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〜王城年代記・平安京前期[2]〜
元号 | 西暦 | 日 | 出来事 | 当帝 | 大臣 |
弘仁12年 | 821 | 1月 5日 | 「十条断例」を制定 | 嵯峨天皇 | (右)藤原冬嗣 (821.1〜) |
1月 9日 | 藤原冬嗣、右大臣に任じられる。 | ||||
1月30日 | 右大臣藤原冬嗣ら、「内裏式」を撰上。 | ||||
9月 6日 | 嵯峨天皇、右大臣藤原冬嗣の閑院第に行幸。 | ||||
11月13日 | 渤海使朝貢。 | ||||
*この年、右大臣藤原冬嗣、勧学院を創設。 | |||||
弘仁13年 | 822 | 2月11日 | 東寺に真言院を建立。空海に国家鎮護の為の息災増益の法を行わせる。 | 嵯峨天皇 | (右)藤原冬嗣 |
6月 4日 | 最澄没(57)。 | ||||
6月11日 | 比叡山に戒壇の建立を許す。 | ||||
*この頃『日本霊異記』成立。 | |||||
弘仁14年 | 823 | 1月19日 | 空海に東寺を下賜。 空海、土佐国足摺崎に金剛福寺を建立。 | 嵯峨天皇 淳和天皇 | (右)藤原冬嗣 |
1月20日 | 光仁天皇皇女酒人内親王の遺言を空海が作成する。 | ||||
2月26日 | 比叡山寺、延暦寺と号する。 | ||||
2月28日 | 嵯峨天皇、有智子内親王山荘に行幸。詩賦。 | ||||
4月16日 | 嵯峨天皇譲位。大伴親王受禅、即位(淳和天皇)。伊勢斎王仁子内親王、退下。 | ||||
4月18日 | 嵯峨天皇皇子正良親王立太子。(母:皇后橘嘉智子) | ||||
4月23日 | 皇后橘嘉智子、皇太后となる。 | ||||
4月28日 | 淳和天皇の諱を避け、大伴宿禰を伴宿禰と改める。 | ||||
6月 3日 | 伊勢斎王に淳和天皇皇女氏子内親王、卜定(母:妃高志内親王)。前斎王仁子内親王、帰京。 | ||||
6月 6日 | 淳和天皇妃・故高志内親王に皇后位を追贈。 | ||||
11月23日 | 大蔵省焼失。 | ||||
弘仁15年 天長元年 | 824 | 1月 5日 | 改元(天長)。 | 淳和天皇 | (右)藤原冬嗣 |
4月22日 | 淳和天皇、神泉苑に行幸。渤海の犬を放ち、鹿を追わせ遊猟。 | ||||
6月16日 | 空海、造東寺別当に任じられる。 | ||||
6月20日 | 渤海使の来朝を十二年に一度とする。 | ||||
6月22日 | 僧・義真を天台座主に任じる。 | ||||
7月 7日 | 平城上皇崩御(51)。(父;桓武天皇、母:皇后藤原乙牟漏) | ||||
9月10日 | 勘解由使を復す。 | ||||
9月27日 | 河内国の神願寺を高雄山寺の地に移し、神護寺と称す。 | ||||
*この年、阿保親王、赦されて大宰府より帰京。 | |||||
天長 2年 | 825 | 3月24日 | 桓武天皇皇子葛原親王、子女に平姓賜姓を願うも許されず。 | 淳和天皇 | (左)藤原冬嗣 (825.4〜) (右)藤原冬嗣 (〜825.4) (右)藤原緒嗣 (825.4〜) |
4月 5日 | 右大臣藤原冬嗣を左大臣に、藤原緒嗣を右大臣に任じる。 | ||||
7月 6日 | 葛原親王、重ねて子女に平姓賜姓を願い、許される。高棟王らに平姓を賜う。(賜姓桓武平氏) | ||||
9月−--- | 伊勢斎王氏子内親王、伊勢郡行。 | ||||
11月28日 | 嵯峨上皇の五十八の齢を祝う。賀儀の始まり。 | ||||
天長 3年 | 826 | 5月 1日 | 淳和天皇皇子恒世親王没(22)。(母:桓武天皇皇女高志内親王) | 淳和天皇 | (左)藤原冬嗣 (〜826.7) (右)藤原緒嗣 |
5月 8日 | 渤海使が入京。鴻臚館に入る。 | ||||
7月24日 | 左大臣藤原冬嗣没(52) | ||||
9月 6日 | 上総・常陸・上野諸国を親王任国とする。国守は太守に改める。 | ||||
