このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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鉄道原風景
─ スイッチバック ─
関西線は亀山と柘植(つげ)の間で鈴鹿峠を越えています。峠のトンネルが加太(かぶと)駅と柘植 駅の間にあって、両方から登り坂が続いています。この区間は単線で、駅に上下列車の行き違い施設が あります。加太、柘植駅間は駅間距離が長いので途中の中在家(なかざいけ)に信号所があります。 信号所というのは上下列車の行き違い設備があって、お客の乗降扱いをしない施設です。 とくに、この中在家信号所は勾配途中にあるので、スイッチバックになっています。
ここでご紹介する一連の写真は35年前、1973年7月に撮影したものです。 当時、関西線は東海道線のバイパスとして、東海道線稲沢操車場から四日市を経て、 鈴鹿峠を越えて、草津から京都へ抜ける貨物列車がたくさん走っていました。
この写真の列車は荷物列車で、亀山から奈良まで走っていました。今のように「宅配便」のトラック が荷物を運ぶのではなく、鉄道が多くの荷物を運んでいた時代です。たいていの駅には 荷受け所があって、体重計のようなハカリが置いてありました。 市販の時刻表にも荷物扱いの料金などの詳しい案内が記載されていました。
信号所の手前で待っていると、奈良方面行きの荷物列車がやってきます。登り勾配ですが、ここで停車 のため、煙は殆ど出ていません。左側、土手の上に線路が写っています。(下の拡大写真) こちらの線路が引き上げ線で、この後、この列車が入ってきます。引き上げ線は水平で、この写真で 列車が通っている線路は登り勾配になっています。 この土手の高さまで登っているわけです。



この荷物列車は一旦、信号所の奥の引き上げ線に入って、停止します。 その後、ポイントが切り替わって、亀山行きの対向列車が坂を下っていきました。 対向列車は各駅停車のディーゼルカーだったと記憶しています。 今なら間違いなく撮影していますが、当時はカメラを向けることはありませんでした。


再び、ポイントが切り替わり、奥の引き上げ線にいた荷物列車がバックしてきたところ。 本線をクロスしてこちら側の引き上げ線(最初の画像の土手の上の線路)に後退してきます。荷物車は合計5両。 車内では山と積まれた荷物の仕分け作業をしているはずです。冷房はなく、窓も少なくて、車内はさぞかし暑いことでしょう。 中央、3両目は前半分が郵便室になっています。



牽引機はD51831。側面に金色(真鍮板)のツバメマークが付いています。横に腕木式の信号機が2本建っています。 写真向かって左側のやや高い方が本線の出発信号機です。腕木が斜め下を向いているのは「青」を示しています。 次の駅との連絡がとれていて対向列車がないこと、信号所構内のポイントがすべて本線側に切り替わって、 出発準備ができていることを示しています。 機関車のボイラ上に白く蒸気が見えています。出発合図の汽笛を鳴らした蒸気でしょう。


こうして、モクモクと煙を吹き上げ、引き上げ線で勢いをつけて出発していきます。
1973.7.15./関西線加太柘植間中在家信号所
[Canon FTb FD50mm 1:1.8/Konica SⅡ Hexanon50mm 1:2]
─ご注意─
現在、この区間の貨物列車、荷物列車は運行されておらず、 また、中在家信号所で行き違いする定期列車はありません。
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