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〜王城年代記・長岡京〜

元号西暦出来事当帝大臣
延暦 3年7842月 ----大伴家持、持節征東将軍に任じられる。桓武天皇(右)藤原是公
 5月16日遷都の為、藤原小黒麻呂らが山背国乙訓郡長岡村を視察。
 6月10日藤原種継、造長岡宮使に任じられる。長岡京の建設が始まる。
 6月13日遷都の旨、賀茂社に報告。
10月28日桓武天皇皇后藤原乙牟漏の生母・阿倍古美奈没。
11月11日長岡京遷都
11月24日光仁天皇皇太夫人高野新笠、長岡京に移る。
延暦 4年7855月 3日桓武天皇の外祖父・紀諸人に正一位・太政大臣を、祖母である道氏に太皇大夫人を贈る。桓武天皇(右)藤原是公
7月17日淡海三船没(64)。
*この月、最澄、比叡山に草庵をかまえる
 8月24日桓武天皇皇女伊勢斎王朝原内親王(母:酒人内親王)の伊勢下向の為、桓武天皇平城前京に行幸。
 8月28日大伴家持没(68)。
 9月 7日伊勢斎王朝原内親王、伊勢郡行。百官陪従、大和国境・伊賀国境に送る。
 9月 8日桓武天皇、水雄岡に行幸。遊猟。
 9月23日造長岡宮使藤原種継、二本の矢に射ぬかれる。
 9月24日藤原種継没(49)。桓武天皇、平城前京より還御。大伴継人・竹良並びに数十人を捕らえる。
 9月28日藤原種継暗殺事件に関与していたとして、早良親王、長岡京今里の乙訓寺に幽閉。皇太弟を廃される。
10月----飲食を断ち、淡路配流途上の山崎高瀬橋のほとりにて早良親王没(36)。
10月17日早良親王を淡路国多賀へ葬る。(一説に7日とも)
11月25日桓武天皇皇子安殿親王立太子。(母:皇后藤原乙牟漏)
延暦 5年786 1月17日従三位藤原旅子を夫人とする。桓武天皇(右)藤原是公
 4月11日佐伯今毛人、大宰帥に任じられる。
6月29日桓武天皇夫人藤原旅子の生母・藤原諸姉没。(父:藤原良継)
10月28日光仁天皇を大和国田原陵に改葬。
*この年、桓武天皇皇子賀美能親王(母:皇后藤原乙牟漏。後の嵯峨天皇)、大伴親王(母:夫人藤原旅子、後の淳和天皇)誕生。
延暦 6年787 2月 5日光仁天皇皇子諸勝(母:県犬養勇耳)に広根朝臣の氏姓を、桓武天皇皇子岡成(母:多治比豊継)に長岡朝臣の氏姓を与える。桓武天皇(右)藤原是公
5月 6日安殿親王に帯剣。(加冠前という異例の出来事)
10月17日桓武天皇、鷹狩の為に摂津国交野に行幸。藤原継縄の別業を行宮とする。(〜20日)
延暦 7年788 1月15日安殿親王加冠。桓武天皇(右)藤原是公
 5月 4日桓武天皇夫人藤原旅子没(30)、贈正一位・妃位を贈る。(父:藤原百川、淳和天皇生母)
*この年、最澄が一乗止観院(現・比叡山寺根本中堂)を創建。
延暦 8年7891月 1日日蝕。桓武天皇(右)藤原是公
(〜789.9)
3月16日造東大寺司を廃する。
 6月 3日大墓公阿弖流為、蝦夷政討軍を破る。
 9月 8日征東大将軍紀古佐美、陸奥国から帰京し節刀を返還。
 9月19日征東大将軍の敗戦の責任をただして処罰。右大臣藤原是公没(63)。
12月28日光仁天皇皇太夫人生母高野新笠没。(桓武天皇・崇道天皇生母)
延暦 9年7901月15日光仁天皇皇太夫人高野新笠を大枝陵に埋葬。桓武天皇(右)藤原継縄