天長 4年 | 827 | 2月26日 | 伊勢斎王氏子内親王、病の為退下、帰京。 | 淳和天皇 | (右)藤原緒嗣 |
2月27日 | 嵯峨上皇皇女正子内親王立后。 | ||||
2月29日 | 伊勢斎王氏子内親王の帰京を高志内親王石作陵に報告。 | ||||
5月 2日 | 延暦寺に戒壇院の設立を認める。 | ||||
5月 9日 | 淳和天皇皇子恒貞親王誕生。(母:皇后正子内親王) | ||||
5月20日 | 良岑安世ら、『経国集』を撰上。 | ||||
6月13日 | 文章生選抜の制を旧に復す。 | ||||
7月12日 | 大地震。以後8月3日まで余震が続く。 | ||||
天長 5年 | 828 | 2月12日 | 宣子女王、伊勢斎王に卜定。(父:桓武天皇皇子仲野親王) | 淳和天皇 | (右)藤原緒嗣 |
閏3月27日 | 萩原王を射殺した罪により大中臣春継を伊豆に配流。 | ||||
5月23日 | 洪水の為、左右京に賑給。 | ||||
8月18日 | 天変地異が続く為、桓武天皇柏原陵に祈る。 | ||||
天長 6年 | 829 | 11月12日 | 春原五百枝没(70)。(桓武天皇甥、元名は五百枝王) | 淳和天皇 | (右)藤原緒嗣 |
8月20日 | 光仁天皇皇女酒人内親王没(76)。(桓武天皇妃、第21代伊勢斎王) | ||||
天長 7年 | 830 | 4月 2日 | 淳和天皇、大極殿において出雲国献上の神宝を見る。 | 淳和天皇 | (右)藤原緒嗣 |
4月19日 | 小野岑守没(53)。 | ||||
7月 6日 | 良岑安世没(46)。(父:桓武天皇、異父兄:藤原冬嗣) | ||||
8月26日 | 冷然院に寝殿を増築。 | ||||
9月 6日 | 伊勢斎王宣子女王、伊勢郡行。 | ||||
10月 7日 | 「新撰格式」を撰上。 | ||||
11月10日 | 藤原真夏没(57)。 | ||||
11月17日 | 神祇・八省・弾正・左右京・東宮・勘解由・六衛・左右兵庫格式を領行。 | ||||
天長 8年 | 831 | *この年、滋野貞主ら『秘府略千巻』撰上。 | 淳和天皇 | (右)藤原緒嗣 | |
天長 9年 | 832 | 4月 2日 | 内裏修理。淳和天皇、梨本院に移る。 | 淳和天皇 | (左)藤原緒嗣 (832.11〜) (右)藤原緒嗣 (〜832.11) (右)清原夏野 (832.11〜) |
4月11日 | 淳和天皇、紫野院に行幸。紫野院を雲林院と改称。 | ||||
4月14日 | 淳和天皇皇后正子内親王、雲林院で農業の風をみる。 | ||||
8月22日 | 紀伊国高野山で万燈会。 | ||||
天長10年 | 833 | 2月15日 | 清原夏野ら「令義解」撰上。 | 淳和天皇 仁明天皇 | (左)藤原緒嗣 (右)清原夏野 |
2月28日 | 淳和天皇譲位、皇太子正良親王受禅。伊勢斎王宣子女王、退下。 | ||||
2月30日 | 淳和天皇皇子恒貞親王立太子。(母:皇后正子内親王) | ||||
3月 2日 | 嵯峨天皇皇太后橘嘉智子が太皇太后に、淳和天皇皇后正子内親王が皇太后となる。 | ||||
3月 6日 | 正良親王即位。(仁明天皇) | ||||
3月26日 | 仁明天皇皇女久子内親王、伊勢斎王に卜定。(母:高宗女王) | ||||
4月 7日 | 伊勢斎王宣子女王、帰京。 | ||||
7月 8日 | 諸国の民の姓・地名で諱に触れるものを改めさせる。 | ||||
天長11年 承和元年 | 834 | 1月 3日 | 改元(承和)。 | 仁明天皇 | (左)藤原緒嗣 (右)清原夏野 |
1月 7日 | 仁明天皇、豊楽殿で青馬をみる。白馬節会。 | ||||
1月19日 | 藤原常嗣に遣唐大使、小野篁を遣唐副使に任じる。 | ||||
1月27日 | 検非違使別当を設置。 | ||||
2月13日 | 桓武天皇皇子明日香親王没。(母:紀若子) | ||||
4月20日 | 紀伝博士を廃止。文章博士を一名増員。 | ||||
