このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

鉄道原風景
─ 廃線跡-2 ─


「近鉄廃線跡を歩く(JTB出版刊)」に、大阪線の青山トンネル前後の廃線跡について記述がある。
この大阪線青山トンネル周辺は1975年11月、複線の新青山トンネルを経由する新線に切り替えられた。旧線の(旧)青山 トンネルの前後は廃線となったが、廃線後の1978年3月、現地調査したので、当時の写真を含め、ご紹介する。


─ 垣内(かいと)東信号所 ─
榊原温泉口(峠の伊勢側)から大阪へ向かい、梶ヶ広トンネル、総谷トンネルを抜けると垣内東信号所に至る。
この信号所から垣内西信号所の間は複線になっていて、列車の行き違いができるようになっていた。
この写真の木製のタラップは垣内東信号所の伊勢方面行きの線路側にあったもので、複線区間から単線区間へ進入するため、 対向列車待ちをする運転士と信号所係員との連絡に使ったものと思われる。

─ 垣内(かいと)西信号所 ─
約1kmの複線区間の大阪方には垣内西信号所があった。ここから東青山駅までは再び単線となり、二川トンネル(799m)、 溝口トンネル(931m)、滝谷トンネル(730m)が続く。
↓は垣内西信号所のあったあたりの写真である。写真左側に建物の土台と思われる跡が残っている。 機器箱のフタや碍子の破片などの残骸がそのまま残されていた。
右端に写っているのは二川トンネルの東口(伊勢側)。トンネルの手前、藪の中に「制限解除」の看板が写っている。

─ 東青山駅跡 ─
青山トンネルの東口(伊勢側)には東青山駅があった。青山高原へのハイキングコースがここからあって、電車の中からハイカーの 姿を見たのがこの駅だった。
(左)東青山駅構内。滝谷トンネルの西口が写っている。
(右)駅構内に倒れて打ち捨てられた観光案内板


(左)駅北側にあった売店跡。
(右)駅構内。プラットホーム上から青山トンネルの東口を見る。 構内の一部はこのようにプラットホームの一部が撤去されてコンクリートで固められていた。

(↓)青山トンネルの東口。柵があるが開いたままになっている。左側は安全側線の車止。

─ 西青山駅跡 ─
青山トンネルの西口(大阪側)には西青山駅があった。
(左)西青山駅プラットホーム。乗馬クラブのプレハブハウスが建っている。
(右)青山トンネル西口。トンネル上は国道165号線。トンネルの上には扁額が嵌め込まれている。 (乗馬クラブの構外から望遠レンズで撮影)


(左)旧西青山駅から現在の新西青山駅の間の線路跡。現在、桜並木の遊歩道になっている。この写真に写っているのは 植えられて間もない頃の桜であろう。
(右)現在の線路と旧線の分岐点。

いずれも1978年3月の撮影。
[Canon FTb FD50mm 1:1.8/FD100-200mm 1:5.6]
─ご注意─
垣内東/西信号所周辺、旧西青山駅(乗馬クラブ)周辺は、現在、許可なく立ち入りが禁止されています。

この写真(一部)は「時の鉄路」さんに提供して同時公開しています。他(伊賀線)も公開中です。興味のある方はご覧ください。

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