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SL紀行’98




はじめに

 1997年初頭、世界初のTV(の模型)を見にNHKの放送博物館に行った。TVは館に入るとすぐに展示してあり、当初の目的はあっという間に終了してしまった。しばらく他の展示物をぶらぶらと見学しているうちに、「ビデオライブラリー」というコーナーを発見した。都電の写った映像でもないかと索引をパラパラめくっているうちに、偶然飛び込んだのが、「さようならSL C57 135(昭和50年11月)」というタイトルだった。現在は交通博物館に静態保存してある、日本最後の旅客列車を牽引したあのC57の事である。僕が飛びつかない訳がなかった。

 最終列車を追った映像かと思いきや、その少々前の通常列車に、漫画家の加藤芳郎さんとデビュー間もない山口百恵さんが乗り込み、室蘭から岩見沢まで旅をするというものだった。内容は興味があったら見ていただくという事で割愛しますが、とにかく感じた事は「SLってこんなにスピード出るんだ!」という事だった。残念ながら途中で閉館時間となってしまった。

 次の週には、前回の続きを見た後、「新日本紀行 SLふるさとに帰る(山口線C57)昭和54年7月25日」というのを見た。ここでの感想は「SLってこんなに遅いんだ!」だった。なにしろ、上り坂頂上付近(篠目?)とはいえ、時速20kmを切る速度で登ってくるのだから。そして、「なんという迫力なのだろう!」僕はすっかりSLにハマってしまった。

 幼少の頃は鉄道マニア(?)だったので、蒸気機関車の形式位は知っていた。その頃の僕の心の中で、SLはすでに「過去のもの」だった。ところが現実的には、わずか数ヶ月ではあるが、北海道や九州では走っていたのだ。

 それからウン十年。気が付くと、唯一大井川鉄道でしか見ることの出来なかったハズのSLが、いつのまにか各地で走っていた。現在軽く数えても10本の指では足りないSLが元気に走っている。今年は更に2両程増える予定だ。

 日曜日、昼近くに起き、遅い朝食を食べた後に何気なく「SLが見たいな」と思ったら車をちょいと走らせればよい。25/1000の急勾配を力強く、ゆっくりと登ってくるC12の姿をいつでも拝む事が出来る。気が付いたら、この田舎町はそういう環境になっていた。




1.真岡鉄道「SLもおか号」 C12 66


 昨年は都電と廃線に凝ったのだが、今年は蒸気機関車にしよう!
しかし、この日まで日曜日を含み、休みがなかった。
 真岡鉄道でSLの運行を行っているのは知っていたのだが、ではいつ走るのだろうか。JR蒲田の駅にSLもおか号のポスターが貼ってあった。どうやら大抵の土日には運行されているようだ。下館発車が10:46。これだけわかれば充分だ。

 下館には約30分程前に到着した。駅へ向かうが駐車場はない。裏道を進むうちに、踏切のそばに、少しなら車を停車させられる場所があった。車を止めるや否や、「カッポンッ、カッポンッ…」という聞き覚えのある音が聞こえてきた。蒸気機関車の空気圧縮機の音だ。急いで音のする方向に走ると、目の前にC12 66は唐突に現れた。客車3両と後方には茶色く塗られたDD13を従え、静かに停車している。煙突からはごくわずかな煙を出し、運転席には誰もいないのに常にどこかから蒸気を出している。時折空気圧縮機が動き出し、激しい蒸気音をたてる。蒸気機関車はよく「生き物のような」と形容されるが、それは停車した状態でも言えるのだった。

 やがて出発の時が近づいた。側線にいたこの一団が、一旦本線上に出て、バックしてホームに入る。後ろのDD13は切り離されている。C12が単独で客車を動かしているのだ。煙は少々多くなり、シリンダー付近からは大量の蒸気を吐きながらゆっくりとこちらに近づいてきた。少し行った所で停止し、逆転機をバックへ入れ、戻ってくる。
 もっともっと見ていたかったが、そろそろ撮影地へ向かわなければならない。といっても何も決めていないのだが、とにかく、茂木の近くに勾配があるようなので真岡線沿いにどんどん進んだ。益子を過ぎ、真岡を過ぎ、多々良駅に来た所でカメラの大放列と出会った。しかし駐車スペースの関係でここはもう無理。そこからほんの少し進むと、SL展望台なるものが現れた。車は充分に止められる。勾配は10/1000でまあまあだ。しかしこの展望台からでは、線路沿いの電線が邪魔であまりよろしくない。そこで線路上に上がる。丁度先客がいたので、この人に断りを入れてから三脚を構える。まったくの逆光だが、ここは木のアーチをくぐるような所で機関車にとっては日陰であるため、あまり関係がない。先日ふった大雪の跡もまだ残っている。

 遠くから汽笛が聞こえてくる。緊張が走る。だが機関車はまだまだやって来なかった。かなりたってから、現実的な汽笛の音(これに比べるとさっきまでの汽笛は夢の中のようなやさしい、なつかしい音だ)と共にドラフト音のようなものが聞こえてきた。そして木のアーチの向こうのカーブからC12があらわれた。先ほど聞こえたドラフト音は不思議としなかった。ファインダーの中でだんだん大きくなってくるSLにピントを合わせる事に集中した(三脚を使っての撮影というのも初めてだった。フレームを気にしなくていいというのは実に楽だった)。やがて画面からSLがはみ出たのでファインダーから目を離した。C12はほぼ無音で僕の目の前を通過していった。「ドラフト音」はどうしたのだろうか?

31-JAN-1998 真岡鉄道 多々良〜市塙間
PENTAX LX FA☆80-200F2.8 1/250 f4 FUJI SUPER-G100




2.磐越西線「SL会津路号」 D51 498


 SL撮影2回目にして早くも中距離の撮影である。しかも憧れのD51だ。C62亡き今、日本最大の動態保存蒸気機関車である。D51は、その太いボイラーと、小径の4連の動輪が並ぶ姿がダックスフントを連想させる(これは我が家の特殊なダックスフントにのみ当てはまる!?)。全ての機関車の中で最多の生産両数を誇り(国内で1115両)全国どこへ行っても見ることが出来た。C62やD52、E10型等のようにパワーはあるが、その軸重や特殊性から使用線区が著しく限定されるような機種に比べ、そこそこのパワーとそこそこの重量が故の万能機関車であり、貨物列車のみならず、峠超えの旅客列車も牽引するという、まさにスーパースターである。また初めて見た動くSLが梅小路のD51 200だった事も起因している。転車台の上で鳴らした汽笛の音はあまりに大きく美しく、その音が古都京都の街に反響するのを聴いた時、うれしさやら残念さやらで、ちょっと泣きそうになった事がある。


 数日前から入念に計画を練っていた。郡山の駅でまず入線するD51を迎える。列車は乗客をおろすとすぐに発車する。そろりそろりと発進し、ドレインを切る音はけたたましいもののSL特有の発進音(銀河鉄道999のオープニングを思い出してみよう。あるいは「犬神家の一族」のエンディングでもよい)を聴く事ができなかった。

 郡山駅の跨線橋からターンテーブルが見える。そこへ向かってD51が近づいてくる。美しい姿をやや俯瞰から見る事が出来る。転回した後はすぐに機関庫へ入ってしまった。僕が乗る各駅列車の発車までは1時間もあった。その列車の到着する数分前にD51が再び目の前を通っていく。


