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〜 雪月花 戦国恋語り 信玄の娘 松姫 編 〜


〜 文紡ぎ 晩夏 今ひとたびの逢ふこともがな 〜


登場人物

松姫[武田信玄の五女]、奇妙丸[織田信長の嫡男](文だけの登場)、

武田信玄、黄梅院[武田信玄の長女(※仮名:初瑠<はる>)]、菊姫[武田信玄の四女]、

油川夫人[武田信玄の側室、菊姫と松姫の母]、



「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」

「小倉百人一首 第五十六番」、及び、「後拾遺集」

作者:和泉式部(いずみしきぶ)



松姫と奇妙丸の縁談が調ってから、二十の月を数えた。

暦は六月となった。



ここは、甲斐の国。



雨の降る時間や曇りの時間が減り始め、晴れの時間が増え始めている。

少しずつ蒸し暑さを感じる時間が増えている。



ここは、躑躅ヶ崎館。



初瑠姫の部屋。



初瑠姫、菊姫、松姫が居る。



初瑠姫は松姫と菊姫に微笑んで話し出す。

「いつも無理を言って躑躅ヶ崎館に来てもらってごめんね。」

松姫は初瑠姫に微笑んで話し出す。

「初瑠姉上と話しが出来るのは楽しいです。気を遣わないでください。」

菊姫も初瑠姫に微笑んで話し出す。

「私もお松と同じく楽しいです。気を遣わないでください。」

初瑠姫は菊姫と松姫に微笑んで話し出す。

「お松が奇妙丸殿と交わす文に書く時の歌で、良い歌がないか考えていたの。恋の歌をたくさん詠んだ和泉式部を思い出したの。」

松姫は初瑠姫に微笑んで話し出す。

「母上から和泉式部について教えてもらいました。私が和泉式部の詠んだ恋の歌を贈るのは早いとして、歌については教えてもらえませんでした。」

初瑠姫は松姫と菊姫に微笑んで話し出す。

「和泉式部が詠んだ恋の歌以外で教えてもらった歌はあるの?」

松姫は初瑠姫に微笑んで話し出す。

「近い内に教えてもらえる予定です。」

菊姫は初瑠姫に微笑んで話し出す。

「和泉式部の詠んだ歌について、差し支えない程度に教えて頂けると嬉しいです。」

初瑠姫は菊姫と松姫に微笑んで話し出す。

「では、教えてもらう可能性の低い歌を一首だけ詠むわね。」

松姫は初瑠姫に微笑んで話し出す。

「お願いします。」

菊姫も初瑠姫に微笑んで話し出す。

「お願いします。」

初瑠姫は菊姫と松姫に微笑んで話し出す。

「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」

松姫は初瑠姫を心配そうに見た。

菊姫も初瑠姫を心配そうに見た。

初瑠姫は菊姫と松姫に微笑んで話し出す。

「私は大丈夫よ。心配させる歌を選んでごめんなさい。」

松姫は初瑠姫に微笑んで話し出す。

「大丈夫です。」

菊姫は初瑠姫に微笑んで軽く礼をした。

初瑠姫は松姫に微笑んで話し出す。

「話しは変わるけれど、以前からお菊とお松に伝えたいと考えていた想いがあるの。良い機会だから話をするわね。最初にお松に、次にお菊に、最後は二人に、という順番で話しをするわね。」

松姫は初瑠姫に微笑んで話し出す。

「はい。」

菊姫も初瑠姫に微笑んで話し出す。

「はい。」

初瑠姫は松姫に微笑んで話し出す。

「私が氏政様を支えきれなかったために、今のような状況になってしまったと思うの。私は甲斐に居るから、家族の状況が分からないの。私が甲斐から北条の家族を強く想っても、北条の家族に私の想いは伝わらないの。いつも悲しくて不安なの。お松が奇妙丸殿に嫁ぐ前も嫁いだ後も何も起きなければ良いけれど、今の世は何も起きないと断言するのは難しいと思うの。お松は、奇妙丸殿のためにも、武田家と織田家のためにも、武田家の家臣と織田家の家臣のためにも、甲斐の住民と岐阜の住民のためにも、奇妙丸殿を支えなければならないの。お松と奇妙丸殿に何が起きたとしても、お松は奇妙丸殿を信じ続けなさい。」

