このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

 

善光寺平かけあし一日周遊記

 

その3  長野−(OSⅡラストラン)→飯山編

 

 

■しなの鉄道

 長野駅でしなの鉄道直通信越線列車に乗ります。

 ちょうど長野着 6連が到着。まさに満載の大混雑で、土曜昼間にこれだけの需要があることに驚かされます。打越様が車掌さんに突撃インタビュー、平日は空いているけど土休はこんなもの、との由。我々が乗ったのは小諸行 3連、こちらも席がほぼ埋まっており、けっこう乗ってます。

 車内では長野市内の地図を広げながら、いろいろな妄想の輪を広げます。しなの鉄道を長電屋代線に直通させ、金井山から新線建設、長野駅東口LRT構想とマッチングさせるかたちで市内直通、さらに長電と直通して中心市街地乗り入れを図ると。打越様が乗り気でした。いつか検討してみたいものです。

 なお、翌日には KAZ様が現地を実地踏査されており、かなりの成果が得られたようです。 KAZ様の御報告にも期待したいところです。

 篠ノ井ではさらに乗車があります。「なぜこれで赤字」と不思議の声が挙がるのも当然でしょうか。列車は屋代に到着、ここで本日のメインイベントOSⅡに乗り換えます。

 跨線橋に上がってみれば、JR−長電間の床は未だに木造、思わずこんな声も。

「南部縦貫鉄道野辺地駅以来の感動だ!」

 

■OSⅡに乗って

 ホームには既にOSⅡが入線していました。ヘッドマークがついていて、日頃とは装いが違います。写真など撮りながら席を確保。3扉ロングシートで着席定員は少ないながら、席は全て埋まっているわけではありません。OSⅡの動員数はこんなものと見るか、それとも明日の最終日が凄いのか。

 
 屋代駅で出発を待つOSⅡ(平成15(2003)年撮影)。ホーム上屋支柱の行先方面案内に「木島」が生き残っている点に注意。

 地方私鉄には稀少な新造電車、しかし内装は平々凡々です。初代OSは 103系そのままコピーという内装だったそうで、鉄道車両で独自性追求は難しいという証左でしょう。

 小雨のしのつくなか列車は進みます。沿線にはカメラが目立ちますし、写メールなどで撮っている女子高生の姿も見えます。

 日頃は閑散としている屋代線を列車は進みます。短尺レールのジョイント音もするほどで、如何に投資されていないかが理解できます。松代や信濃川田でも列車交換なし。なんとも閑散とした状況です。

 列車は須坂で小休止、信州中野を目指します。桜沢ではA特急と列車交換、雨が本降りになっているのに、何人もホームに出て交換風景を撮影しています。やはり好きなんですねぇ、 KAZ様。

 列車は信州中野着。ホームで撮影等に励む方々を横目に、我々は駅前に出て、ミスドで休憩をとります。

 目立つのは駅前右手の空き建物。ジャスコが閉鎖ではなく、国道沿いに移転したため、むなしく建物が残ってます。これは勿体ないし駅前がさびしいということで、様々な活用策を討議します。市役所移転がいいのでは、マンションに転用すれば、などなど甲論乙駁です。そして出た結論が傑作でした。

「宇野バスのターミナルが一番だ!」(爆)

 

■知る人ぞ知る旧街道〜〜長電バス合庁線

 ミスドでお茶しているうち、バスベイに何台かバスが入ってきます。木島線代替バスは高校生を多数乗せて出発。湯田中方面からは大型も中型もあり、そして小型の旧型バスが入線してきます。これがお目当ての長電バス合庁線です。

 合庁線は国道 292号(長丘バイパス)沿いの旧道を進む路線です。長丘バイパスの開通は、沿線の石碑によれば昭和56年のこと。それまで飯山南部を縦貫する道路に片側一車線を完備した道路がなく、長丘バイパスの開通でようやく「センターラインを完備した」道ができたのです。

 つまり、たった20年ほど前までは、主要道といえども畦道に毛が生えたようなレベルであって、大型車の通行はもとより、普通車どうしの行き違えさえ難儀な箇所が多かったのです。

 零細規模の路線だというのに、信州バスに移管しておらず、長電バス直轄のままというのも不思議なところ。需要規模と道路幅員にあわせた装備なのか、それともコミュバスの一種なのか。なかなか謎です。

 
 信州中野駅前で出発を待つ長電バス合庁線(平成15(2003)年撮影)。

 乗客は我々4名のほか中年女性が1名。それだけの陣容で出発です。中野市街を迂回し、江部の交差点を右折、志賀中野有料道路をくぐって旧道に入ります。これがなんとも狭い。いきなり難所の連続で、対向車があればたいへんなところです。

 一旦メインルートを離れバスは丘の上に向かいます。志賀中野有料道路の中野トンネル直上付近では中野市土地開発公社が新興住宅地を開発、長嶺ニュータウンとして分譲しています。展望がよいせいもあるのでしょう。宅地分譲としては成功した部類であり、空地はあまり見えません。しかし、公共交通大不便な土地、マイカー利用が前提です。バスが通っているとはいえ、どれほど利用があるのか。相客1名はここで下車しましたが、需要としては知れています。

 もと来た道を戻り丘を下れば、中野市街を一望できます。見えます見えます。移転したジャスコほかヤマダ電器など、国道 292号沿いに新しい商業拠点が林立しています。長電がせっかく開発したジャスコですが、駅前という立地は集客のアドバンテージと呼べなくなっているという厳しい現実です。

 難所中の難所、田麦の狭隘なSカーブを抜け、バスは我々4名のみを乗せて淡々と進みます。時折車体がビビるのは、エンジンの調子が悪いせいでしょう。老朽化が進んでいるのか、それともこれほどの乗車があって荷が重いのか。

 長野県北信合同庁舎の直近で一旦国道に出て、すぐ旧道に戻ります。古牧橋手前で国道に合流、蓮からは老媼が乗車してきました。

 伍位野の交差点から再び旧道、商業拠点開発が進むバイパスを横目で見つつ、昔ながらの風情を残す道を往きます。飯山線の踏切を越え、日赤で老媼が下車。終点飯山駅前まで乗り通したのは我々4名だけでした。運賃は 690円。合庁線にとって、太い商いになったのではと思います。

 

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