8月 9日 | 嵯峨上皇、嵯峨新院に移る。 | ||||
8月22日 | 暴風雨の為、京中の民家が多数倒壊。 | ||||
12月 5日 | 「令義解」を施行。 | ||||
承和 2年 | 835 | 1月22日 | 承和昌宝を鋳造。 | 仁明天皇 | (左)藤原緒嗣 (右)清原夏野 |
3月21日 | 空海没(63)。 | ||||
7月 3日 | 諸国の守・介の任期を4年とする。但し大宰府・陸奥・出羽に関しては変わらず。 | ||||
9月 5日 | 伊勢斎王久子内親王、伊勢郡行。 | ||||
承和 3年 | 836 | 4月29日 | 遣唐大使藤原常嗣、節刀を賜う。 | 仁明天皇 | (左)藤原緒嗣 (右)清原夏野 |
7月−--- | 遣唐使船遭難。肥前国・対馬島などに漂着。 | ||||
9月14日 | 遣唐大使藤原常嗣、帰京。節刀を返還。 | ||||
承和 4年 | 837 | 3月15日 | 遣唐大使藤原常嗣、節刀を賜う。 | 仁明天皇 | (左)藤原緒嗣 (右)清原夏野 (〜837.10) |
6月21日 | 疫病流行。諸国の国分寺は昼は金剛般若経を読ませ、夜は薬師悔過をさせる。 | ||||
10月 7日 | 右大臣清原夏野没(56)。 | ||||
12月 2日 | 春興殿に盗賊が侵入し、絹五十余疋を盗む。 | ||||
12月11日 | 大風の為、京中の民家の屋舎が多数倒壊。 | ||||
承和 5年 | 838 | 2月12日 | 畿内諸国に盗賊横行。左右衛門府の府生・看督らに逮捕を命じる。 | 仁明天皇 | (左)藤原緒嗣 (右)藤原三守 (837.1〜) |
3月27日 | 筑紫国分寺と神宮寺で遣唐使往還の安泰を願う。 | ||||
4月 7日 | 前年よりの凶作・疫病の為、十五大寺と五畿七道諸国に大般若経を読経させる。 | ||||
6月22日 | 遣唐副使小野篁、病と称して乗船拒否。 | ||||
7月 5日 | 遣唐使船出航を報じる。 | ||||
*この月、諸国に米花(灰のようなもの)が降る。(〜9月) | |||||
10月22日 | 彗星出現。(〜11月中旬) | ||||
12月15日 | 遣唐使船への乗船拒否を咎められ小野篁を隠岐国に配流。小野篁は西道謡を作り、これを諷刺。 | ||||
承和 6年 | 839 | 2月15日 | 彗星出現。東西両寺に般若心経を読経させる。 | 仁明天皇 | (左)藤原緒嗣 (右)藤原三守 |
4月 4日 | 仁明天皇女御藤原沢子没。(光孝天皇生母) | ||||
6月 6日 | 東西市人、朱雀大路で雨乞い。 | ||||
6月15日 | 東寺講堂諸仏、開眼供養。 | ||||
7月17日 | 大宰府が新羅船を建造。 | ||||
7月21日 | 畿内諸国に蕎麦を栽培させる。 | ||||
9月 5日 | 故伊予親王に一品を、母・藤原吉子に従二位を追贈。 | ||||
9月16日 | 遣唐大使藤原常嗣、帰国し節刀を返還。 | ||||
11月 5日 | 伊勢斎宮で火災。官舎一百余宇を焼失。 | ||||
12月 2日 | 文室秋津を伊勢に遣わす。多気宮地を卜定し、常斎宮とする。 | ||||
承和 7年 | 840 | 2月12日 | 京中に盗賊が横行し、六衛府に夜警を命じる。 | 仁明天皇 | (左)藤原緒嗣 (右)藤原三守 (〜840.7) (右)源常 (840.7〜) |
2月14日 | 小野篁、罪を許され隠岐国より帰京。 | ||||
3月 6日 | 京中の盗賊の追捕を六衛府に命じる。 | ||||
3月19日 | 倹約を奨励し、女人の服装の奢美を禁じる。 | ||||
4月22日 | 改正格式を施行。 | ||||
4月23日 | 藤原常嗣没(45)。 | ||||
5月 8日 | 淳和上皇崩御(55)。(父:桓武天皇、母:夫人藤原旅子) | ||||
7月 7日 | 右大臣藤原三守没(56)。 |
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