 沿線は異様な光景だった。カメラの大放列(推定50人位)が数百メートル毎に出現するのだ。それは旧中山宿駅を通過したあたりから顕著になった。そして新中山駅で下車するが、もうまったくどうしたらよいのか判らない状況だった。良い地点を探そうにも、この雪の中、自由に動く事もままならなかった。駅からほんの数メートルにある踏切の傍に三脚を立てる。線路に接近しすぎた人々は監視の職員たちにつまみ出されているが、僕は間一髪セーフだ。とはいえあまり状況は良くない。僕の目の前にはカメラの大放列がある。三脚につけた200mmでとりあえず遠くの姿を追う事にする。鉄道マニアの頭入り、立ち木入りの写真になることはまちがいない。勝負は手持ち標準ズーム機にかかっている。こちらにリバーサルを選んだ。

 列車通過時刻が近づくにつれ、現場に緊張が走る。目の前の大放列の中にひときわうるさい奴がいた。終始「おーい!どけよっ!じゃまなんだよお!」と怒鳴り散らしていた。このような罵声は鉄道写真の現場では日常茶飯事のようである(残念ながら)。

ちょっと露出アンダーでした 例によって、列車通過のかなり前から汽笛の音が山岳にこだまする。そして、すっかり待ちくたびれた頃に、山のかげからもうもうと吹き上がる黒煙が見えてきた。こここれは凄いっ!C12とは訳が違う。自分の身長の7倍はある、桜島の噴煙か原爆雲かというものすごい煙をほぼ垂直に上げながら、ゆっくりゆっくりと近づいてきた。200mmの方はこの煙の雰囲気がわかればいいや!と、適当にシャッターを押す。予定通りマニアの頭が沢山入る。そしていよいよ手持ちの標準ズームの射程距離にまでやってきた。事前に行ったイメージトレーニングなんか何の役にも立たない。とにかくピント第一。そして余裕があれば構図にも多少気を配る。ただし、人物が入ってしまうのは無視という方針で撮る。しいて言うなら、現場のこの狂気ともいえる雰囲気が写真であらわせればよかったのだが、これは今後の課題としよう。

 列車は時速13kmという今にも止まりそうな速度で僕の目の前を通過した。また無音で。そして汽笛を短く一声鳴らしてから、黒く大きなその巨体を狭いトンネルの中へ押し込んだ。後には煙と、石炭の燃えた匂いだけが残った。たったこの一瞬の為だけに僕は東京からはるばるやって来たのだ。鉄道写真家はこの一瞬の為に気の遠くなるような時を過ごすのだ。先程までの妙な興奮と緊張の反動で、非常なる空しさを感じた。


31-JAN-1998 磐越西線  郡山駅
PENTAX Z-1P FA☆80-200F2.8 1/250 f5.6 FUJI SUPER-G100
31-JAN-1998 磐越西線  旧中山宿〜中山宿間
PENTAX Z-1P FA☆80-200F2.8 1/250 f4
PENTAX LX FA28-105 1/250 f4 RDPⅡ



3.水郡線「SL奥久慈号」 C58 363


 1月16日(金)に、常磐線の土浦〜水戸間にD51が走るという情報を得ていたのだが、仕事で行く事は出来なかった(平日だもんな〜)。その関連行事として、2〜3月の間には水郡線にSLが走るのだ。秩父鉄道でよく走っているあのC58だ。

 とはいえ、水郡線なんて、まったくもって様子の判らない路線である。とりあえず、常磐自動車道を(言えないような速度で)激走する。右車線からパジェロか何かに追い越された時、車に「カッツーン」という衝撃が走った。「パジェロに石でも跳ねられたか、それとも僕の車から何らかのボルトが脱落したか…」車線を左に変え、急に法定速度をはるかに下回る速度で「那珂IC」まで行く。高速を降り、一般道を走るが、コーナーで激しいロールとアンダーステアに襲われた。いよいよ部品欠落による症状が現れたか?と思ったが、単に速度が速すぎる為だった。ゆっくりと走っているつもりだったのだが、交差点への進入で70km/Hも出ていたらそりゃ〜曲がらないだろう。
 そこからだらだらと水郡線沿いに進む。初めて来る場所で、鉄道沿いで、しかも上り坂で、車を止める場所がある所を探すなんて無理だ。それでもなんとか探し出す。もっとも坂の勾配は3/1000だが、列車通過時刻が近づいている為、ここに決定した。

 例によって汽笛の音が遥か彼方から聞こえてくる。忘れた頃になってやっとC58の姿が見えた。やけに明るい前照灯を煌煌と輝かせ、強風の中、黒い煙を不自然に撒き散らしながら徐々に近づいてくる。やみくもにカメラのシャッターを押すが、SLが遠くにいる時の写真なんてまったく意味のないものだった。最後の2〜3カットがすべてだった。そして例によって無音で通り過ぎてゆく。いったいいつになったら憧れのドラフト音を聴く事が出来るのだろう。

追伸:数週間後、車の下部をのぞく機会があったが愕然とした。右フロントのダンパーとロワアームを締結しているナットとスプリングワッシャーが跡形もなく消え去り、動く自由を与えられたボルト君が僕の車から今まさに旅立とうとしている所だった。


28-FEB-1998 水郡線 野上原〜玉川村間
PENTAX LX FA☆80-200F2.8 1/250 f4 RDPII



4.SLもおか号乗車


 今まで(今年になる前)にも何度かSLを見かけた事はあった。車に乗っている時に偶然にこの真岡鉄道や秩父鉄道の列車と並走した事があったし、さらには梅小路機関車館にも何回か行った事があった。だが、SLの牽引する列車に乗った事はなかった。

 鉄道写真家には「忍耐」という言葉が似合う。夏は炎天下、冬は極寒の中で何時間も(他の写真家と喧嘩しながら!)待ち、列車はほんの一瞬で通り過ぎる。
 列車に乗車していれば、少なくとも1時間やそこらは機関車と共にすごせる。汽笛やドラフト音もそれ位聴いていられる訳だ。ただし、姿を見たり写真に撮るのは難しいと思われる。今回は写真はあきらめ、「音」に焦点を合わせる事にした。

 当日は寝坊した。よって、下り列車の乗車に間に合わなかったどころか、帰りの上り列車すれすれに茂木に着く事となった。
 行きの下り列車の前面窓に釘付けになりながら、勾配がきつくて長い場所を探索したが、どうやら真岡鉄道はほぼ全域にわたってフラットなようである。上り方面では唯一、茂木を出た直後に25/1000で、右へ左へとカーブする区間がある。下り方面では「笹原田(だったか?)」の後にも25/1000があるが、こちらは短く、勢いで登れてしまいそうだった。他には「多々良」を出た直後に10/1000のだらだらした上り坂があるが、それは1/31に撮影をした場所である。ドラフト音はまったくしなかった。よってこの茂木を出た直後の勾配がハイライトだろう(約1時間半の乗車のうちの最初の数分がすべてだなんて!)

