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善光寺平かけあし一日周遊記

 

その2  長野市内交通編

 

 

■今井あたり

 小諸行しなの鉄道直通列車に乗ります。朝のうちの逆方向とはいえ、それなりに混んでます。たった2区間、今井で下車します。

 長野冬季五輪時代の選手村、今は分譲されたり県職員住宅になったりしている団地の中を横断していきます。

 今井駅前まで入ってくるバスは、朝 3本に夕 2本。駅結節を考えなくともいいのかと、打越様は御立腹ですが、長野都心に通勤する便利を考えれば、鉄道連絡を考える必要性は薄いでしょう。

 団地を出ると、ちょっと足が止まって「堺話」が盛り上がり始めます。なぜか写真まで出てくるし。皆さん、よく足で稼いでます。

 川中島バス北原篠ノ井線でも市内に戻れますが、どうせならばと安全センター篠ノ井線の方を選択します。考えてみれば、 100mそこそこしか離れていない通りに2系統のバスが成立しているのは凄いことです。

 とはいっても、現状は厳しかったりします。安全センター篠ノ井線は、朝こそ多数運行ありますが、日中は1時間毎、しかも日曜運休なんです。しかも今改正からは両系統とも土日完全運休になってしまいます。

「以前は30分毎だったのに」

 と KAZ様が絶句するのも理解できます。

 バスを待ちながら、様々な話題が花咲きます。傑作だったのは某県知事論。途中経過は飛躍的空想的、だけど結論が正解ということもある。これはまるで・・・・・・(以下自粛)。

 

■バスで長野中心地に戻る

 川中島バスに乗車、前の方が空いていたのでここに陣取ります。

 国道19号バイパスとの交差点から北は、長野行2車線、篠ノ井行1車線という、変則的な車線割となっており、うち長野行1車線は平日7〜9時にはバス専用レーンとなってます。公共交通はそれだけ手厚く優先されているわけですが、

「朝のうちは多いとはいえ、これだけの運行本数で専用レーンというのは、都市政策的に効率的なんですかね」

 との打越様の疑問は、いい線を衝いています。丹波島から先は多数系統が輻輳するのでOKだとは思いますが、確かに丹波島以南ではバスの運行本数が少なすぎるきらいはあります。

 中氷飽(なかひがの)、丹波島橋南(たんばじま・はしみなみ)と難しい読みのバス停から乗車が多数あり、席がほぼ埋まります。本数が少ないとはいえ、繁盛してます。丹波島橋から先は、PTPSの効用もあるのでしょう、信号で止められることもあまりなく、順調に進みます。長野BTと末広町で若干の下車あり、長野駅前で大量に降車します。なんだかんだで駅前に求心力があるようです。

 

■究極の贅沢〜〜1区間だけの長電A特急

 小腹が空いたので、駅前のマックで補給します。駆け足で長電長野駅に向かい、湯田中行A特急に乗車。権堂に行くというのに、運賃 160円に特急料金 100円を足す豪勢さです。ところが、我々のほかにも同じような方が1名いて驚きました。

 
 長野駅に待機する湯田中行A特急(平成14(2002)年撮影)。須坂以遠に行くならばともかく、長野市内で特急料金を払うとなると割高感が強い。

 往年の名車(といってはかわいそうだが)2000系の乗り心地を確かめる間もなく権堂着。かまにし様が市役所前通過を見過ごしたほどの短時間です。

 地上に出てヨーカドー(長電権堂ビル)と長電本社ビルの経緯について討議、また長電の地下区間の成立経緯についても討議しました。連続立体交差化と都市計画道路の合わせわざで、県と長電が地下化に消極的、しかし市が強力に推進して実現したのです。

 また、歩道にあった街路地図をもとに、 KAZ様のトラフィックセル即席講座がスタートしました。計画の正式策定は昭和55年頃、しかし計画の研究は昭和40年以前から始まっていたとの説もあるそうです。もしかように古い時期からの構想が現在の計画に活かされているのならば、年月を経ても色褪せない計画理念ということになり、驚嘆に値します。