(790.2〜)
 2月18日大宰員外帥藤原浜成没(67)。
閏3月 4日蝦夷征討に備え東海・東山両道に3年を限りとして革甲を二千領作らせる。
閏3月10日桓武天皇皇后藤原乙牟漏没(31)。(父:藤原良継、平城天皇・嵯峨天皇生母)
閏3月16日大赦。早良親王に親王号を復する。
閏3月28日皇后藤原乙牟漏を長岡山陵に埋葬。(高畠陵)
 4月29日飢饉の為、上野・遠江・三河・美濃・近江、また和泉・紀伊・丹後・淡路・伯耆・播磨・備前・美作・備中に賑給。
 7月21日桓武天皇妃坂上又子没。(父:坂上苅田麻呂)
 8月 1日飢餓により大宰府管内の領民8万8千人に賑恤。
 9月 1日安殿親王不予の為、京の七寺で誦経。
10月 3日佐伯今毛人没(72)。
11月27日旱魃と疫病流行の為坂東諸国からの今年の田租を免除。
12月 1日桓武天皇の外祖父高野乙継と土師真妹に正一位を贈り、土師氏を大枝朝臣と改める。
*この年秋冬、京畿内に豌豆瘡流行。
延暦10年791 1月18日蝦夷征討の為、百済王俊哲・坂上田村麻呂に東海・東山両道の武具・兵士を検閲させる。桓武天皇(右)藤原継縄
 3月 6日刪定律令二十四条を施行。
 4月27日桓武天皇、弾正尹神王第に行幸。神王の娘・前斎王浄庭女王を従五位に叙す。
 5月12日飢饉の為、紀伊・豊後・日向・大隈に賑給。
 7月13日大伴弟麻呂を征東大使に坂上田村麻呂を副使に任じる。
 8月 3日伊勢神宮に盗賊が侵入。正殿・財殿などを焼失。
 8月14日伊勢神宮に奉幣。使いを遣わし、修繕。
 9月17日越前・丹波・播磨・阿波他の諸国に平城宮の諸門を長岡宮に移築させる。
10月10日桓武天皇、交野行幸。右大臣藤原継縄別荘を行宮とする。(〜13日)
10月27日安殿親王、病平癒の為伊勢神宮に下向。
11月11日安殿親王、還御。
延暦11年792 1月11日陸奥国斯波の蝦夷胆沢公阿奴志己ら帰順。桓武天皇(右)藤原継縄
 2月15日桓武天皇皇子伊予親王加冠。(母:夫人藤原吉子)
 6月 7日陸奥・出羽・佐渡・大宰府管内諸国を除き、全国の兵士を廃止。
 6月10日安殿親王不予。卜占により早良親王の祟りと出る。勅使を淡路国に派遣し、その霊に奉謝する。
 6月14日諸国に健児を置く。
6月17日故早良親王の墓に堀を巡らす。
 6月22日洪水の為、式部省南門倒壊。
 7月25日蝦夷爾散南公阿破蘇、帰順。
 8月 9日大雨洪水。
 8月11日洪水視察の為、桓武天皇赤目崎に行幸。
閏11月 1日新弾例八十三条を施行。
延暦12年793 1月15日遷都の為、藤原小黒麻呂らが山背国葛野郡宇太村を視察。桓武天皇(右)藤原継縄
 2月 2日遷都の旨を賀茂社に報告。
 2月17日征東使を征夷使とする。
 3月 1日天皇、葛野に行幸し新京を視察。
 3月 9日摂津職を摂津国に改める。
 3月10日遷都の旨を伊勢神宮に報告。
 3月15日五位以上・諸司主典以上に新京の宮城を築かせる。
 6月23日諸国に新京の門を造らせる。
 9月 2日菅原真道らに新京の宅地を班給させる。
 9月10日藤原氏に限り二世以下の王・王女との婚姻を許す。
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