 茂木でレールバスから飛び降り、トイレに飛び込んだ後、乗車券を買う。どこぞの全席指定の臨時SL列車と比べると嘘のようにあっけなく購入する事が出来た。そして50系客車に乗り込む。昭和53年新潟鉄工所製のこの客車はかつてはレッドトレインなどと言われ、国鉄のいわゆる「旧型客車」に変わるものとして製造された。車内に入ると、455系なんかとたいして違わない。かつて一度だけ乗った旧型客車の非日常(ドアを手で開ける。いや開けっ放しで走る事もできた)に比べるとまったく普通だった。

 発車の汽笛がなる。列車は静かに…いや、すごい音と振動を発しながら進みだした。蒸気機関車牽引によるものではなく、客車のせいだと思うのだが、とにかく終始その音に悩まされた。肝心のドラフト音は、耳をすますとその客車の音や幼児たちの声に混じってかすかに聞く事が出来る程度だった。窓を全開にしたいという衝動をかろうじて押さえた。

 やがて車速が落ちてくる。ドラフト音が(小さいながらも)激しくなってくるのがわかる。23km/hで均衡した。地上に落ちている空き缶の銘柄まで見える。その速度のまま延々と坂を登ってゆく。坂の頂上を超えた所でドラフト音は急に消え、速度が見る見る増加してゆく。以降、客室ではドラフト音を聞くことは難しくなった。
 客室から先頭のデッキに移動すると、少しはマシだった。汽笛はよりクリアに聞こえ、発車時のドラフト音まではなんとか聞けるようになった。更に、ドアの後ろ側(戸袋側)付近に耳を近づけるとかろうじてロッドが鳴く音や複雑なジョイント音を聞く事が出来る。

15-MAR-1998 真岡鉄道「SLもおか号」車内にて
PENTAX Z-1P FA28-105 1/30 f5.6 FUJI SUPER-G100



5.ドラフト音を求めて


 前回の真岡鉄道乗車で発見したポイントに行ってみた。例によって朝は弱く、上り列車の通過する10分前に天矢場の駅に到着。この駅には、きれいな駅前ロータリーがある。数年後はどうかわからないが、現在の所は少々の間なら車を止めておいてもまったく平気な状況だ。そこから100mもあるくと、列車が25/1000の急勾配をあえぎあえぎ登る場所だ(頂上が天矢場の駅)。待つ事数分。茂木を発車する列車の汽笛が山間にこだまする。そして更に数分の後、いつもなら汽笛の音ばかりが先に聞こえてくるのだが、今回はドラフト音の方が先に聞こえてきた。例によって時速23Kmのドラフト音は徐々に音量を増し、そして右コーナーから顔を現わした。今日はヘッドマーク付きだ。今回は初めて、やや高い位置からの撮影となった。磐越西線以来、LXに入ったままだったRDPIIをついに使い果たした。

 C12形は、国鉄の近代蒸気の中ではもっとも小型(B20形をのぞく)機であり、当初は「どうせ迫力などは望めまい!」等と少々ナメてかかっていたのだが、だらだらと延々と続くこの急勾配での限界ギリギリの力走には脱帽だった。機は天矢場の駅にさしかかるや否や、つまり線路が水平になるや否や速度を猛烈に上げ、そしてあれほどけたたましかったドラフト音がピタリとやんだ。

 器材をてっとり早く撤収し、急いで車を発進させ、SLの後を追う。先回りして、たとえ車の中からでもよいから、もう何度かSLの姿を見たかった。だが道は予想以上に混雑し、特に陶器市の開催されている益子付近では絶望的な渋滞となった。
 しかしバイパスを通って真岡市街を超えると、沿線には再びカメラを構える人々が増えてきた。「しめた!」更に輪をかけ、目の前に「寺内」という駅が現れた。車を止める事も可能だ。カメラをわしづかみにして車から降り、改札をぬけると、SL列車は今まさにこちらにやってくる所だった。平坦路線部なのになぜかドラフト音が聞こえてくる。先程のが「力」ならば今度のは「速さ」を予感させるようなものだった。時速50km。直径1.4mの動輪の回転数は1秒間に3回。しかし、SLの排気は動輪1回転に対して4回行われるため、排気音は1秒間に12回にもなる。普通の人に音だけ聴かせて「どれくらいのスピードが出ているか」とたずねたら「120km/h!」と答えるんじゃないかと思う位、これはこれで迫力があった。


04-APR-1998 真岡鉄道 茂木〜天矢場間
PENTAX LX FA☆80-200 1/250 f4 RDPII
04-APR-1998 真岡鉄道 寺内駅構内
PENTAX Z-50P SMC50mmF1.2 1/250 f8 FUJI SUPER-G100



6.秩父鉄道「パレオエクスプレス」乗車

     〜SLギャル現る!!〜


 「当日突然気が向いて出かけても乗れるSL列車第2弾」として、秩父鉄道の「パレオエクスプレス」に挑戦してみた。例によって寝坊したため、10時10分発車の列車に対し、10時3分に到着する事となった(この滑り込みのスリルが最近は快感になりつつある)。

新幹線の高架の下にある秩父鉄道のホームには、文字どおりピカピカに磨き上げられたC58 363と、これまたピカピカな正真正銘の旧形客車スハフ42形(+ほか数両)が静かに停車していた。真岡鉄道同様、子供達が運転席に座る事が出来る。僕も自分の年齢を忘れて座ってみたかった。ただ僕の場合運転してみたくなってしまうのでやめておいた方が無難であろう。犯罪者になってはマズい。

 客室内は流石に座れる状況ではなかった。最先頭車両のデッキに身をおく。ここからは機関車の煙突から吹き上げる煙を見る事が出来る。が、ここでも、客車の走行音と、以外に良い遮音性とで、ドラフト音は聞く事ができなかった。

 寄居駅で停車。車外に出る。大きなテレビカメラが回っている。テレビ東京の鉄道紀行番組だそうだ。レポーターの人がSLの前頭部でコメントを述べた後、客車の方へ向かう時、第2動輪の前、機関車から約1.5m離れた位置にいるのが僕である。それはともかくこの時、かねてから気になっていたSLのメカニズムに関する質問をそばにいた機関士さんにぶつけてみた「あの〜。これ何ですか?」。「(…主連棒の事だろうか?でもそんな質問をされるのは変だよなー。)」というような一瞬の間の後、「シリンダーを潤滑させる油のポンプですよ。」と教えてくれた。ああ何て専門的な質問なのだろう。

 列車に戻ってみると、先ほどの進行方向左側のデッキはすでにとられていた。長瀞付近ではこちら側に川の流れが見えるはずだったのだが…。右側を見るとパラグライダーが10数機飛んでいる。長瀞を過ぎ、秩父を過ぎるとがらがらになった。左側の窓側に座る。窓を少し開けたが、あいかわらずドラフト音は聞こえなかった。そのまま三峰口に到着してしまった。連結を切り離し、機関車が単体で動き出した時が、今まで聴いたドラフト音の中で一番大きなものだった。

 さて、帰りである。ドラフト音には期待は持てなかったが、先頭部の窓際に座るべく、「機回し」も見ずに、SL専用改札口に並んだ。3番目位だったと思う。改札をぬけるや否や全力ダッシュをし、一人ぬき、2位になった状態で先頭車両に飛び乗った。この車両だけ旧型客車の中でも特に古いスハフ32形(昭和13年製)で、床や窓枠や肘掛けが木である。右側の、先頭から2ボックス目をとる。確か僕の後ろにはちょっと目つきの恐いにーちゃんだったと思ったのだが、うら若き女性2人組になっていた。僕とは反対側の席をとり、「あ〜先頭にのりたくて走ってきたのに〜」と叫んだ(彼女らも2ボックス目だった)後、機関車の運転席で写真を撮るために慌ただしく外に出ていった。そして帰ってくると今度はスハフ32の解説パネルを写真に撮ろうとして、「キャーこれ写るかな〜(パシャッ)あーブレたかも〜。どうしよ〜」と叫び、おもむろに窓を全開にして身を乗り出す…。青山か表参道でも歩いたら似合いそうな容姿をもち、そのはしゃぎようからは、SMAPかなんかのおっかけを連想させるのだが、お目当ては歌って踊れる男の子グループではなく、鋼鉄のC58だ。

