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〜王城年代記・平安京前期[4]〜

元号西暦出来事当帝大臣
貞観 3年8611月20日出雲国に渤海使李居正らが来朝。清和天皇(太政)藤原良房
(左)源信
(右)藤原良相
3月14日東大寺大仏修理落成供養。
6月16日長慶宣明暦経を採用。
8月 9日平城天皇皇子真如法親王(廃太子高岳親王)、入唐の為、大宰府鴻臚館に入る。
*この月、赤痢流行。
9月 1日伊勢斎王恬子内親王、伊勢群行。
9月19日桓武天皇皇女伊都内親王没。(平城天皇皇子阿保親王妃、在原業平生母)
11月16日群盗が横行し、武蔵国ごとに検非違使を1人設置。
貞観 4年8622月16日藤原良縄、葛野群の別業を道場とし、真如院と号す。清和天皇(太政)藤原良房
(左)源信
(右)藤原良相
3月 8日左右京職に朱雀大路各坊門を守らせる。
3月15日京中の保の制度を強化。
5月20日海賊横行。播磨・備前・備中・備後・安芸・周防・長門・紀伊・淡路・阿波・讃岐・伊予・土佐諸国に追捕を命じる。
7月---−この月、平城天皇皇子真如法親王、渡唐。
9月17日京中の井戸が枯渇。神泉苑の汲水を許す。
10月 7日伴善男、山城国紀伊郡の別業を道場とし報恩寺と号す。
貞観 5年8631月19日平城天皇皇女大原内親王没。(母:伊勢継子。第25代伊勢斎王)。同日、侍従所庭に鬼の足跡を発見。清和天皇(太政)藤原良房
(左)源信
(右)藤原良相
1月27日咳逆病流行。京中の飢民・病人に賑給。
2月10日文徳天皇皇子惟喬親王、弾正尹に任じられる。(母:更衣紀静子)
3月 4日咳逆病流行。諸国名神に祈る。
5月20日神泉苑にて勅命の御霊会。崇道天皇・伊予親王・藤原夫人・観察使・橘逸勢・文室宮田麻呂の六所御霊を祀る。禁門を開き、京人の見学も許される。
貞観 6年8641月 1日清和天皇元服。清和天皇(太政)藤原良房
(左)源信
(右)藤原良相
1月 7日仁明天皇皇太夫人藤原順子が太皇太后に、文徳天皇皇太夫人藤原明子が皇太后となる。
1月16日文徳天皇皇子惟喬親王、常陸太守に任じられる。
1月27日藤原多美子、清和天皇女御となる。(父:藤原良相)
1月28日貞観4年3月の新制を訂正。
2月25日清和天皇、太政大臣藤原良房の染殿第に行幸。花宴。
5月25日長雨により京中の飢民・病人に賑給。富士山爆発の報が駿河国よりもたらされる。
12月26日阿蘇神霊池、沸騰。
貞観 7年8651月25日太政大臣藤原良房、親王の年料給分の改正を奏上。清和天皇(太政)藤原良房
(左)源信
(右)藤原良相
3月25日得度者受戒の制を強める。
5月13日疫病退散を願い、神泉苑・七条大路・朱雀大路の東西で大般若心経を読経。佐比寺で疫神祭。
6月14日京畿内七道の諸人が御霊会と称し、走馬騎射するなどの行いを禁じる。
11月 4日左右京職は毎旬、弾正台隔月の巡検を命じる。
貞観 8年8662月---−文徳天皇更衣紀静子没。(父:紀名虎、惟喬親王・伊勢斎王恬子内親王ら生母、通称:三条町清和天皇(摂政)藤原良房
(866.8〜)
(太政)藤原良房
(左)源信
(右)藤原良相
3月23日文徳天皇、右大臣藤原良相第に行幸。花宴。
閏3月 1日文徳天皇、摂政藤原良房染殿第に行幸。花宴。
閏3月10日応天門炎上。応天門の変
閏3月27日河陽宮にて大般若経を転読。
6月 4日僧侶による飲酒・贈物を禁じる。
6月28日旱魃により京中の飢民が東堀川の鮎を捕猟、食す。
7月14日最澄に伝教大師、円仁に慈覚大師の謚号を贈る。勅謚号の始まり。
8月19日太政大臣藤原良房を摂政とする(『三代実録』)。人臣摂政の始まり。(『公卿補任』による天安2年(858)説あり)
9月22日伴善男を応天門放火の罪で伊豆国に配流。以後、行疫流行神として祀られる。
11月17日新羅来襲に備え沿岸警備強化。能登・因幡・伯耆・出雲・隠岐・石見・長門・大宰府の諸神に祈願。
12月25日藤原須恵子を春日・大原野の神斎とする。
12月27日藤原高子、清和天皇女御となる。(父:藤原長良)