松姫は初瑠姫に真剣な表情で話し出す。

「はい。」

初瑠姫は菊姫に微笑んで話し出す。

「お菊。お松に伝えた内容を踏まえて話しをするわね。お松は年齢などの関係で奇妙丸殿と別々に過ごしているわ。お菊は年齢などから考えると、縁談が決まれば準備などで慌しく日々が過ぎて、相手の元に嫁ぐと思うの。もしお松が甲斐の国に居た時は、お菊は甲斐の国に居る間は支えてあげて。」

菊姫は初瑠姫に真剣な表情で話し出す。

「はい。」

初瑠姫は菊姫と松姫に微笑んで話し出す。

「お菊。お松。辛い時、寂しい時、忙しい時、嬉しい時、どのような時でも周りの人達への気遣いを忘れないでね。お菊もお松も一人で重要な決断をする時が訪れると思うの。お菊とお松にとって一番に大切な人を想って決断しなさい。お菊とお松は、私のようにならないでね。お菊とお松にとって後悔のない生き方をしてね。」

松姫は初瑠姫に真剣な表情で話し出す。

「はい。」

菊姫も初瑠姫に真剣な表情で話し出す。

「はい。」

初瑠姫は菊姫と松姫を微笑んで見た。



奇妙丸様へ

甲斐の国は、雨の降る日や曇の日が減り、暑い日が増えてきました。

奇妙丸様は元気でお過ごしでしょうか。

私は元気に過ごしています。

心配せずにお過ごしください。

初瑠姉上と菊姉上と和泉式部について話しをしました。

初瑠姉上から和泉式部の歌を一首だけ教えてもらいました。

母上からは、後日になりますが、和泉式部について教えてもらう予定です。

どのような歌を教えてもらえるか楽しみです。

初瑠姉上から教えてもらった歌を書きます。

あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな

悲しくて寂しい歌だと思いました。

私が幼いために、奇妙丸様の傍で過ごせません。

申し訳ないと思っています。

奇妙丸様の傍で過ごす日が一日も早く訪れるように努力します。

この歌のような経験をしないように、しっかりと過ごしたいと思います。

暦は晩夏ですが、暫くは暑い日が続くと思います。

体調に気を付けてお過ごしください。

松より



それから何日か経った後の事。



ここは、油川夫人、菊姫、松姫の住む屋敷。



一室。



武田信玄と油川夫人が居る。



武田信玄は油川夫人に苦笑しながら話し出す。

「私が奇妙丸殿に直ぐに返事を書くように言ったから、お菊とお松は奇妙丸殿からの文を受け取ると直ぐに部屋を出て行ったな。寂しさと嬉しさの両方を感じてしまった。」

油川夫人は武田信玄を微笑んで見た。

武田信玄も油川夫人を微笑んで見た。

油川夫人は武田信玄に心配そうに話し出す。

「話しは変わりますが、初瑠姫様がお菊とお松に和泉式部の詠んだ歌を一首だけ教えてくださったそうです。」

武田信玄は油川夫人に不思議そうに話し出す。

「お初瑠はどの歌を詠んだんだ?」

油川夫人は武田信玄に心配そうに話し出す。

「“あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな”だそうです。」

武田信玄は油川夫人を困惑した様子で見た。

油川夫人は武田信玄に心配そうに話し出す。

「初瑠姫様の体調は悪いのですか?」

武田信玄は油川夫人に心配そうに話し出す。

「お初瑠は体調の優れない状態が続いているが、お菊とお松と逢う時や体調の落ち着いている時は、庭で花を見たり話をしたりして過ごしていた。数日前から、お初瑠の体調が更に悪くなり、床で横になって過ごす時間が多くなった。お初瑠は、氏政殿や子供達に逢いたいはずだが、名前も逢いたいとも言わなくなった。お菊やお松にも逢いたいはずだが、名前も逢いたいとも言わなくなった。お初瑠がお菊とお松に和泉式部の歌を詠んで伝えた時には、既に思うところがあったのかも知れないな。」