 やがて列車は発車する。どうやら一人は熱烈はファンで、もう一人の方は仲はいいけどSLにはさほど興味がないようだった。走行中、相変わらず窓から身を乗り出し、「○○だったらいい写真が撮れるのにぃ〜」とか言っているのを、うんざりというわけではないが好意的でもないといった様子で聴いていた。ところが、そのはしゃいでた方の子が突然「素」にもどってしまった。友達とお菓子を食べたり、旅のチラシを見たり、最後には疲れて寝てしまった。これではまるでただの旅行好きなだけの女の子2人組ではないか!!

 さてこの秩父鉄道の運行なのだが、「スピード」や「迫力」を求めてはいけないようだった。とにかくスピードはのろい。最高速度は40km位だろうか。それもごく一部で、大抵はその半分位だ。しかしおかげで窓から顔を長時間出していてもあまり疲労しない。そして沿線の人々が多く、どこを走っても必ず人がいる。そしてとにかくみんな手をふってくれるのだ。それはSL通過駅で次の電車を待つハイカーだったり、長瀞ライン下りの客だったり、並行する道路上の車からだったり、沿線住宅地の子供達だったり、荒川土手で花見をしている人々だったり…。これはひとえに、機関士さん達が選挙カーの広報員並みに沿線に向かって手を振っているからなのだが、とにかく乗っていて楽しかった。

 やがて列車は熊谷に到着した。SLギャル達は再び本領を発揮し、きゃあきゃあ言いながら機関車の写真を撮り、機関士さんと一緒に写真を撮っていた。列車は秩父鉄道の電気機関車に引かれ秩父方面へ去っていった。


05-APR-1998 秩父鉄道 長瀞駅
PENTAX Z-50P FA28-105 1/125 f11 FUJI SUPER-G100
05-APR-1998 秩父鉄道 三峰口駅
PENTAX Z-50P FA28-105 1/125 f16 FUJI SUPER-G100


7.SL奥利根号 乗車



 思えば去年の丁度今頃、SL列車のちらしを見て高崎まで出かけたものの、C58(と, ちらしには書いてあったと思う)ではなくEF55牽引による奥利根号に変更になっていた。EF55も、製造年でいえばD51よりも先輩(昭和10年)になるような歴史的車両ではあるのだが、所詮は電気機関車である。がっかりしながら帰った覚えがある。
 今まで絶対に取る事が出来なかったSL列車の指定券が、発売日の朝に買いに行った事もあってようやく手に入れる事が出来たのだ。

 さて高崎に着くと、すでに列車は着線していた。D51は前回のC58に比べると流石に大きい。相変わらず運転席に座って写真を撮るための人の列が出来ていた。どうやら恒例行事のようだ。
 今回乗車する列車には、展望車がついている。その昔(といっても去年位までの事だが)は「ノスタルジックビュートレイン」と呼ばれていた。前後に展望車を含む8連の50系客車の改造車で、車内は木の椅子にテーブル、天井には白熱電球と、古き良き時代を連想させるつくりとなっていた。現在は中間の6両は廃車され、展望車のみが残る。この2両が12系客車4両の前後に連結されていた。あまりいい配色とはいえない。今回はこの(ちょっと色は悪い)展望車が最大の目玉だ。D51の鼓動や吐息を直接感じる事が出来るのだから。ちなみにこの展望車の窓は開かない。
 出発。汽笛の音はけたたましいが、超微速発進の為、相変わらずドラフト音は聞こえない。ひょっとしたら今日もドラフト音を聴く事は出来ないんじゃないかと思った。ロッド類の鳴く音が聞こえる。かなりガタのありそうな音だ。速度は60km/h位。ちょっとした風向きで煙が展望室を襲い、大抵の他の客は車内に入ってしまう。雨がふりそうな、停車中でも少々肌寒い天候の中、つまり走行中はかなり寒い中、そして機関車の煙突からは石炭の燃えかすが絶え間なく降り続ける中、ずっとその展望車にへばりついていた。

 新前橋を過ぎ、渋川に着く。ここからは風光明媚な利根川の流れと並行すると共に、長いトンネルが数箇所点在する地帯だ。地図で確認し、トンネルが近づくと客室内に逃げ込んだ。坑門が近づくにつれ悲鳴を上げながら入ってくる人。トンネルに突入した後に煙にまかれて入って来る人。この人たちは速やかに入れば良いのにだらだらと入って来た。そして最後まで展望室で粘るツワモノ達。展望部の窓が蒸気で真っ白になる。トンネルを出るとまたそそくさと出てゆき、地図と地形を比べては室内に入る。おかげで川の流れを見る余裕がなかった。そうしている間に沼田に到着。ここでも少々停車する。外に出る為に一旦室内に入ると、まだ煙が充満していた。
 後閑を出た所から、今までと少々違う雰囲気になってきた。これから向かう急勾配に対して勢いをつけているかのように速度はぐんぐん上がり、そしてブレーキをかける訳でもないのにみるみる速度が落ちてくる。峠の鉄道特有の現象だ。そして水上の直前で上りと下りが別々になる所で、最後のトンネルの為に室内に入っていたのだが、出てみるとなんとドラフト音が聞こえるではないか。決して「加減弁全開」という訳ではなく、どちらかといえば上品な音ではあるが、今までの「無音」とは比較にならない。本当の最後の最後にちょっといい事があった。

 列車を降り、転車台での方向転換、上り運転に関する各種メンテナンス(給水、注油、石炭の燃えカスの排出等)を見学したが、帰りの列車まではまだ3時間もある。先程の、幻のドラフト音ポイントへ行ってみた(徒歩30〜40分位)。トンネル(短い)を抜けると、土手とホテルに挟まれた狭い場所を通っている。ちょっと不思議な場所だ。次回車で訪れる時はここにする事にした。

 帰りも行きと同様、終始展望室にいた。上り列車は下り坂ばかり(ややこしい)なので、煙はさほど出ない。トンネルの中でも、風は強いが、煙はあまり気にならなかった。寒いのと、足がだるいのとで、何度室内に入ろうかと思ったが、なんとかこらえた。


18-APR-1998 上越線 水上駅構内
PENTAX Z-50P FA28-105 1/125 f11 FUJI SUPER-G100


8.嗚呼デジタルビデオ!!


