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〜 雪月花 戦国恋語り 信玄の娘 松姫 編 〜


〜 文紡ぎ 霜見月 我が黒髪に霜は降るとも 〜


登場人物

松姫[武田信玄の五女]、織田信忠(幼名:奇妙丸)[織田信長の嫡男](文だけの登場)、

菊姫[武田信玄の四女]、



「居明かして 君をば待たむ ぬばたまの 我が黒髪に 霜は降るとも」

「万葉集 第二巻 八十九番」より

作者:磐姫皇后(いわのひめのおおきさき)



松姫と奇妙丸の縁談が調ってから、六十一の月になっている。

暦は十一月になっている。



季節は仲冬になる。



ここは、甲斐の国。



天気の良い日も、寒さを感じるようになった。

天気の悪い日や陽が落ちると、更に寒さを感じるようになった。



ここは、松姫と菊姫の住む屋敷。



松姫の部屋。



松姫は落ち込んだ様子で居る。



菊姫は部屋の中に微笑んで入ってきた。



松姫は菊姫を落ち込んだ様子で見た。

菊姫は松姫に心配して話し出す。

「お松。落ち込んでいる様子に見えるわ。何が遭ったの?」

松姫は菊姫に落ち込んで話し出す。

「父上が心配です。信忠様が心配です。織田家が徳川家に味方する可能性は高いです。武田家と織田家の戦いが回避できない可能性が高くなっています。父上の無事と信忠様の無事を共に願う方法が見付かりません。」

菊姫は松姫を心配して見た。

松姫は菊姫に落ち込んで話し出す。

「今の話は、姉上のみに話しています。部屋の外では笑顔で過ごしています。安心してください。」

菊姫は松姫に微笑んで話し出す。

「お松。気分展開を兼ねて、庭で話しましょう。」

松姫は菊姫に落ち込んで話し出す。

「部屋の外では、笑顔で過ごします。今は笑顔で話す内容が見付かりません。部屋で話したいです。」

菊姫は松姫の耳元で微笑んで囁いた。

「お松。伝えたい内容があるの。屋敷以外の場所で話しましょう。」

松姫は菊姫を不思議な様子で見た。

菊姫は松姫を微笑んで見た。



暫く後の事。



ここは、草原。



菊姫は微笑んで居る。

松姫は不思議な様子で居る。



菊姫は松姫に微笑んで話し出す。

「寒いわね。」

松姫は菊姫に不思議な様子で話し出す。

「はい。」

菊姫は松姫に微笑んで囁いた。

「辺りに詳細な内容まで見聞きできる場所は無いわ。近くに居る人物は、信頼できる人物のみよ。安心して話せるわ。」

松姫は菊姫を不思議な様子で見た。

菊姫は松姫の耳元で微笑んで囁いた。

「お松が信忠様に文を届ける方法が僅かだけど有るの。」

松姫は菊姫を驚いて見た。

菊姫は松姫の耳元で微笑んで囁いた。

「お松。短い文しか書けないわ。信忠様から文の返事が届く可能性は低いわ。他人が文を読んだ場合を考えると、誤解を生む内容の文は書けないわ。厳しい条件が多いけれど、信忠様に文を書きなさい。」

