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探索日 2008.06.15
No.TO-038

鋸山線■檜原村・奥多摩町 ■全線舗装 ■分岐→赤井沢線・育線・井戸入線
■檜原村「神戸」地区から奥多摩町氷川「登計」地区とを結ぶ

 我が林道探索のルーツとなった山越え砂利ダートも今は完全オール舗装! 

 ↓山越え地点付近で展開する眺望は素晴らしいですが、残念ながら路面は完全
 舗装状態です。オンバイクにて林道を走るのなら最適コースかもしれません。


……こんな感じ……
■檜原村と奥多摩町とをむすんで鋸山(1109m)の山頂付近にて山越えをする林道。付近一帯はショートなピストン林道の宝庫であるが、山越えをする林道はこれ1本といってもよいほど少なく、そういう意味ではこの鋸山線は有名なのだが、残念ながら路面はオール舗装となっている。そのため、九十九折りにて一気に標高を稼ぐ急坂の連続する単調コースとなるが、中間の山越え地点付近では峰々が望める見晴らしポイントも存在。奥多摩の山深さを実感できる1本となる。それでも、いわゆる林動的魅力の乏しさは否めないが、3本のダート支線林道を分岐しているので、鋸山線はそれらと合わせて探索するのがいいだろう。

■檜原村役場方面から都205号線を進み「神戸岩入口」バス停にて右折、「国際マス釣場」方向に進むとやがて現れるのが鋸山線の入口です。県道からの舗装路がそのまま林道化しており、その地点にはこれより先が林道区間であることを示す看板がてんこ盛りになっていました。なお、通常よくあるところでは、ゲートが存在しなくても建前として「一般通行禁止」とうたわれていたりする場合が多いですが、ここは「関係者以外の車両は通行は御遠慮願います」といった具合に謙虚の姿勢(?)が見受けられて好印象。でも、通っちゃいますけどね。
■林道標設置地点から入線すると、神戸川沿いに舗装路が続きます。路肩には「禁漁 在来ヤマメ保護のため赤井沢水系は全面禁漁」なる立て札が設置されていましたが、赤井沢水系というのは、林道沿いに流れる神戸川がその河川名を赤井沢と変える上流区間のことだと思います。そしてものは言いようですけど、在来ヤマメは放流ヤマメのこと?
■増水時に押し出された巨大な岩石群まみれな神戸川沿いに進みます。探索当日は快晴であったはずなのに路面がびちゃびちゃ状態なのは、路肩の崖から染み出た清水のせいですよ。
■神戸川沿いにしばらく進むとやがて舗装路は流れの左岸へと移動。だからといって別にどうということもなく、これは沢沿いに山中へと分け入っていくパターンの舗装林道ではよくある光景。
→神戸川を眺める!
■そして再び右岸に移動。この付近は神戸川から赤井沢へと河川名が変わっていたと思いますが、この移動の繰り返しで鋸山線は延びています。ちなみに名称といえば、この鋸山線は、林道標によっては「鋸山(神戸)線」と記されていたり、途中に掲げられている林道地図看板には「鋸山林道(神戸線)」「鋸山林道(大沢入線)」と林道名が記されています。檜原村と奥多摩町の境界がその境で、それらを合わせて鋸山線と呼称するらしく、元々は神戸林道、大沢入林道という2本のピストンが延長接続されて鋸山線となったのでしょう。ま、こだわらない方にはどうでもいいことですけどね。
■その後、赤井沢の流れに沿ってある程度まで進むと、鋸山線の舗装路は沢べりから離れて連続する九十九折りにて一気に高度を稼ぐ登坂区間がスタート。ここからいよいよ鋸山(1109m)の山頂付近を抜けて山越えをしていくことになります。ちなみにこの鋸山線ですが、実は何を隠そう、私こと「りんどう君」の林道探索のルーツとも言うべき1本なのですが、それについてはまた後ほど述べることにして、とりあえずはさらに前進です。
■「やった、支線林道発見!」山肌の杉林の中に延びる勾配区間を登っていくと、やがて左手に赤井沢線のダートの入口が現れました。ただし、その入口には「通行止め」と大文字にて記された立看板と3台のバリケード(正式名称「A 型バリケード/トラ」)の存在が!  元々はゲートの存在しない赤井沢線の入口にかような保安用品が置かれているということは、その奥でなにか異常な状況が発生しているとみて間違いなさそう。そう、例えば土砂崩れとか路面崩落といった類のね。
→赤井沢線に突入!