 撮影地まで何時間もかけて出向き、列車が来るまで何時間もボケ〜っと待ち、列車はほんの数10秒で通り過ぎる。また何時間もかけて帰る。そして出来上がるものが、写真数枚だけ…。これがSLに限らず、鉄道写真家のつらい所だ。それを少しでも解消しようと、次回の撮影時には、今まで使ってなかったビデオカメラを持っていく事にした。カメラのテストをやってみると、カメラは見事にイカレていた。しかし一度ついた火は消す事は出来ない。あのカメラを今更数万円もかけて修理するのはばかばかしい。買う買わないは別として、早速秋葉原へ下見にいった。どう見ても古くて、格好悪くて、性能も?な(ハイエイトでない等)もので6万円位(キット別)だった。あとは10〜15万円コース(ハイエイト、形落ちのビューカムタイプのDV等)と、15〜20万円コース(小型又は多機能又は高性能)といった所だった。「ちょっと20万は出せないな〜」そんな僕の目の前に突然、3CCDを搭載したDVカメラが現れたのだ。破格だ。その、昔のホンダのスクーターと同じ名前を持つデジタルビデオカメラはその日のうちに我が家へとやってきた。

 前回発見した水上駅直前の場所へ行く事にした。例によって寝坊した。今回は本当にアウトかと思ったのだが、渋川伊香保〜水上間を高速でぶっとばした事や、水上駅に車を置くのではなく、インター〜駅の間の利根川を渡る橋のたもとにあった駐車場に停めた事や、その駐車場〜撮影地点間(約1.1km)を、機材を持って走った事などによりこれまた列車通過5分前にセッティングが完了した。
 スチールカメラの方は、最近すっかり三脚に慣れてしまったせいで、D51を見た途端に手が震えてしまい、散々たる結果となった。そして肝心のビデオの方なのだが、なんと、「ドラフト音が聞こえない!」のだった。速度的には前回と同じ位である。あと数百mで終点にもかかわらず煙突からは黒い煙がモクモク出ていた。なのにやっぱり音がしないんだな〜。次回は、最後の砦となるべく場所からの撮影を試みようと思う(少々危険だが)。

 さて上り列車は、下り勾配のため、迫力も、煙も、当然ドラフト音もない。しかし、せっかく遠くまで来たのだから撮影して帰ろうと、撮影場所を探した。
 上越線上をどんどん南下し、渋川手前の大正橋まであっという間に来てしまった。コンビニで小休止してから再び北上した。国道17号と上越線が少々離れた岩本〜渋川間が穴場では?と、狭い山道に入っていく。丁度トンネル出口上を道が通っている。そこから少々イケナイ場所を進むといい撮影場所があった。これといった特長もないが、架線柱が向こう側にしかなく、まあまあの場所のようだ。すでに先客がいた。イケナイ土手の上を歩かなくても、車ですぐ傍までいけるようだった。
 その人は、すでに秩父鉄道や、水群線を撮影しにいったそうだ。ミノルタSR−Tに50mm単レンズ、レリーズを付け、一撃必撮にかける。ズームと自動巻き上げでとにかくバシャバシャ撮る人(僕もか?)に比べ、一種の気迫のようなものを感じた。昔の、スピードグラフィックスを首からぶら下げた報道カメラマンのようだ。僕には恐くて真似出来ない。そこへもう一人やってきた。重圧なアルミケースに大型三脚を持ってここまであがってきた。ところが、取り出したのはかわいらしいZ−50Pである。ペンタックスオンリーの人で、メインのカメラは修理中だとの事だった。僕も最近はZ-50Pにはまってしまって、ほかのカメラの出番が少ない。
 列車の方は、煙も上げず、勿論ドラフト音も立てず、ジェットコースターのようにあっという間に過ぎ去ってしまった。その後3人でしばらくSL撮影談義に花が咲いた。その中で、他の2人が口をそろえて言っていたのが「真岡鉄道は迫力なさそう!」である。僕は「一番迫力があると思う!」と力説したのだが、わかってもらえなかった。もっとも、この人達はSLの現役時代を知っているのだろうから、「D51重連峠超え」等といったすごいものも当たり前のように(あるいは「うるせーな〜」と思いながら?)見ていたのかも知れないが。


29-APR-1998 上越線 上目〜水上間
PENTAX Z-50P FA28-105 1/125 f11 FUJI SUPER-G100
29-APR-1998 上越線  佃〜敷島間
PENTAX Z-50P FA28-105 1/125 f8 FUJI SUPER-G100


9.ドラフト音を求めて(その2)


 デジタルビデオで、迫力の天矢場の急勾配に挑んだ。今回はめずらしく、通過の1時間も前に現地に到着した。といっても、本当ならD51を見に水上まで行く予定だったのだし、せめて下りの市塙も撮るべきだったのだから大寝坊には違いなかった。
 場所は、前回「5.ドラフト音を求めて」とまったく同様の場所である。天矢場に関してはその少々茂木寄り、寺内はホームの一番茂木寄りである。
 天矢場の後、例によって全速力で列車の後を追う。益子では、陶器市付近はなんとかパスしたものの、その帰りと思われる渋滞にはまった。田んぼの中を進むと、列車が見えた。あと15秒早ければ並走出来たのだが、出来なかった。その後更に本格的な渋滞にハマる。寺内駅に付き、ビデオを鷲づかみにしてホームの端で電源を入れると、今まさに緩い左カーブから出てくる所だった。



天矢場付近通過音(173kB)

MP3を再生出来る方は こちら をどうぞ(363kB)



寺内駅通過音  (120kB)

MP3を再生出来る方はこちらをどうぞ(***kB)


05-MAY-1998 真岡鉄道  茂木〜天矢場間
PENTAX LX FA☆80-200 1/125 f4 RDPⅡ
(寺内駅に関しては写真を撮る余裕がなく、4月4日のものと同一です)

SOUND DATA
VIDEO CAMERA:Panasonic NV-DJ1 (16BIT 48kHz STEREO INNER MICROPHONE)
WAV FILE :8BIT 8kHz(ANALOG(AIR)CONNECTION)




10.雨中ビデオ撮影

 秩父鉄道のビデオ撮影に行ったのだが雨だった。それでも傘をさしながらねばった。そのかいあって、C58のドラフト音(及び走行シーン)を収める事に成功した。乗車した時は、そんな音はしなかったのだが、結構いい感じだった。
 場所は国道140号にある「道の駅 あらかわ」という所を入り、しばらく走ると秩父鉄道と道が並行する場所がある(140号と秩父鉄道が比較的離れる所)。下り列車は長い直線の後、やや左へ曲がった後に推定10/1000の坂へ挑む。さほど長い坂ではないが(300m位か?)頂上付近では速度が明らかに落ち、直線をすっ飛ばしてきた時の元気は失われていた。この坂を登る時及び、坂に備えての加速時に、ドラフト音が聞こえたのだった。勿論、「全開」という感じではないのだが、(無音に比べれば)充分に迫力のあるものだった。

 しかし帰り(上り)の列車は悲惨だった。
 浦山口を出た上り列車は、右へ左へと曲がりながら深い緑に覆われた推定10/1000の坂を登ってゆく。隣接する道路の勾配が逆な為、碓井峠どころか、箱根登山鉄道をほうふつさせる急勾配に見えるが、実際はさほどでもない。しかし、C58+旧客4両という組み合わせでは、10/1000程度の坂でも充分にドラフト音が(沿線に立っていれば)聴こえる事がわかったので期待は大きかった。

 列車の正確な時刻を知らなかったのが敗因か?
 車の中の時計が30数分もずれていたのが敗因か?
 浦山ダムで遊びすぎたのが敗因か?

