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グーデ・デ・ロワ 〜フランスのガラス〜 |
[サン・ルイ] Saint Louis フランス北東部ロレーヌ地方にあり、1586年創業のミュンツタールがその前身。ロレーヌ公爵領だったこの地がフランスに併合されると、ルイ15世から「サン・ルイ」の名を与えられ王立ガラス工場となりました。時に1767年の事。1780年に工場長ド・ボフォールがイギリスに遅れること100年にして、フランス国内で初めてクリスタルガラスの開発に成功します。 *サン・ルイとはフランス国王ルイ9世(1226〜1270)の事でルイ15世にとっては先祖。王権を拡大し、第七回・第八回の二度の十字軍に参加。その遠征上のチュニスで病没し、1297年にローマ教会から聖人に列せられた人物です。聖王、聖ルイ、つまりサン・ルイ。命日の8月25日は聖ルイの祝日となっています。 [バカラ] Baccarat フランス北東部ロレーヌ地方バカラ村に生まれた事からこの名があります。因みにバカラの名はローマの寺院(BACCHIARA)に由来。創立は1764年。ルイ15世の御代、相次ぐ戦争によって産業は大打撃を受けてしまいます。メッスの司教モンセランシー・ラバルが嘆願しバカラ村にサンタンヌ・ガラス工場(のちのバカラクリスタル社)が置かれたのはそうした失業者対策の為でもありました。1817年に鉛クリスタルガラスの製造を開始。バカラのクリスタルガラスの特徴は他と異なり酸化鉛の含有量が30パーセントと高く、これが澄んだ美しさと重厚感を生み出しているといえます。フランス最大のクリスタルガラスメーカー。 |
閑話 |
[ウォーターフォードクリスタル] Waterford アイルランド 1777年、ガラス産業に対しての重税は多くのガラス職人をイギリス国外へと流出させました。隣国アイルランドのウォーターフォード市に職人が多く集まったのもその影響が多々あったようです。1783年、創業者のペンローズ兄弟はテーブルグラスの先進国イギリスの職人ジョン・ヒルを招いてガラスの製造に当たらせました。これがウォーターフォードクリスタル社の始まりです。イギリス国王ジョージ三世の特注を受けた事からその名が知られるようになりました。酸化鉛含有量が30パーセントと高い為、重厚感があり透明度が高く、精巧なカッティングが人気。現在はウェッジウッドグループ。 [乾隆ガラス] 清国 中国清王朝時代に花開いたガラスで、第六代皇帝乾隆帝の時代(在位1735〜1795年)に因みこの名があります。1696年第四代皇帝康熙帝が宮廷内にガラス工場を作ったのが始まり。元々中国は古代からガラスが作られていましたが宝玉石などに比べるとその価値は低く、発達はしませんでした。しかし清朝ではヨーロッパのガラス文化を吸収し独自の製品を生み出していったのです。 |
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