■で、探索時には封鎖状況にあった赤井沢線の入口を過ぎて少し進むと、今度は右手に怪しい分岐を発見。あからさまに薮まみれなその入口は名も無き山道の痕跡かとも思いましたが、入口脇に立てられた杭にはなんと「育林道」なる文字が! 先述の赤井沢線の存在は実は知っていましたが、育林道については全く知るよしも無し。まさか、鋸山線にこのような未知なる支線林道があったとはね! ただし、生半可な覚悟では立ち入れない廃道状態となっています。
→育線に突入!
■その後は未知なる支線林道が現れることもなくダラダラ調子にて舗装登坂コースが続きます。特に語ることもないので先述の「林道探索のルーツ」について語っておくと、今は味気ない全線舗装の鋸山線もかつては当然ながらダートでした。その当時まだ紅顔の中学生であった私ことりんどう君は、同級生のM君に奥多摩付近を巡る二泊三日のサイクリング旅行に誘われて出かけます。で、その時に走行したのがまだダートであった頃の鋸山線だったというわけ。 もちろんこれが初林道体験であったわけで、砂利が敷き詰められた延々と続く坂道にやけに埃っぽさを感じたものでしたよ。
■ダラダラと続く舗装登坂路を登り詰めると、ようやく檜原村と奥多摩町との境の峠にたどり着きました。画像にも片隅に映り込んでいますが、ここでは人力峠越えの方が一息つけていたような気がします。で、先ほどの話ですが、初林道が鋸山線であったことは述べましたが、その当時はバイクに興味もなく、また免許が取れる年齢でもありません。なので必然的に人力行となったのですが、現在ほど山チャリが流行る以前に、 今ではオフバイクにしか乗らない私ことりんどう君がすでに人力での林道走行を体験していたのは、なんというめぐりあわせでしょうか。
■峠を境に奥多摩町へと突入します。峠を越えたので当然ながらここからは下り坂が続きますが、路面は舗装されているので、適当にブレーキをかけつつ進むといった操作を繰り返すのみで、特にこれといったこともありません。かつて鋸山線がまだ未舗装であった頃、ここが砂利ダートであったことは述べましたが、今思えば、あの人力行の時は全てをナメていたなぁ…。なにせ乗ってきたのは母親が普段の買い物にて使用していた前カゴ付きのママチャリだったから。ママチャリでダート林道だなんて、今同じことをやったらその手の正統派の方から殴られそうですけど。
■夏場を控えて緑が生い茂った舗装路をなおも下って進みます。部分的に舗装が傷んでいる箇所もありましたが、ママチャリにて砂利ダートを下っていくことを思えば、これはもう全くとるに足らない状況ですね。そしてあの人力行で当然の如く陥ったのがパンクの嵐でしたよ。 幸い、 同級生のM君は自転車の知識があったので応急処置を施してもらいましたが、結果は焼け石に水。少し進んではパンク、直して進んではまたパンク…、といった賽の河原状態で発狂しそうになりました。ひょっとして、林道探索ではオフバイクにしか乗らないのは実はこれがトラウマになっているとか?! な〜んてね、わっはっは!
■「良い景色だなぁ!」そんなこんなで快適舗装路を下ってゆくと、やがて鋸山線でのハイライトともいうべきビューポイントに差しかかります。ここでは左手の谷間越しに、はるか遠方へと連なる奥多摩の峰々が遮るものなく望めるので、当林道が舗装林道であることを一時忘れて眺め入るだけのことはあるでしょう。快晴に恵まれれば最高の爽快さが味わえます。
→展望を眺める!
■峠を挟んで檜原村側でも九十九折りが続きましたが、こちらの奥多摩町側でもやがて過激な九十九折りが始まりました。こういう状況なので、いくらオフバイクといえどもスピードを出すことはできません。ましてここがゴツゴツとした砂利ダートで、そこを行くのがパンクを繰り返すママチャリであったならば、なおさら時間はかかります。同級生M君とのサイクリング旅行でここを通ったのは二日目でした。その日の宿泊は御岳山山頂にある御嶽ユースホステルで、一度荷物を置いてからこの鋸山線にて御岳山を軽く一周しようと思い立ったのですが、陥ったのは当然ながらの時間切れ。その時は奥多摩町側から鋸山線へと入ったのですが、 林道退出時にはすっかり夜分となってしまい、宿まで戻ることはできず、養沢の民宿に駆け込んで無理矢理泊めてもらうハメに…。
■連続する九十九折りを降下中。かつてダート時代に鋸山線を通った時にはこれほど緑が茂っておらず、もっと荒々しく無骨な雰囲気が漂っていたような気もするのですが。緑が斜面をこんなに覆っているのは夏場を控えているせいだけではなく、それだけ時が経過したということでしょうか。
→展望を眺める!
→さらに鋸山線を進む!
→探索中止…

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