考えてみれば、このパレオエクスプレスは、三峰口では1時間程度しか止まっていないのだ。
なのに、浦山ダムを1周し、しかも車で行ける一番奥の集落までドライブしてしまったのだ。現地に着いたのが1時40分頃だった。
「確か2時数分発だ。ここまで20分位かかるとして、あと40分間何をしようか…」
その日は雨だったので、機材に傘をさしておかなければならない。ちょいとブラブラしてみたり、その辺に腰掛ける事も出来なかった。
 それでも、あの(ある程度)迫力のあるドラフト音の為なら我慢出来た。
「ひょっとしたら空転するかもしれない。そんな事になったらどうしよう…」
そんなくだらない事も始めのうちは考えられた。
そして2時20分になり、2時30分になったが列車は一向に来ない。なにしろこの場所は突然列車が現れる所なので、煙や音が来てからでは遅いのである。何度もビデオを動かしたり、止めて巻き戻したりしてるうちに、いよいよ2時40分になってしまった。

  「遅い!あまりにも遅い!!」

右腕にはめたアナログ式の腕時計をもう一度よく見ると、どうやらそれは「3時40分」と読む事が出来るようだった…

14-JUN-1998 秩父鉄道
武州日野〜白久間(ビデオのみ)
浦山口 〜日野間(………)



11.明治村


 突然、明治村に行く事になったのは、7月16日の夜、つまりわずか2日前に決定された事だった。

 明治村には、動態保存SLの他にも動態保存京都市電、そして隠れ建築物マニア(詳細は 都電のある風景 を参照)である僕の心を大きく揺り動かす数々の建築物がある。特に、ライト設計の「帝国ホテル玄関」と、震災にも空襲にも耐えた隅田川唯一の橋「新大橋」(の切り身)に興味があった。

 さて一歩そこへ踏み込むや否や、そこはまさしく桃源郷であり、2度と出てこれなくなるのではないかという恐怖と戦いながらの見学だった。実際の見学時間は無論有限であるため、あまりのんびりはしておれず、後ろ髪をひかれる思いで急ピッチでまわった。

 京都市電には程なく遭遇出来たのだが、他の3点は見学コースの後半に集中していた。閉園時間が迫った為、突然「SLに乗ろう!」と家族を「鉄道寮新橋工場・機械館」からSL名古屋駅まで押し上げたのだ。

12号蒸気機関車は、イギリスのシャープ・スチュアート社製で、明治7年輸入され、新橋・横浜間を走った日本最古の蒸気機関車の一つでである。明治44年尾西鉄道に払い下げられ、同社の12号機となった。(←明治村パンフレットより転載)


18-JUL-1998 明治村  明治村「うゃきうと」駅構内
PENTAX Z-50P FA35-80 1/125 f8


12.リターンマッチC58


 前回の雨中撮影は悲惨だった。理由はともあれ、雨の中ビデオカメラを構え、カメラに傘を差し出したまま約1時間の間身動き一つ出来ずにただただつっ立っていたのだから。映像を撮る為ならその程度の苦労は惜しまない。機材のトラブルだったらあきらめもつく。しかし、時計を1時間見間違えていただなんてあまりにもばかばかしい。僕はこの地点に対してリターンマッチを申し込んだ。

 下り列車通過時は雨だった為、ビデオのみの撮影となった。そして上り列車の撮影の為、前回のあの例の場所へ向かう。ビデオとカメラの三脚を立て終えた頃に太陽が雲間から顔を出した。湿度も高く、おびただしい量の汗をかきながら列車が来るのを待つ。晴れだろうが雨だろうが、列車がいつやってくるのかは見当もつかない。ただ、14:15〜14:30の間だろうという事だった。

26-JUL-1998 秩父鉄道 
武州日野〜白久間(ビデオのみ)
浦山口 〜日野間
PENTAX Z-1P FA28-105 1/125 f5.6 RDPⅡ


13.SLスチーム号(梅小路機関区8620型)


 機関車館は今回で3回目だ。前回は、SLに興味のない人々とおとずれたので落ち着いて見る事が出来なかった。SLスチーム号は8630だった。その前は小学生だった。構内運転はD51 200だった。
 さて今回は、SLに本格的に興味を持ってからは初めてなので、見所も沢山あるように思った。たとえば、「製造は何年でどこ?」とか、「最後の全検はいつ?」等。中でも一番興味があるのが、「程度はどうか?修理すれば直るのか?」という所である。機関車館が出来た時には、17両中13両が動態保存だった筈だが、今ではC62 2,C61 2,D51 200,8630(車籍なし)、それと山口線に出張中のC57 1とC56 160の計6両しかないのである。

 そのD51 200はテンダーを外され、主連棒を始めとした各ロッドが外され、運転席内の蒸気分配室付近の組み立てを行っていた。昨年福知山線で数百メートル走った同機だが、これはいよいよ本線復帰へ向けての修繕なのか?その隣では王者C62 2の下に人がもぐりこんで何やら作業をしていた。

 スチーム号は、今回も8630だった。そして、8630にかかわらずだが、ここではドラフト音なんて絶対に聞けない事も判っているのだが、でも今回は300円払って乗ってみる事にした。
 出発の30分程前に機関士さん達が(放送で呼ばれて)登場する。それまで数時間はまったく放置されていた機関車が目覚める。まずはコンプレッサー。煙突直後にコンプレッサーで使用した蒸気の排気口があり、そこから激しく蒸気を吹き出す所はC12と同様である。
 やがて、煙突からモクモクっと黒い煙があがる。その頃から改札が始まる。改札をすませるが、すぐには乗り込まず、運転席の中をのぞく。缶圧は10気圧程度だった。まあ構内をひょろひょろと数百メートル走るだけなのだからこんなもんでも充分なのかも知れない。機関士さんに火室の中を見せてもらった。炎は火室全体に「メラメラ」と広がっていた。ついでにまたマニアックな質問をしてしまった。機関車をほったらかす時は、石炭を山型に積み上げ、小さく長く燃えるようにしているそうだ。それでも2時間位しか持たないそうだ。
 8630の汽笛は近年の電気機関車のような、ほとんど蒸気の音しかしないようなものだった。 そして鐘をカンカン鳴らしながら走る。写真で見ると確かにそのようなものがついている。 ドラフト音は当然聞こえず、その工程の大半で排出弁を開きながらの走行だった。まあこれはこれで仕方のない事だろう。もう少し距離が長くて、元気があれば良いと思うのだが。

PS:3日後に新幹線の中から機関車館を眺めてみると、C62 2が機関庫の外に出て、そして煙突からはうっすらと煙をはいていた。いよいよ本線復帰か?



