる小さな湖水。まだ、光が届かず、色のない湖面にくっきりと蒼黒い森の影が映っている。ここでもまた樹海から突き抜けるようなコマドリの声と長く複雑なミソサザイの歌が聞こえてきた。

 双湖台 双岳台からの雄阿寒岳と雌阿寒岳


     双岳台

 9時35分に双湖台をあとにして、さらに3キロ上ると、このルートの最高地点、双岳台に到達。
 小ぶりな富士山のような雄阿寒岳がいつのまにか雲の帽子を取り去って間近にそびえ、その左奥に赤茶けた雌阿寒岳が噴煙を上げている。阿寒湖はもう見えないが、とても雄大な眺めだ。

     弟子屈町へ下る

 あとは弟子屈へ向けて長いダウンヒル。まもなく阿寒町と弟子屈町の境界を過ぎ、遥か彼方に摩周岳も見えてきた。
 この先は急カーブが連続し、しかも自転車は道路の左端をきっちり回らなくてはいけないから、あまりスピードも出せない。いずれにせよ、弟子屈側は見晴らしもあまりよくないので、安全運転に意識を集中して慎重に下ろう。
 ようやく道がまっすぐになって、緊張も解けて、快調に下っていくと、峠から10キロほどの地点で自転車の男女数名と相次いで行き違う。そのたびに互いに手を上げて挨拶を交わしたが、余裕しゃくしゃくの僕と、長い苦難の道にさしかかったばかりの彼らとでは走るスピードも違うし、たぶん心理状況も全然違う。いま下ってきた道のりを思い返すと、本当に大変だなぁ、と思う。でも、まぁ、大丈夫。頑張ってください。
新しくなった摩周駅
 下り坂が14キロも続いて、森林地帯を抜けると、道はすっかり平坦になり、そこからは牧草地の広がる中をさらに10キロで弟子屈市街。時刻は11時前。国道沿いの道の駅でしばらく休んだ後、JR釧網本線の摩周駅に移動して、そこでも休憩。いつのまにか駅舎が新しくなり、駅前広場もきれいに整備されていた。

     摩周湖への道

 摩周駅で15分の息抜きの後、11時35分に出発。
 今日の目的地は屈斜路湖の和琴半島で、あとは走り慣れた15キロの道を残すばかりだが、まだ時間はたっぷりあるので摩周湖に寄っていくことにした。しかし、摩周湖の展望台は標高が700メートル近く、いま越えてきた峠と同じくらいの高さまでまた上らねばならない。しかも、気温が上がってきた。
 相当な苦難が予想されるため、摩周湖入口の交差点で多少躊躇しながらも、やはり摩周湖方面へハンドルを向ける。ここから第一展望台まで9キロの上りである。

 道はしばらくは牧草地の中を直線的に伸びていて、もちろん最初から上り勾配。快調だったのも束の間で、徐々にスピードダウン。とにかく、遥か彼方まで坂がずっと見通せるのが心理的に辛い。周囲に広がる輝くような緑野も、もはや目を楽しませてはくれない。雲間からギラギラ照りつける太陽の下、全身からポタポタと汗を垂れ流して、重いペダルを踏む。
 自転車で摩周湖へ行くのは3度目(!)で、川湯から登った過去2回はいずれも身軽なスタイルだったし、気温も低かったから、それほど苦しまずに済んだ。今日は荷物も多いし、暑いし…で、条件は一番厳しい。

 やがて、摩周湖ユースホステルの前を過ぎる。ここには通算3泊していて、そのたびに「早朝散歩」と称して摩周湖まで日の出を見にいった。確か片道5.5キロだったと思うが、夜明け前の真っ暗な雪道と今とではまるで印象が違う。

 ゴルフ場を左に見て、あたりが森林地帯に変わると、だんだん坂がきつくなってきた。
 まつ毛の先にたまった大粒の汗が視界の隅で光っている。それがまばたきと同時に目の中に流れ込んで、滲みて、滲みて、もう目を開けていられない。やむをえずストップ。ハンカチで両目を拭い、額の汗も拭うが、汗は止めどなく噴き出し、ポタポタと滴り落ちて、アスファルトの路面に黒い染みを点々とつくる。
 それにしても、ホントに暑い。もうウンザリ。観光のクルマやバスが通るたびに、快適な車中の人々の目には自転車旅行者ってどんな風に映るのだろうかと思う。

