このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

鉄道原風景
─ 国鉄明知線 ─


明知線は中央線恵那から南東方面に延びる25.1kmの支線で、現在は第三セクター「明知鉄道(株)」となっています。
ここでご紹介する一連の写真は、1974年6月に撮影したものです。
恵那発11時22分の明知行に乗り、終点明知駅周辺を散策した後、15時15分発の恵那行で戻りました。

恵那駅で明知線の列車が発車する前に撮影したもの。
左はDD16型(23号機)ディーゼル機関車。明知線のような支線用の小型機関車。当時、支線にも 貨車数両の短い貨物列車が運行されていました。
乗っていった列車の後、この機関車による貨物列車がやって来ました。残念ながら貨物列車の 写真はありません。
背後に写っている電車も今は走っていない旧型車です。
右は中央線の急行列車。全線電化されていますが、ディーゼル車が使われていました。 構内には種々雑多な貨車が留まっています。

乗っていった明知線の列車はキハ52型ディーゼルカー2両でした。
左はディーゼルカーのエンジン。プラットホームのすきまから撮影。明知線は急勾配の多い線区なので、 1両にエンジンを2台搭載した車両でした。
右はドアの表示。閉まるのは自動ですが、駅に着いても自動では開きません。

恵那駅を出ると急な登り勾配が始まります。左は勾配を示す標識です。33と表記されているのは 1000m進んで33m登る勾配(30m進んで1m登る)であることを示しています。
合計4台のエンジンが唸りを上げて急勾配を登っていきます。冷房はないので、窓を開けています。

途中駅、阿木駅(帰路撮影)です。駅名標は剥げ落ちています。駅標の左に構内の転轍機、信号機の 操作テコが写っています。
右は阿木駅の転轍機。恵那方面を写しています。
転轍機の丸い標識にSの字が入っています。これはスプリングポイントといって バネで作動する自動のポイントです。列車が駅構内に入るときにはこの写真の右側に分岐する線路 に入ってきます。この列車は駅から出て行くのを写しています。バネで押された線路を押して自動 で線路を切替えて進んで行くしかけになっています。「ガシャーン」と大きな音とともに 切り替わって通過したと記憶しています。
行先に腕木信号機が写っています。駅構内への進入の可否を示す場内信号です。

途中駅、岩村駅、山岡駅です。
岩村駅は貨物のプラットホームが写っています。
山岡駅は貨車が写っています。この周辺は当時も今も寒天産地として知られています。 名所案内にも「寒天産地 駅付近一帯」と書かれています。寒天の原材料はこうした貨物列車 で運んでいたのでしょうか。

終点、明知駅。
乗ってきた列車から荷物の積み降ろし作業をしています。この頃の支線の列車は客室の一角に荷物を 積んで走っていました。荷物の多い線区ではアコーディオンカーテンで仕切るようにした車両も 見られました。
右は明知城跡からの明知の町。この後、駅に戻ると、恵那駅で見たディーゼル機関車が貨物列車を引いて 来て、入換え作業中でした。

駅の待合室。
1日7往復の列車が運転されています。土曜日のみ12時53分発が運転されます。 学生のための通学列車として設定されているのでしょう。
時刻表の下に、蒸気機関車が貨物列車を引いていた頃の写真が飾られています。 46(1971)年2月の撮影と書かれています。

1974.6.16./明知線
[Canon FTb FD50mm 1:1.8]

─ご注意─
現在、明知線は第三セクター「明知鉄道(株)」となっています。貨物列車は運行されて おりません。

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