01-AUG-1998 梅小路蒸気機関車館 
PENTAX Z-1P FA35-80 1/125 f11 RDPⅡ


14.番外編 加悦SL広場


 このページでは死体(静態保存機)は扱わぬのだが、今回は特例(遠くまで行ったので)として取り上げてみた。
 このSL広場は、旧加悦鉄道(85年廃止)の加悦駅構内に眠っていた鉄道のお宝群を近年、現在の場所に移動し、リニューアルオープンしたらしい。中には関西最古、国内で2番目に古いという「2号機関車」を始めとした、加悦鉄道で使用していたSL3両+国鉄からの借り物の近代蒸機2両の計5両ものSLが展示してある。が、僕の目はどうしても近代蒸機の方にいってしまうのだった。
 程度はいま1つである。なんとなくきたないのだが、屋外保存ならこんなものか。梅小路に行った後なので目が肥えているのだろう。運転席に入るための階段はないのだが、「機関車に登らないでください」という看板もない。機関士さながらに地上から細いはしごを使って運転席に入る。つまらない事だが始めての体験である。運転席の中の欠品は多い。テンダー内には、スノープラウが無造作に積まれている。付けた方が格好良いと思うのだが?なお、火室の中をのぞくと失望する。

 ちなみにこの前日の夜、旧中舞鶴駅跡の公園に展示してあるC58にも乗った。真っ暗だった為写真はない。

02-AUG-1998 加悦SL広場 
PENTAX Z-1P FA35-80 1/125 f9.5 RDPⅡ


15.天矢場(その3)


 僕のSL以外の趣味の一つとして車がある。
 ここの所しばらくは、車の手入れや、試験走行と称して左右につづら折れになった道を目のまわるような速度で走ったりで、SLはご無沙汰していた。
 僕は関東平野のどまん中に住んでいる。そのため、近所に道がつづら折れになっているような所は筑波山位しかない。毎週のように筑波山に通っていた。
 しかし考えてもみたまえ。筑波山と、下館や茂木はいわば目と鼻の先とも言えるのである。少なくとも「筑波山と秩父」に比べたら明らかに近い。だったら、峠に行った帰りにSLを見るべきだろう…

 こうして、世紀の共演が実現した。SLを撮影したカメラやビデオカメラは、使用前に車中で存分に「シェイク」されたものである。急激なハンドル操作による遠心力であっちこっちに吹き飛ばされないように機材を積み込むのは案外むずかしい。


09-AUG-1998 真岡鉄道  茂木〜天矢場間
PENTAX Z-1P FA28-105 1/60 f4 RDPⅡ


16.天矢場(その4)

 前回、峠とSLの見事な共演を果たしたにもかかわらず、今回は峠に行っていない。
 別に深い意味はない。単に寝坊して、SL通過時刻に間に合いそうになかっただけだ。例によって列車通過数分前には到着出来たが…三脚を立てる暇もなかった。ブレブレである。カメラはフルオートにして撮影した。これも設定する時間がなかった為である。結果は、大露出オーバー&ピンボケであった。

04-OCT-1998 真岡鉄道  茂木〜天矢場間(ビデオのみ)


17.C12 66 ラストラン!?

 11月1日より、真岡鉄道にて新しいSLが営業運転を開始する。形式をC11と言い、現在運行されているC12よりも1サイズ上の機種となる。タンク機ではあるが、C58並みの大きさがある。当然パワーもある(C58程ではないと思うが)。C11と比べるとC12なんて子供のようなものである。
 となると、僕にとっては大変気になる問題がある。
「天矢場の坂を楽々と登ってしまうのではないだろうか…」
 そうなったら事である。あそこは現在、関東唯一のドラフト音ポイントなのだから。
 という事で、C12運行最後の日(という事はないだろうが)に、列車の中からビデオ撮影する事にした。もっとも、映像はどうせろくでもない物になるだろうからあまり考えず、もっぱら音声の採取と考えていただきたい。つまり、ドラフト音だ。

 茂木に13:50頃到着する。C12は既に方向転換を終え、転車台の手前でたたずんでいる。ホームには高校生達がたむろしている。彼らは1本前の列車に乗る予定だったのだが、列車はトラブルにより30分程遅れるとの放送が入る。一同から「えーっ!」という悲鳴が上がる。それでもSL列車に乗ろうという考えが起きない所がやはり高校生らしい。

 ほぼ定刻に発車。汽笛を轟かせ、ドレインを激しく切る。その音が収まると、SL特有の発進音(銀河鉄道999のオープニングを思い出してみよう。あるいは「犬神家の一族」のエンディングでもよい)が聞こえて来た。どこぞのSL達は空転を恐れてか、非常に慎重な発進しか行わないのに対して、ここのSLは非常に元気だ。
 緩やかな長い右コーナーを抜け、左にカーブすると、ここから25/1000の勾配が始まる。勾配突入時の速度は43km/Hだが、すぐに速度は落ち、約1分半で23km/Hとなる。その速度のまま延々と坂を登ってゆく。ドラフト音が激しくなる。ビデオのファインダーの中に小さな虫のようなものが大量に行き来していた。「もしや」と思い、ファインダーから目を離すと、ビデオカメラ上におびただしい量のシンダーが降り注いでいた。「なんじゃ〜こりゃ〜」の世界である。見ている最中にもバラバラバラ〜ッと降ってくる。それは勿論、頭髪の上にも容赦なく降り注ぐ。これは耐えられん。カメラだけを突き出して本体(体)は室内に収めた。この行動が後に悲劇を呼ぶ。

 今までこの天矢場の坂では4回の撮影を行ってきたが、それらの地点を次々と通過してゆく。思い出が走馬灯のように駆け巡る。ドラフト音は決して爆音ではないが(地上から聴いてるとそれに近い)、一定の音量、一定のリズムで永遠と奏でられている。ロッドの鳴く音もドラフト音に花を添える。坂を上り切り、ジェットコースターのように速度が上がる。ここでまた悲劇が起こるのだが、これらは家に帰ってから発覚する。

 まあ、あとは通常の列車の旅である。時々黒い粉が降ってくる事と、ロッドの鳴く音がリズミカルなだけだ。ただ、駅に停車すると、その後には魅力的な発進音を聴く事が出来る。もちろんそれはビデオにも録音されている。

 真岡で下車し、SLを見送る。やはり乗車しているより外から聴いた方が発進音も激しい。けたたましい音をたてて列車は去っていった。駅には明日の式典の為の紅白幕が張られ、くす玉が用意されている。車庫内にはC11の姿がちらりと見えた。

 家に帰りさっそくビデオを再生してみた。茂木での機まわしから始まるそれは、出発の汽笛、ドレインを切りながらの発進。みるみる早くなっていくドラフト音。そして勾配区間に突入する。速度が落ち、ドラフト音が激しくなってゆく移り様をじっくり楽しもうとした矢先!画面が徐々に白くなり、音が徐々に小さくなっていった。そして数十秒間そのままだった。どうやらシンダーに気を取られているうちに「フェーダースイッチ」に指をかけてしまったようだ。あ〜何という事だろう。画面と音が復活した時、速度は約25km/Hまで落ちていた。そしてそれは「ジェットコースタのような加速」時にも起こったのだった。



茂木〜天矢場間走行音(1460kB)

 フェーダー回復後〜天矢場駅通過までノーカット。約3分。パワーの少ないC12が全開走行するドラフト音と、なぜか激しいロッドの鳴く音との絶妙なコンビネーションが魅力。速度が徐々に落ちていき、そして坂を上り切った後は一気に加速していきます。とはいっても、数々の失敗をしている為、録音状態は悪いです。

MP3を再生出来る方は こちら をどうぞ(1460kB)



多々良駅発車音( 248kB)

 子供の声が結構うるさいです。これもあまりいい出来ではないです。発車の汽笛とドレインを切る音は省略しました。

MP3を再生出来る方は こちら をどうぞ(249kB)


31-OCT-1998 真岡鉄道  茂木〜真岡(ビデオのみ)
SOUND DATA
VIDEO CAMERA:Panasonic NV-DJ1 (16BIT 48kHz STEREO INNER MICROPHONE)
WAV FILE : 8BIT 8kHz(ANALOG CONECTION)
MP3 FILE :16BIT 22kHz(ANALOG CONECTION)