貞観 9年8671月17日桓武天皇皇子仲野親王没(76)。清和天皇(摂政)藤原良房
(太政)藤原良房
(左)源信
(右)藤原良相
(〜867.10)
1月26日疫病が蔓延し、鬼気祭を執り行う。
5月26日新羅調伏を祈り、山陰道諸国に四天王像安置。
10月10日右大臣藤原良相没(55)。
11月10日海賊横行。山陽・南海道諸国に追捕を命じる。
貞観10年8682月13日応天門の再建が始まる。清和天皇(摂政)藤原良房
(太政)藤原良房
(左)源信
(〜868.閏12)
2月18日藤原良縄没(55)。
7月---−*この頃地震が頻発。
9月 7日式年遷宮の為、伊勢神宮に大神財宝を奉る。
9月14日文徳天皇皇子惟条親王没(23)。(母:更衣紀静子、同母兄:惟喬親王)
10月27日賀茂斎王儀子内親王、皇太后藤原明子の四十賀を献じる。
閏12月28日左大臣源信没(59)。(父:嵯峨天皇、母:広井氏)
*この年伴善男没(58)。
*この頃、惟宗良縄、「令集解」を作る。
貞観11年8692月 1日清和天皇皇子貞明親王立太子。(母:女御藤原高子)清和天皇(摂政)藤原良房
(太政)藤原良房
4月13日藤原氏宗ら「貞観格十ニ巻」を撰上。
5月22日新羅の海賊が博多津に来襲。
6月14日祇園御霊会の起源。(貞観18年説もある)
7月14日大雨により肥後国六郡水没。
8月14日太政大臣藤原良房ら「続日本後紀二十巻」を撰上。
9月 7日「新撰貞観格」を施行。
12月 4日近江国の勢田橋が焼ける。
12月 5日新羅の海賊への備えに諸国の俘囚を大宰府に送る。
12月28日鎮西警護の為、坂上瀧守を大宰府に送る。
貞観12年8701月25日貞観永宝を鋳造。清和天皇(摂政)藤原良房
(太政)藤原良房
(右)藤原氏宗
(870.1〜)
2月12日大宰府及び山陰道諸国の警備強化。
2月20日親王数による王碌の受給者数を制定。王碌は429人、女王碌は262人。
4月 5日長門国の馬を国外に出す事を禁じる。
11月17日大宰少弐藤原元利万侶、新羅への通牒の罪で逮捕。
12月 2日上総国で俘囚叛乱。
12月27日弾正台の巡回制度を旧に復す。
貞観13年8713月---−京中に群盗横行。近衛府に警護を命じる。清和天皇(摂政)藤原良房
(太政)藤原良房
(右)藤原氏宗
4月10日摂政太政大臣藤原良房を准三宮とする。
8月25日藤原氏宗ら「貞観式」を撰上。
閏8月 7日洪水の為、京中の道橋が流失し民家が多数倒壊。
閏8月28日山城国葛野郡・紀伊郡に百姓の葬送・放牧の地を定める。
9月28日仁明天皇太皇太后藤原順子没(63)。(父:藤原冬嗣、文徳天皇生母、通称:五条后
10月 8日桓武天皇皇子賀陽親王没(78)。(母:夫人多治比真宗)
10月21日応天門再建。
10月22日「貞観式」施行。
貞観14年8721月20日京中に咳逆病が大流行し、大祓を行う。渤海使入朝による異土の毒気と噂される。清和天皇(摂政)藤原良房
(〜872.9)
(摂政)藤原基経
(872.11〜)
(太政)藤原良房
(〜872.9)
(左)源融
(872.8〜)
(右)藤原氏宗
(〜872.2)
(右)藤原基経
(872.8〜
2月 7日藤原氏宗没(63)。
5月 1日仁明天皇皇子人康親王没(54)。(母:女御藤原沢子、光孝天皇同母弟)
5月15日渤海使入京、鴻臚館に入る。
5月17日在原業平、鴻臚館にて渤海使を労問。
5月22日京師人・市人による渤海使との交易を認可。
7月11日文徳天皇皇子惟喬親王、出家。
9月 2日太政大臣藤原良房没(69)。
11月29日藤原基経、摂政に任じられる。
12月13日十陵四墓に藤原良房の愛宕墓を加え、十陵五墓とする。
貞観15年8731月23日騎馬での山崎橋の往来を禁止。清和天皇(摂政)藤原基経
(左)源融
(右)藤原基経
6月22日京中、河内国飢饉。飢民に賑給。
10月 9日左右坊城使を復す。
10月17日清和天皇不予。
11月 3日太政官庁完成。
11月13日太皇太后・皇太后宮・春宮坊の封及び服用、五位以上の封禄、諸王の季禄を旧に復す。
