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グーデ・デ・ロワ
〜ヨーロッパの主な名窯3〜


世界の中心地フランスでは

フランスでは硬質磁器が登場する1768年以前、ルーアン窯(フランスで初めて軟質磁器を焼成)、サン・クルー窯(オルレアン公の保護を受けたピエール・シアノーによって開窯。1773年頃閉窯)、メヌスィー窯(ビルロワ公爵の保護を受けたフランソワ・ヴァルバンによって開窯。1785年閉窯)、シャンティーイ窯(コンデ公ルイ・アンリの保護を受けたシケール・シルーによって開窯。1800年閉窯)などの軟質磁器が主流となり発展。その絵付けにはマイセン窯が初期に目指していた柿右衛門様式やシノワズリの影響が見られました。


[セーブル] Manufacture Nationale de Sevres 
フランス王国  rench Republic

1738年パリ郊外に財政監査官オルリー・ド・フルビー侯爵が、ロベール・デュポアとジル・デュボアの兄弟を招いてヴァンセンヌ城に開いたのが前身。デュポア兄弟はシャンティーイ窯で働いていた造型師でした。ヴァンセンヌ窯は、1745年以前にフリット磁器を完成させ、1751年に「フランス王立製磁所」としてデロア・ブリシャールが経営にあたりました。債権者の中には王室も含まれており、この窯にはかなりの出資をする事になります。侯爵の没後、国王ルイ15世の寵妃ポンパドゥール侯爵夫人によって、1756年にポンパドゥール夫人の屋敷にも近いセーブルの地に移転。セーブルの名はここからきています。そして1759年、ついに王室によって買収されました。フランス王室の保護の元、発展していったセーブル窯の製品には王侯貴族が好んだロココ様式が展開していきます。また、金彩の使用と色絵の独占使用の勅許が与えられ、他窯製品との差を大きく開いていきました。つまりは他窯ではこのように華麗で煌びやかな金彩文様や美しく華やかな色使いの装飾は許されなかったのです。美しい絵付けで知られていたメヌスィー窯もセーブル窯の勢いにおされ、消えていく運命にありました。

1768年にリモージュ市近郊の村サン・ティリエ・ラ・ペルシュでフランスで初めてカオリンが発見され、セーブル窯もそれまでの軟式磁器から硬式磁器へと流れを変えました。フランス革命が勃発し1793年にこの窯も国立となるものの、今まで得ていた王室の支援が得られなくなった為に衰退し、閉鎖。しかし1804年にナポレオン1世が帝位につくと帝立として再び保護を受けます。この頃には前代のロココ様式からアンピール(エンパイヤ)様式へと変わり、これが19世紀のセーブル窯を代表する意匠となりました。1847年にジャック・ジョゼフ・エーベルマンがフリット磁器を復活。現在は国立となっていますが、その生産量は少なく、年間約6000ピース余りで主に国賓への贈答などに使われるとの事で、「幻の磁器」の異名を取るように希少性が高いといえます。セーブル窯を代表する色彩としては、王者の青(ブリュー・ド・ロワ)と呼ばれる青色、クラウデッド・ブルーと呼ばれる濃淡の斑のある深い青色、ポンパドゥール夫人のピンク(ロゼ・ポンパドゥール)と呼ばれる薔薇色が有名です。窯印はルイ王朝に起因する交差した「L」。

[ロワイヤル・ド・リモージュ] ANCIENNE MANUFACTRE ROYALE de LIMOGES
フランス王国  rench Republic


フランス中部リムーザン地方の都市リモージュ市。1768年その近郊の村サン・ティリエ・ラ・ペルシュで、硬質磁器の原料となるカオリンが発見され、1769年12月にリモージュでフランス初の硬質磁器が焼成されました。始めは陶土を他窯に販売していましたが、1771年県知事ジャック・テュルゴー(後、財務総監)の働きかけにより、ピエール・グルレ、ガブリエル・グルレの兄弟と、ジョゼフ・マシエ、ニコラ・フルネラらが共同事業として「リモージュ磁器製作所」を設立、ここで磁器(白磁素地)が焼成される事になります。これがロワイヤル・ド・リモージュの始まりです。リモージュ製の白磁は、無彩色のままセーブルを始めとする他窯に出荷するような形が取られていました。しかし次第にこの地でも絵付け装飾がなされるようになります。
当時リムーザン地方を領地としていたのはルイ16世の実弟アルトワ伯爵(後のシャルル10世)でした。1773年にリモージュ窯は王室御用達窯となりましたが、翌1774年からはアルトワ伯爵の保護を受け、1778年には遂に「フランス王立磁器製作所」となります。しかし、ルイ15世から続くもう1つの王立磁器窯・セーブルの保護の為、リモージュ窯では完成磁器製品の製造は禁じられ、素地(白磁)を供給するだけにとどめられてしまうのです。リモージュ窯がセーブル窯の下請け工場となったのは、1784年頃と考えられています。しかし、フランス革命を境として王室の呪縛が解かれ、この地には多くの民間窯が生まれ、ナポレオン3世時代に大きく発展していきました。
現在、ロワイヤル・ド・リモージュは、ベルナルド社[Bernardaud]の傘下に入っていますが、ルーブル美術館やヴェルサイユ宮殿に現存する歴史的作品の復刻を許されたかず少ない窯であると共に、歴史的人物所縁の名品の復刻をも国から許されています。
ロワイヤル・ド・リモージュ窯を代表するものとしては
マリー・アントワネットがあります。オリジナルは1781年にルイ16世の王妃マリー・アントワネットが注文し、翌年1月に王妃の元に納品されたもの。真っ白な素地の中心に矢車菊が描き込まれ、それを取り巻くように真珠が描かれています。
 

*現在、ロワイヤル・ド・リモージュの他にリモージュを代表する窯にはベルナルド[Bernardaud 1863年設立]、アヴィランド[Haviland 1842年設立]、レイノー[Raynaud 1849年設立]などがあります。

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