 
 権堂駅に停車中の長野行OSⅡ(平成15(2003)年撮影)。権堂は朝夕ラッシュ時を中心に利用が多い駅だが、それでも乗降客数は長野の半分以下である。このことは即ち、長野の中心市街地が長野駅前に移っていることを示唆している。

 

■権堂散歩

 時刻はまだ10時半をすぎたばかり、まだまだ閑散としている権堂アーケードを歩きます。ちょっと引っ込んだ怪しい場所に映画館、しかし内容は健全なもの、というあたりは意表を衝いてますでしょうか。権堂は奥が深いです。

 アーケード内ではマックが営業中、こちらで食べればゆっくりできましたね、との一同からの指摘にツアコンは赤面です。

 アーケードを抜けたところに北野文芸座、企業メセナの走りといえましょうか、今日も続けている姿勢は立派です。

 時間があるのでちょっと南に下がり、新田町交差点まで行きます。そう、ある意味長野の顔的な場所で、ダイエーとそごうの撤退跡がさびしいです。そごうなどは今でも看板がそのままですから、「夜逃げ同然」という表現もあながちきつくない状態です。

 市街地のど真ん中がこの惨状、しかしながら街全体には活気があり魅力もあるという、なんだか不思議なところ、それが長野なんです。

 
 新田町交差点付近にて平成15(2003)年撮影。左は旧「そごう」、右は旧「ダイエー」。旧「そごう」は現在のビルをスクラップのうえ、SBCを中心とする再開発ビルが建てられる予定である。旧「ダイエー」は最小限の改装で再活用されることが決まり、既に一部のテナントが活動を始めている。この状況だけでは中心市街地衰退の典型であるようにも見えるが、店構えと立地とがマッチしていなかったという実態もあり、単純に括るのは危険である。
 なお、右写真手前側のバスは「びんずる2号」、緑基調のレトロ調塗色が目印である。

 

■コミュバス並列

 今度は「びんずる号」です。やってきたのは「2号」、この塗色は目立ちます。

 車内はぼちぼちの乗り。大門でほとんどの方が降りられます。長野駅−善光寺大門間が 100円、長野駅−善光寺前・城山公園間 150円、この設定には「政策的意図」がひそんでいるわけですが、「びんずる号」に関してはうまく機能しています。

 我々は城山公園で降りて、善光寺の裏手に回ります。裏手には駐車場が設置されております。ここが善光寺参拝の動線上の問題点で、マイカーや観光バスの参拝客(観光客)は門前を通ることなく参拝できてしまうという、宗教儀式上も、商売上も好ましくない状況となっているのです。

 先ほど参拝を済ませているので足早に大門に向かいます。既に10時を回っているので、店が開き始めており、朝のうちとは雰囲気が違います。

 大門からワンブロック間の通りは、石畳にしたり建物を和風にしたりで、善光寺門前の雰囲気を構築しています。本来はマイカー及び観光バスの参拝客もこちらを通したいものですが、「効率よくポイントを回る」という圧力には抗しかねているという現状が一方であります。この雰囲気を味わってこそ、大門の下をくぐってこその、善光寺参拝だと思うのですが。

 小雨がちらつくようになってきました。今度は「ぐるりん号」です。

 「びんずる号」は大型バス、「ぐるりん号」は中型バスが導入されていますが、長野駅前−善光寺入口間(中央通り)は双方の路線が完全に重なっている、しかし双方とも営業が成立しているというあたりに、長野の特性があります。「びんずる号」は善光寺参拝、「ぐるりん号」は中心市街地回遊、それぞれの需要を拾えているということでしょうか。「ぐるりん号」は20分毎、「びんずる号」は15分毎の運行ですから、需要としてはかなり太い部類でしょう。

  
 善光寺参道(中央通り)を南下する、左「びんずる1号」、右「ぐるりん号」(平成15(2003)年撮影)。信号や交通標識のほか、通りに面した商店なども修景を意識した造作になっている点にも注目されたい。

 

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