 そのうち、また新たな敵が現われた。ブヨである。金山峠でもブヨの襲撃に閉口したが、また汗の臭いを嗅ぎつけたか、たくさんのブヨが腕や太腿、ふくらはぎなどに止まって、チクッと刺す。まったくいまいましい奴らだ。いちいち自転車を停めてはブヨをはたき落とすが、とにかく数が多くて、キリがない。虫除けスプレーがあったのを思い出し、バッグの底から探し出して、手足にシューッとかけてみたが、それでもまだ寄ってくる。勘弁してくれ〜。

 ようやくブヨの集団を振り切って、超低速で進むうちに、道が曲がりくねってきた。あたりはダケカンバがまばらに生える笹原に変わってくる。展望台はもうすぐだ。「お先に」といってマウンテンバイクの青年に抜かれたが、もう追いかける気にもならない。

     摩周湖第一展望台

 最後までマイペースでゆっくりペダルを踏んで、13時についに摩周湖第一展望台に到着。
 広い駐車場には観光バスが頻繁に出入りし、クルマやバイクも多く、相変わらず賑わっている。自転車で来ているのも数人はいるようだ。



 いつのまにか日が翳ってきたが、摩周湖は今日もしっかり見えていた。有名観光地とはいえ、この湖には阿寒湖や屈斜路湖にはない独特の神秘性がある。ただ、第一展望台は人が多すぎて、気持ちも賑やかになりすぎる。静かに湖と対面するには第三展望台の方が断然いい。
 というわけで、ここでは僕も一観光客に徹して、混雑する食堂で山菜ピラフの昼食。さらに売店でイチゴのかき氷も買ってしまう。3年前の夏は震えるほどの寒さ(気温はたぶん10度以下)で、レストハウスには暖房が入っていたのを思い出す。

 展望台の下で、餌付けされたシマリスが2匹、3匹と笹やぶから顔を出すのを眺め、それからまた愛車に跨がり、第三展望台へ向かう(途中に第二展望台というのもあったそうだが、自然消滅したらしい)。

     摩周湖第三展望台

第三展望台からみた摩周湖と摩周岳 摩周カルデラの外輪山の尾根づたいにさらに3キロの上りだが、ウグイスの声を聞き、のんびり景色を眺めながら行けば、さほど苦にならずに到着。
 こちらはわずかな駐車スペースと展望台があるだけで、売店もないため、観光バスは通過するから、人も少なくていい。しかも、より間近に摩周湖が眺められる。間近といっても、展望台から湖面まで300メートル以上の標高差があり、しかも、険しい断崖に囲まれているため、摩周湖は容易には人を寄せつけない。まさに孤高の湖。アイヌの人々が古来、神々の湖(カムイト)と呼んだのはそのせいだろう。静かな藍色の湖面に見入っていると、魂が吸い込まれそうになる。

 



     摩周湖ホームページ (ライブカメラでリアルタイムの摩周湖の様子を見ることができます)


     屈斜路湖へ

 さて、摩周湖第三展望台をスタートしたのは15時前。川湯方面へは向かわず、弟子屈へ引き返す。
 往路で苦労した分、帰路は爽快な12キロの下り。重力に任せて、まったくペダルを踏まなくても、勝手にグングン加速していく、この快感がたまらない。風が気持ちいい。

(第三展望台から硫黄山と屈斜路湖を望む)

 第一展望台もノンストップで通過して、ビュンビュン飛ばし、20分で弟子屈の交差点に着いた。
 弟子屈からは釧路川に沿って国道243号線を15キロ。屈斜路湖の南部に突き出た和琴半島に着くと、ミンミンゼミが鳴いていた。ここは日本最北のミンミンゼミ発生地である。

