このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
─ 中央線愛岐県境/愛岐トンネル群廃線跡の一般公開 ─
1972〜73年頃、中央線中津川-塩尻が未電化で蒸気機関車が走っていた頃、 朝の一番列車に乗って撮影によく出かけた。
定光寺を出ると次の古虎渓(ここけい)までは長い複線のトンネル(愛岐トンネル)になっている。
この長いトンネルに入る直前、進行方向右側に、古びた単線トンネルを見ることができた。
中央線が開通した当時から複線の長いトンネルがあるはずがないので、 その古いトンネルが単線非電化時代の遺跡であることは容易にわかることだった。
これらのトンネルは、鉄道路線が次々と建設されていく時代(明治)につくられたもので、 その当時のまま、「遺跡」として残っている。
この区間、名古屋-多治見は1900年(明治33年)に開通し、1966年(昭和41年)に 現在の愛岐トンネルに付け替えられ、廃線となった。
東海道線など、当時建設された路線の多くは、改修を重ねてしまい、建設当初の設備は殆ど 残っていない。生きている路線である以上、これは致し方ない。
東海道線でも、京都-大津のように大規模に経路変更し廃線となった区間もあるのだが、 「開発」のため、ごく限られた施設しか残っていない。
他には、北陸線敦賀周辺の柳ヶ瀬、山中峠にも類似のトンネル群を見ることができるが、 道路として活用されている。
この愛岐トンネル群のように、明治期の規模の大きな施設が延長約8kmにわたって、大自然の中に放棄されたのは例が少ない。
この区間を、「愛岐トンネル群保存再生委員会(NPO法人)」が調査し、2008年から、年間2回ほど 期間を決めて、一般公開している。(常時公開ではない。また、雨天時は公開中止とのこと)
この春(2010年)は4月26日〜5月2日に一般公開されたので、写真とともに、現地で聞いた解説を紹介する。
左:受付(帰路撮影)
左の階段を上がると玉野第3トンネルの名古屋(側)口となる。
帰りはフェンス沿いに下ってくる。
右:玉野第3トンネル(76m:3号トンネル)の名古屋口
左:玉野第3トンネル多治見口をトンネル内から見る。
トンネルを出ると左の山側には古レールによる落石覆い柵がつくられている。
右:玉野第3〜第4の枝沢に架かる橋。歩道用の桁が架けられているが、橋台はレンガ積みの昔のまま。
左:玉野第4トンネル(75m:4号トンネル)の名古屋口。
右:玉野第4トンネルの多治見口。トンネルの両脇に「4」の文字が読める。
左:玉野第4トンネル〜隠(かくれ)山第1トンネル間
庄内川の流れを望む。かつての列車内からも同じ風景を見ることができたのであろうか。
右:歩道上に残る砕石。
左:隠山第1トンネル(99m:5号トンネル)の名古屋口。
右:隠山第1トンネルの多治見口。
隠山第2トンネル脇の丘の上から撮影している。隠山第1と第2トンネルの間は車両1〜2両分ぐらいの間をおいて トンネルが連続する。
左:隠山第1トンネルの多治見口。
右:隠山第1トンネルの多治見口の側面を川側からみる。
排水のためのU字溝が丁寧につくられている。
左右:隠山第2トンネル(333m:6号トンネル)の名古屋口。
レンガが7重に巻かれている。通常4〜5層のところ、7層というのは他に例がないとのこと。
ここまでの3つのトンネルより長く、緩くカーブしているので、ヘッドランプ、懐中電灯がないと歩き難い。
左:隠山第2トンネルの多治見口。
今回の公開、見学路はここまで。
右:隠山第2トンネルの多治見口から北、多治見方面には、県境の川(庄内川支流)があり、 橋が架かっていない。トンネル出口付近から対岸の橋台を見る。
─ 諏訪第1トンネル ─
この先には、この区間最長の諏訪第1トンネル(607m:7号トンネル)があるが、内部は半分程、土砂で埋まっているとのこと。
愛岐処分場を造成する際に出た土砂捨て場としたらしい。
─ レンガ ─
トンネル、橋、プラットホームなどに使われたレンガは名古屋〜多治見で約1800万個(当時の購入記録による)にもなる。
すべてがトンネルに使われているわけではないし、工事中の崩落により廃棄されたレンガもあるが、総量は約5万トンになる。
これらのレンガは三河産が多く、他に四日市、名古屋、大垣、多治見から調達した、と記録が残っている。 意外にも、地元の多治見産は少ない、とのこと。これは、陶器にする土とレンガにする土の種類が異なるからだそうだ。
今回の公開区間は片道約1.5km、往復約3kmであるが、じっくり見て回ったので、2時間を要することとなった。
今後も他の区間の公開、新しい発見に期待したい。
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