18.こんにちは C11 325


 ついに真岡鉄道の2両目の蒸気機関車が営業を開始する。僕がSLに本格的に興味を持つようになってからは初の復活だ。中学校に静態保存してあったものを再生したというのだからただ事ではない。鉄道関係の施設にあった(D51 498,C62 3等)のならともかく、シロウトさん達が入り込み、各機器を無茶苦茶にさわって壊し、メーターを叩き割り、火室にゴミを投げ込み、番号板を盗み…そんな光景が目に浮かぶような所からの復活である。うちの近所にあったC57 129は、まさにこんな状態だった。そして最後はボロボロに朽ち果て、復活する事なく解体された。

 新しい機関車C11の勇姿を見るなら絶対に天矢場の坂である。C12との比較が容易に出来るからである。現地にいって驚愕した。どこもかしこもカメラマンで埋め尽くされている。磐越西線の時のようだ。めずらしく、列車通過の1時間も前に到着したのだが、僕の入り込めそうな場所は皆無と思われた。道路上の駐車スペースも既になく、仕方なく天矢場の駅前に車を止める。ここはやはり穴場である。

 14:40頃、例によって汽笛の音が聞こえてきた。そしてドラフト音が聞こえ、煙と共にSLが姿を現わした。煙の量が多い。そして機関車がやけに長い。煙が2個所からあがっている。
 「重連だ!」
すべてを悟った。朝日新聞の重連の写真はつまりはこういう事だったのだ。先程のDCは何と5連でやってきたが、ファインダーの中に丁度おさまったので、SL列車のほうもギリギリ何とかなるだろう。
 C12が前、C11が後ろだ。C11のお面は今回は拝む事は出来ない。動輪径の異なる機関車の重連は、数秒おきに音が乱れる独特のドラフト音になる。そして、ロケットのような速度(のように見える)で天矢場の坂を駆け登っていく。C12単機の時は時速23kmなのだが、今回は33km/Hだった。「10km/Hアップ」という言い方が出来るかもしれないが、「1.5倍」という言い方も出来る(100mを14秒で走る月並みな少年が1.5倍速になると、オリンピック記録を軽く凌駕する)。そして坂を登り切ったところでC12が汽笛を「長1短2」と鳴らす。絶気の意味である。C11も同様に汽笛を鳴らして答える。必要にせまられた重連ではなく、あくまで「ショー」であるにもかかわらず、こういった細かい演出まで本格的だ。小さな(?)タンク機関車の重連はとてもかわいらしい。「機関車トーマス」の中に時々こんなシーンが出てくる。

 その後、茂木周辺は前代未聞の大渋滞が発生し、とてもじゃないがSL列車には追いつけなかった。下館からDD13に引かれて折り返してくる列車(回送でない所がニクい)とすれ違ったが、後ろにはC11の姿しかない。C12はこのままJR大宮工場送りになるのだろうか??


C12 66 & C11 325重連走行音(天矢場の坂)
  WAVファイル版(278kB,MONO , 8BIT, 8k)(HP容量不足につき削除01.08.26)
   MP3ファイル版 (279kB,STEREO,16BIT,22k)


01-NOV-1998 真岡鉄道  茂木〜天矢場間
PENTAX Z-50P FA80-200 1/125 f5.6 FUJI SUPER-G100


画面ではわかりにくいですが、ブレブレのボケボケで〜す19.真岡鉄道三連戦


 今日もまた、天矢場の坂に出向いてしまった。先日の、DD13牽引の列車にC12がなかったという事から、重連は1日だけであり、あとはC11の単機であると思われた。しかし、沿線に相変わらずおびただしい数の人がいることから、「今日も重連なのでは?」という事が頭を過ぎった。

 流石に3日目ともなると、いささかバイタリティーが欠落してくる。今回もまた、列車通過50分前に現地に到着したにもかかわらず、既に良い場所は占領されていた。仕方なく、土手の上に上り、俯瞰気味の撮影を試みる。DCが通過する姿をファインダーで見ると、列車に対するシャッターチャンスは、秒2コマの巻き上げ速度しかないZ-50Pでは何と1枚しかない事が判った。まさに一撃必撮だ。

 今回はC11が先頭だった。重連特有の音は特には感じられなかった。


03-NOV-1998 真岡鉄道  茂木〜天矢場間
PENTAX Z-50P FA80-200 1/125 f3.5 FUJI SUPER-G100


20.サヨナラ大好きなC12 66


 例の天矢場の坂にて、C11単独牽引の列車を初めて見た。隣にいたカメラマンも言っていたが、確かにC12よりも迫力がある。スピードは約28km/h。動輪の回転数はC12とほぼ同じだが、ドラフト音はず太く、それでいて軽快に感じられる。

 今回のこのC11 325の登板は、必ずしも良い事ばかりではない。
 C11が復活するに至ったいきさつは、他鉄道からのSL貸し出し依頼に応じる為という事になっているが、それだけではない。SL列車の乗客の伸び悩みに対し、出発地点を現在の下館から、水戸線の小山に移すという打開策から来ている。小山は、同時に、東北本線や東北新幹線の停車駅でもあるわけだ。C12の場合、小山〜茂木間を燃料無補給では走る事が出来ない為、燃料等裁量の多いC11に白羽の矢が立った訳だ。

朝日新聞さんより勝手に拝借いたしました(ごめんなさい)
 真岡鉄道での運行は当面C11のみとなり、C12はあちこちへ貸し出される予定だ。年内にも早速、NHKの朝ドラの撮影の為に、海を渡り、留萌本線で走行するとの事(同時に、JR北海道ではC11を1両復活させた)。SLマニアとしては、来年の朝ドラは見ない訳にはいかない。いや、ビデオに全話撮るかもしれない!

 C11のドラフト音には、どうも「余裕」というものが感じられる。大きくて、ず太いのだが、まだまだ実力を出し切ってはいない感じがする(ナラシ中なのかもしれないが)。勿論どちらも魅力的なのだが、C12のあの、カン高くて爆発的なドラフト音の方が「一生懸命」さが感じられていいと思った。

 そんなC12ともしばらくはお別れである。これが一生の別れという事はないだろうが、あの、天矢場の坂をゼイゼイあえぎながらゆっくりと登ってくる姿は当分見ることは出来ないだろう。


29-NOV-1998 真岡鉄道  茂木〜天矢場間
PENTAX Z-1P FA80-200 1/125 f3.5 FUJI RDPII
12-DEC-1998 留萌本線恵比島駅付近を走るC12 66(朝日新聞より)


21.番外編「SLで行こう」


 かつて、「電車でGO!」というゲームが流行した時、「SLのシミュレーターがあればいいのに!」と思った。ところが、本当に存在するとは!つい、衝動買いしたのだが、結果は…。
以下に、「…」の理由を簡単に記載します。

 1.汽笛、ドレインの音が、ボタンを押してから一定時間で止まってしまう。
 2.ドラフト音がちゃちい。また、速度と回数の関係がデタラメ。
 3.加減弁全開の発進で空転しない。
 4.加減弁全開の走りをしないと次の駅までたどり着けない。
 5.山口線の仁保〜篠目間で40km/H以上出る。

 結局、逆転機、ドレインの操作が増えた以外は「電車でGO」と何ら変わらない。ゲームメーカーなら多少おかしな所があっても仕方がないが、「プラレール」のようなおもちゃだけでなく、本物の鉄道模型「TOMIX」まで製造している会社の製品だからな〜。







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