貞観16年8744月19日淳和院火災。清和天皇(摂政)藤原基経
(左)源融
(右)藤原基経
8月24日大風雨で大被害。
貞観17年8751月28日冷然院火災。五十四宇を焼失した他、図籍文書が灰燼に帰す。清和天皇(摂政)藤原基経
(左)源融
(右)藤原基経
5月10日下総国で俘囚が叛乱。常陸・上総・武蔵・下野諸国に命じ、鎮圧させる。
6月23日神泉苑にて雨乞い。
11月15日伴善男の没官地の内、伊勢国の墾田庄家を京城道橋料にあてる。
*この年、唐で黄巣の乱勃発。
貞観18年8762月25日淳和天皇太皇太后正子内親王の請により嵯峨院を大覚寺とする。清和天皇
陽成天皇
(摂政)藤原基経
(左)源融
(右)藤原基経
3月13日陽成天皇皇女識子を内親王に叙する。(母:更衣藤原良近女)
4月10日大極殿・小安殿・延休殿などが炎上。
4月27日近衛・兵衛らに京中を警備を命じる。
6月18日仁明天皇皇女久子内親王没。(母:高宗女王、第29代伊勢斎王)
6月21日仏像一万三千を東海・山陰・南海の三道諸国に分置。
6月27日私鋳銭の罪により興福寺の元僧・徳操を伊予国に配流。
10月 5日賀茂斎王儀子内親王、病により退下。
11月29日清和天皇譲位。皇太子貞明親王受禅。
貞観19年
元慶元年
8771月 3日皇太子貞明親王即位。(清和天皇)。生母女御藤原高子、皇太夫人となる。陽成天皇(摂政)藤原基経
(左)源融
(右)藤原基経
1月27日京畿内で飢饉の為、左右京に常平司を置き官米を販売。
2月17日陽成天皇皇女識子内親王を伊勢斎王に、清和天皇皇女敦子内親王(母:藤原高子)を賀茂斎王に卜定。
4月 9日大極殿の再建が始まる。
4月16日改元(元慶)
4月24日文徳天皇皇女珍子内親王没。(母:紀静子)
7月10日旱魃により神泉苑の池水を民田に供給。
10月18日菅原道真、文章博士に任じられる。
元慶 2年8782月27日賊徒が紫宸殿に入り、軟障を剥ぎ取る。陽成天皇(摂政)藤原基経
(左)源融
(右)藤原基経
2月28日旱災の為、河内国に班給。
3月15日畿内に班給。出羽国の夷俘が叛乱。
4月 8日興福寺の堂宇・僧房焼失。
4月28日夷俘叛乱の為、上野・下野・陸奥諸国に援軍を送る。
5月 2日摂津国に班給。
5月 4日藤原保則、出羽権守に任じられる。
5月 7日大和国の百姓に正税三万束を賑給。
6月 8日小野春風、鎮守府将軍に任命され出羽国秋田城を救援を命じられる。
8月29日叛乱夷俘の投降が相次ぐ。
9月29日関東諸国で大地震。相模国・武蔵国激震続く。
11月11日清和上皇皇太后藤原明子の知命の賀を献じる。恍惚鬼出没。
元慶 3年8792月25日都良香没(46)陽成天皇(摂政)藤原基経
(左)源融
(右)藤原基経
3月23日淳和天皇太皇太后正子内親王没(71)。(父:嵯峨天皇、母:皇后橘嘉智子、仁明天皇同母妹)
5月 8日清和上皇、出家。
9月 9日斎王識子内親王、伊勢群行。
9月20日斎宮群行長奉送使在原業平帰京。
9月25日鴨川唐橋焼失。
10月 8日大極殿復興。
10月24日清和上皇、大和国行幸。
閏10月 5日前賀茂斎王儀子内親王没。(父:文徳天皇。母:皇后藤原明子)
11月13日摂政藤原基経ら「日本文徳天皇実録」を撰上。
11月25日清和上皇不予。円覚寺に御す。
12月 4日畿内五ヶ国に官田四千町を設ける。(元慶官田)
元慶 4年8805月28日在原業平没(56)。(父:平城天皇皇子阿保親王、母:桓武天皇皇女伊都内親王)陽成天皇(摂政)藤原基経
(〜880.11)
(関白)藤原基経
(880.11〜)
(太政)藤原基経
(880.12〜)
(左)源融
(右)藤原基経
(〜880.12)
8月23日清和上皇、水尾山寺より左大臣源融の山荘棲霞観に行幸。
11月 8日藤原基経、関白に任じられる(『公卿補任』)。(基経の関白就任には元慶4年、元慶8年、仁和3年などの説もある)
12月 4日右大臣藤原基経、太政大臣に任じられる。清和上皇崩御(31)。
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