松姫は菊姫を驚いて見ている。

菊姫は松姫の耳元で微笑んで囁いた。

「お松。様々な状況を考えて、笑顔で話しているの。不思議に感じると思うけれど、許してね。」

松姫は菊姫の耳元で微笑んで囁いた。

「姉上。ありがとうございます。」

菊姫は松姫に微笑んで頷いた。

松姫は菊姫を微笑んで見た。

菊姫も松姫を微笑んで見た。



大切な想い人様へ

居明かして 君をば待たむ ぬばたまの 我が黒髪に 霜は降るとも

私は信じて待ちます。

幾多の朝が来ようとも、幾多の昼が来ようとも、幾多の夜が来ようとも。

私の心配はせずにお過ごしください。

松より



幾日か後の事。



ここは、菊姫と松姫の住む屋敷。



松姫の部屋。



松姫は紙を持ち、微笑んで居る。

菊姫は微笑んで居る。



松姫は紙を微笑んで見た。

菊姫は松姫と紙を微笑んで見た。



大切な姫へ

居明かして 君をば待たむ ぬばたまの 我が黒髪に 霜は降るとも

私も信じて待つ。

私の心配をせずに、姫の身の安全を一番の考えてくれ。

奇妙より



松姫は紙を持ち、菊姫を微笑んで見た。

菊姫は松姫に微笑んで頷いた。



数日後の事。



ここは、菊姫と松姫の住む屋敷。



松姫は微笑んで居る。



菊姫は部屋の中に考えながら入ってきた。



松姫は菊姫を不思議な様子で見た。

菊姫は松姫に考えながら話し出す。

「二俣城を攻めあぐねている報告が届いているの。」

松姫は菊姫を心配して見た。

菊姫は松姫に微笑んで話し出す。

「父上は強い人物よね。父上を信じる人達も強い人物よね。私達が長く心配すると、父上に私達の心配する気持ちが伝わる可能性があるわ。私達は父上を信じて過ごしましょう。」

松姫は菊姫に微笑んで話し出す。

「はい。」

菊姫は松姫を微笑んで見た。

松姫も菊姫を微笑んで見た。

菊姫は松姫の耳元で微笑んで囁いた。

「お松。信忠様の願いのとおり、願いが叶うまでは、お松の身を一番に考えなさい。」

松姫は菊姫の耳元で微笑んで囁いた。

「信忠様が大切です。父上が大切です。姉上が大切です。甲斐の国が大切です。甲斐の国に住む人達が大切です。武田家を信じる人達が大切です。私の身より大切に考える人達がたくさんいます。」

菊姫は松姫の耳元で微笑んで囁いた。

「私もお松の身を大切にして欲しいの。無理をしないでね。」

松姫は菊姫の耳元で微笑んで囁いた。

「はい。」

菊姫は松姫を微笑んで見た。

松姫も菊姫を微笑んで見た。


「居明かして 君をば待たむ ぬばたまの 我が黒髪に 霜は降るとも」

幾多の朝が来ようとも。

幾多の昼が来ようとも。

幾多の夜が来ようとも。

黒髪に霜が降ろうとも。

幾多の思惑が複雑に絡まる中に居ようとも。

幾多の想いが複雑に絡まる中に居ようとも。

松姫と織田信忠は、お互いを信じて過ごすと決めた。




*      *      *      *      *      *




ここからは後書きになります。

この物語に登場する歌は「万葉集 第二巻 八十九番」

「居明かして 君をば待たむ ぬばたまの 我が黒髪に 霜は降るとも」

ひらがなの読み方は「ゐあかして きみをばまたむ ぬばたまの わがくろかみに しもはふるとも」

作者は「磐姫皇后(いわのひめのおおきさき)」

歌の意味は「朝まで寝ないであなたを待ちましょう。私の黒髪に霜が降ろうとも。」となるそうです。

原文は「居明而 君乎者将待 奴婆珠能 吾黒髪尓 霜者零騰文」

仁徳天皇(にんとくてんのう)を思って詠んだ歌のひとつとされています。

この歌の前に「磐姫皇后(いわのひめのおおきさき)が仁徳天皇(にんとくてんのう)を思って作られた歌」として四首の歌があり、この歌の題詞には「或本歌曰(ある本の歌にいわく)」と書かれています。

