このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


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さて、今回こそ「松浦佐用姫伝説」の核心に触れたいと思います。
(‾∇‾;) トップの写真からして、すでに脱線気見ですが大丈夫か・・・

(=´▽`=)ノ佐用姫ゆかりの地と言えば鏡山!!
o(`⌒´*)oエッヘン どうだ!! この分かりやすい写真!!

観光集合写真を撮るならここしか無いと言わんばかりのナイスな構図。
(‾∇‾;) おじさんと、ブタ吉は病欠、扱いですが・・・

(=´▽`=)ノ さてさて簡単に説明を読んで見ると
唐津市東部にある鏡山。標高284mの山で、眼下に市街地はもちろん、
国の名勝・虹の松原(前回レポートした所です)や唐津湾、そのかなたに壱岐の島影をも望む、絶景を誇る名所。
(‾o‾*(_ _* ) ウンウン なるほどその通り!!

鏡山は数々の伝説に彩られ、万葉集に詠まれた歴史ある山でもあります。
(=´▽`=)ノこれが松浦佐用姫伝説の源です。

山の名前は、神功皇后(じんぐうこうごう)が、山頂に鏡を祀ったことに由来するともいわれています。
(‾‥‾a;)ぽりぽり ヘー、知らなんだー??

02松浦佐用姫伝説の概要を書いてある石碑を発見。
(=´▽`=)ノ これ、とっても分かりやすく綺麗にまとめてあるので、おじさんが説明するより、これを読んで頂いた方が分かるかな?って思って撮影して来ました。

(‾∇‾;)  ブタ吉がうっすら写り込んで、若干ホラーチックですけどね!!

さてさて、多少補足すると、時代背景は西暦537年の出来事と伝えられています。
(‾∇‾;) 537年っていつ頃よ??
大和朝廷時代ですが、一番分かりやすいのが「聖徳太子 574~622」聖徳太子が生まれる37年前のお話って事です。

佐用姫伝説には、色々な説がありますが、佐用姫が石になるこのお話が、唐津で口伝えに伝えられている一番馴染み深いお話です。

この民間伝承のお話が、のちに、万葉集(759年以後書かれたと言われています)に書かれ、全国区になったのかな?


03

(‾o‾*(_ _* ) ウンウン ほるほど!!

ここから、佐用姫様は、玄界灘の軍船に領布(ひれ)を振った訳ですね。
それで山は別名「領布振山(ひれふりやま)」と呼ばれるようになったと言う訳か!!

その後、加部島まで・・・

Σ(‾ロ‾lll) ガビーン おじさん、そこまで追い掛ける気なのか???


(‾∇‾;)  この、おっさん限度って事を知らないから行くかもしれない・・・勘弁してくれ!!

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(;‾□‾)ゝなぬっ? 眼下に広がるはずだった、玄界灘が・・・

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w(‾□‾)w Oh My God!!
ここで、「佐用姫伝説を訪ねて企画」終了か??

o(`⌒´*)oエッヘン これ位ではくじけません。

(‾‥‾a;)ぽりぽり晴れるまで何時間でも待つ!!おじさんは頑固なんだ!!

ΣΣ┗(|||`□´|||)┛ンガァァー!! 次回、「霧が晴れるまで待つ」待った事まで記事にしちゃうぞ!!

第1話「虹の松原編へ」    第3話「霧が晴れるまでへ」



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