油川夫人は武田信玄を心配そうに見た。

武田信玄は油川夫人に心配そうに話し出す。

「甲斐の国を治める者としての決断は正しいと言えるが、父親としての決断も正しいとは言えない。」

油川夫人は武田信玄を心配そうに見ている。

武田信玄は寂しそうに軽く息をはいた。

油川夫人は武田信玄を心配そうに見ている。

武田信玄は油川夫人に微笑んで話し出す。

「私が下した決断だ。お初瑠やお菊やお松のためにも、私が落ち込む訳にはいかないな。」

油川夫人は武田信玄に微笑んで話し出す。

「私の前では、気兼ねせずに落ち込んでください。他の方の前では、強くて威厳のある姿を見せてください。」

武田信玄は油川夫人を微笑んで見た。

油川夫人も武田信玄を微笑んで見た。



ちょうど同じ頃。



ここは、躑躅ヶ崎館。



初瑠姫の部屋。



初瑠姫は床に微笑んで横になっている。



初瑠姫は床に横になったまま、微笑んで呟いた。

「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」



初瑠姫の元に穏やかな光が差した。



初瑠姫は床に横になったまま、微笑んで目を閉じた。



お松へ

岐阜も暑さを感じる日が続いている。

私も元気に過ごしている。

安心してくれ。

お松は和泉式部について学ぶ予定なんだね。

印象に残った歌について教えてもらえると嬉しい。

私もお松としっかりと話しが出来るように、和泉式部について学ぶ予定だ。

あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな

私も悲しくて寂しい歌だと思う。

私もお松と共に過ごせれば、寂しさや悲しさは感じないと思う。

私は一人前かと問われれば、一人前ではないという返事になる。

私もお松と共に過ごせる日が一日も早く訪れるように努力する。

共に焦らずに学んでいこう。

当分は暑い日が続くはずだ。

お松も無理をしないで過ごしてくれ。

奇妙丸より



「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」

初瑠姫が最期に想った人物は誰なのか。

誰にも分からない日々が続いている。



永禄十二年六月十七日。

初瑠姫は、北条の家族を想いながら、病のために武田家の治める土地で亡くなった。



元亀二年十二月。

初瑠姫は北条家に戻る事になる。

初瑠姫が亡くなってから二年ほど先の出来事になる。




*      *      *      *      *      *




ここからは後書きになります。

この物語に登場する歌は、「小倉百人一首 第五十六番」、及び、「後拾遺集」です。

「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」

ひらがなの読み方は、「あらざらむ このよのほかの おもひでに いまひとたびの あふこともがな」です。

作者は「和泉式部(いずみしきぶ)」です。

意味は「もう余命いくばくもない私ですが、せめてあの世に旅立つ思い出として、死ぬ前にもう一度あなたにお逢いしたいと思います。」となるそうです。

「和泉式部」についてです。

平安中期の歌人です。

生没年がはっきりとしないそうです。

「中古三十六歌仙」の一人です。

「和泉式部集」、「和泉式部日記」などが知られています。

父親は越前守大江雅致(えちぜんのかみおおえまさむね)です。

夫や恋愛をした相手として名前が知られているのは、和泉守橘道貞(夫)、弾正宮為尊親王、敦道親王(弾正宮為尊親王の弟)、藤原保昌などです。

和泉守橘道貞との間に、「小式部内侍(こしきぶないし)」が生まれています。

「小式部内侍」も百人一首に選ばれています。

和泉式部は中宮の藤原彰子のもとに出仕をしていた事があります。

紫式部、赤染衛門なども同時期に出仕をしていました。

武田家関連についてです。

今回の物語は、武田信玄と三条夫人の娘の「黄梅院(名前不詳)」が亡くなった月を想像して書きました。

「黄梅院」は、永禄十二年六月十七日(1569年7月30日)に亡くなります。

黄梅院と北条氏政は、三国同盟によって政略結婚をしました。

二人の間には何人もの子供が生まれて夫婦仲も良かったそうです。

三国同盟が破綻した事によって、甲斐の国に戻る事になります。

黄梅院の亡くなった後の出来事になりますが、元亀二年(1571年)十二月に、北条氏政は早雲寺に黄梅院を建立し、黄梅院の分骨を埋葬して手厚く葬ったと伝えられています。

黄梅院は名前の分からない状態が続いていますが、菊姫や松姫と並んで武田信玄の娘として知られています。

黄梅院も戦国という時代の波の中で生きた女性の一人です。

永禄十二年六月は、武田・北条・上杉の関係で、幾つかの出来事が起こります。

北条氏政の弟が上杉謙信の養子になる事によって、北条と上杉の同盟が成立します。

武田信玄が駿河に進撃します。

「晩夏(ばんか)」は、「夏の終わり。夏の末。陰暦六月の異称。」です。

楽しんで頂けると嬉しいです。





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