     和琴半島

和琴半島のキャンプ場 屈斜路湖畔のキャンプ場にテントを張る。ここに来るのは4年連続で、キャンプ場と隣りあったボート乗り場のおじさんの顔も覚えている。
「なんか見たことある顔だねぇ」
 僕の顔も覚えられているらしかった。
 というわけで、毎度おなじみのキャンプ場だが、いつもと違うのは駐車場にいわゆる右翼団体の車が10台ほど並んでいること。毎年8月9日(1945年のこの日にソ連が日ソ中立条約を無視して日本に宣戦布告した、北方領土問題の発端となった日)に根室のノサップ岬に全国の“愛国的”な団体が集結して北方領土返還(奪還?)をめざす集会が開かれるので、そこへ向かう途中なのだろう。そういえば、昨日も足寄町で右翼団体の車に追い抜かれた。

 それはともかく、今夜の楽しみは屈斜路湖畔のライブハウス「丸木舟」でアイヌ詞曲舞踊団「モシリ」のライブを観ること。これは4月末から10月中旬まで原則的に毎晩行われているのだ。チケットは和琴のレストハウスでも扱っていて、去年までは1ドリンク付き3,600円だったのが2,000円に値下げになったのは有り難い。ついでにクルマでの送迎依頼の電話もしてもらった。

 美幌峠の彼方に日が沈み、湖畔の露天風呂につかった後、レストハウスの食堂で夕食。ここはジンギスカン定食が美味いのだが、店のおじさんが特製のイクラ丼をさかんに薦める。隣のテーブルのライダーたちは迷いながらもジンギスカンを注文していたが、僕はお薦めに従ってイクラ丼を頼んでみた。隣のライダーたちからも注目される。
「どうですか?」
「うまいですよ」
 確かに美味かった。でも、ジンギスカン定食も食べたかった。

     モシリライブ

 さて、言われたとおり20時少し前にキャンプ場の隣の旅館・湖心荘の前に出向くと、すぐにモシリのシンボルマークが入ったバンがやってきた。運転しているのはなんとモシリの大黒柱であるアトゥイさん本人だ。助手席に乗り込み、屈斜路プリンスホテルにもお客を迎えに行く。

 車中でモシリのCDはすべて揃えたこと、今年2月の東京公演も観たことなどを話す。モシリは今年(2000年)2月に釧路、和歌山県貴志川町、東京、沼津で公演を行ったのだ。元日の朝、チケット予約受付開始と同時に電話をしたのに、なかなか繋がらず、午後にようやく通じたと思ったら、もう全席完売でキャンセル待ちの状態になっていた。その時は本当にショックだったが、その後、キャンセルが出て、なんとかチケットが手に入り、2月16日に東京・芝公園のabc会館ホールで彼らの素晴らしいパフォーマンスを目にすることができたのだった。会場の定員400名のところに倍以上の申し込みがあり、結局、400人以上がチケットを入手できなかったそうである。
「モシリのどこがいいんですか?」
 アトゥイさんは他人事のように言う。カムイと自分のためだけに演奏していた音楽をレコーディングしようという人物が現われ、しかも、それを聴いて感動したという人が大勢いたことに驚いた、というようなことをアトゥイさんがモシリのパンフレットに書いていたが、天上から舞い降りてくるような彼の音楽には確実に人の心をつかむ不思議な力があるのだと思う。ライブの観客のアンケートによれば、リピーターがとても多いという。

 さて、屈斜路コタンの「丸木舟」でのライブは20時30分に開演。観客の入りはまずまず。
 最新のテクノロジーをも駆使した演奏をバックに歌われる美しい歌とアイヌの古式舞踊に基づいた呪術性の高いパフォーマンス。彼らのライブを観るのはこれで4回目になるが、観るたびに新たな感動がある。1時間のステージがあっという間に感じられた。

   モシリの公式サイトは こちら

 終演後は舞台上で記念写真を撮ってもらったりして(ここでも顔を覚えられていた)、再びクルマでキャンプ場まで送ってもらう。
 本日の走行距離は91.7キロ。明日は知床半島に向かう予定。


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