「霜(しも)」についてです。

「氷点下に冷却した地面や地上の物体に、空気中の水蒸気が触れて昇華してできる氷の結晶です。風の弱い、晴れた夜にできやすいです。」←冬の季語です。

他の意味には、「白髪をたとえていう言葉」があります。

武田家についての補足です。

油川夫人は、元亀二年(1571年)(※月日は不明)に亡くなったそうです。

松姫と織田信忠の縁談が、破談なのか、続いているのか、分からなくなってしまった理由の一つに、「西上作戦(さいじょうさくせん)」があります。

西上作戦は、甲斐武田家が、元亀三年(1572年)九月から元亀四年(1573年)四月に掛けて行った遠征をいいます。

織田家が浅井家を攻めた頃は、武田家と浅井家は繋がっていて、織田信長の妹のお市の方が浅井長政に嫁いでいました。

武田軍の関連についてです。

元亀三年(1572年)九月から十一月の動きです。

元亀三年九月二十九日(1572年11月4日)に、山県昌景の別働隊が三河に向けて、古府中を出陣します。

武田信玄が将軍の足利義昭の要請を受けて、三万近くの本隊を率いて上洛戦を開始するのは、元亀三年十月三日(1572年11月7日)です。

武田信玄の本隊が犬居城に着陣します。

武田信玄は、馬場信春に二俣城の攻撃に向かわせて、本隊は木原に着陣します。

後に、一言坂で、武田軍と徳川軍による「一言坂の戦い」が起きます。(武田軍が浜松城へ敗走中の徳川軍に追いついて、一言坂で起きた合戦)

十月の間に、武田軍は二俣城を包囲します。

元亀三年十一月十四日(1572年12月18日)に、秋山信友が、岩村城を攻略します。

二俣城は、最初は攻めあぐねていたそうですが、元亀三年十一月下旬から十二月中旬の頃に戦法を変えたそうです。

元亀三年十一月下旬から十二月中旬の頃に、二俣城を攻略します。

後の出来事になりますが、天正七年九月十五日(1579年10月5日)に、徳川家康の嫡男の徳川信康が二俣城で切腹して亡くなります。

織田家関連について簡単に説明します。

織田信忠(幼名“奇妙丸”)の母と伝わる生駒(いこま)家の吉乃(きつの)が亡くなったのは、永禄九年五月十三日(1566年5月31日)と伝わっています。

織田信忠(幼名“奇妙丸”)が元服するのは、元亀三年(1572年)と伝わっています。

織田信忠は、実弟の「茶筅丸(ちゃせんまる)(織田信雄[おだのぶかつ])」、実弟の「三七丸(神戸三七郎信孝[かんべさんしちろうのぶたか]、織田信孝[おだのぶたか])」、と共に元服したと伝わっています。

元亀三年(1572年)一月に元服した説があります。

織田信忠が元服時に改名した名前は「織田勘九郎信重(おだかんくろうのぶしげ)」です。

「織田信忠」と改名するのは後の出来事になりますが、名前が幾度も変わると分かり難くなるため、元服後の名前は「織田信忠」で統一します。

ご了承ください。

織田信忠の初陣は、元亀三年(1572年)と伝わっています。

織田信忠の「具足初め(ぐそくはじめ)の儀」が、元亀三年七月十九日(1572年8月27日)に執り行われたと伝わっています。

織田信忠の初陣は、元亀三年七月十九日(1572年8月27日)、または、直ぐ後の日付になるようです。

織田信忠の初陣の相手は「北近江」の「浅井家」の「浅井長政」です。

浅井長政の継室は、織田信長の妹の「お市の方」です。

織田信忠の初陣の相手は、父親(織田信長)の妹(お市の方)の嫁ぎ先になります。

浅井長政は、織田家との戦いの中で、元亀三年九月一日(1572年9月26日)に自害して亡くなります。

織田信忠にとっての次の大きな戦は、元亀三年(1572年)十二月頃の遠江の二俣城の戦いや三方ヶ原の戦いになります。

「仲冬(ちゅうとう)」についてです。

「(冬の三ヶ月の真ん中の意味)陰暦十一月の異称」です。

冬の季語です。

「霜見月(しもみづき)」についてです。

「陰暦十一月の異称」です。

楽しんで頂けると嬉しいです。





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