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〜 雪月花 戦国恋語り 信玄の娘 松姫 編 〜


〜 文紡ぎ 早花咲月 桜花咲かむ春 君し偲はむ 〜


登場人物

松姫[武田信玄の五女]、織田信忠(幼名:奇妙丸)[織田信長の嫡男](文だけの登場)、

武田信玄(文だけの登場)、菊姫[武田信玄の四女]、



「絶等寸の 山の峰の上の 桜花 咲かむ春へは 君し偲はむ」

「万葉集 第九巻 一七七六番」より

作者:播磨娘子(はりまのをとめ)



松姫と奇妙丸の縁談が調ってから、六十五の月になっている。

暦は三月になっている。



季節は晩春になる。



複雑に絡まる時の中での晩春になる。



ここは、甲斐の国。



桜を含めるたくさんの春の花が咲いている。



ここは、菊姫と松姫の住む屋敷。



松姫の部屋の前に在る庭。



桜の花が咲いている。



菊姫も桜を微笑んで見ている。

松姫も桜を微笑んで見ている。



菊姫は松姫に微笑んで話し出す。

「桜の花が綺麗に咲いているわね。」

松姫は菊姫に微笑んで話し出す。

「はい。」

菊姫は松姫に微笑んで話し出す。

「屋敷以外に咲く桜の花も観たいわね。」

松姫は菊姫に微笑んで話し出す。

「はい。」

菊姫は松姫に微笑んで話し出す。

「父上は戦で忙しいから、桜を観る時間が無いわね。今年は桜の花を見る場所を気軽に選べないわね。」

松姫は菊姫に考えながら話し出す。

「はい。」

菊姫は松姫を不思議な様子で見た。

松姫は桜を考えながら見た。

菊姫は松姫に微笑んで話し出す。

「お松。お松の部屋で続きを話しましょう。」

松姫は菊姫に考えながら話し出す。

「はい。」

菊姫は松姫を微笑んで見た。



菊姫は微笑んで居なくなった。

松姫は考えながら居なくなった。



僅かに後の事。



ここは、菊姫と松姫の住む屋敷。



松姫の部屋。



菊姫は部屋の中に微笑んで入ってきた。

松姫は部屋の中に考えながら入ってきた。



菊姫は松姫に心配して話し出す。

「お松。何か遭ったの?」

松姫は菊姫に心配して話し出す。

「今年になってから、武田軍の侵攻が遅くなっています。今月になってから、武田軍の侵攻は止まった状態に等しいようです。武田軍の侵攻が遅い理由は、父上の体調が関係しているのでしょうか?」

菊姫は松姫に考えながら話し出す。

「父上は文に元気だと書いているわ。父上が文に嘘を書くと思えないわ。父上の体調が悪いとしても、進軍を止めない方法は有ると思うの。特別な事情があるかも知れないわ。」

松姫は菊姫を考えながら見た。

菊姫は松姫に微笑んで話し出す。

「お松。父上は優秀な人物よ。家臣も優秀な人物よ。私達が戦について心配する姿を知れば、父上も家臣も侍女も、私達を心配するわ。武田軍の士気に影響が出ると困るわ。」

松姫は菊姫に微笑んで話し出す。

「はい。」

菊姫は松姫に微笑んで話し出す。

「部屋の障子を開けて、庭に咲く桜の花を観ながら話しましょう。」

松姫は菊姫に微笑んで話し出す。

「はい。」

菊姫は松姫を微笑んで見た。

松姫は障子を微笑んで開けた。

菊姫は庭を微笑んで見た。

松姫も庭を微笑んで見た。



数日後の事。



ここは、菊姫と松姫の住む屋敷。



松姫の部屋。



松姫は微笑んで居る。

机の上に、桜の花の咲く小枝を挿した花瓶が置いてある。



松姫は桜の小枝を微笑んで見た。



菊姫は部屋の中に微笑んで入ってきた。



松姫は菊姫を微笑んで見た。

菊姫は松姫に微笑んで話し出す。

「お松。お松の乳母の屋敷の庭に桜の花が咲いているわよね。一緒に出掛けましょう。」

松姫は菊姫に微笑んで話し出す。

「はい。」

菊姫は松姫を微笑んで見た。



菊姫は部屋を微笑んで出て行った。

松姫も部屋を微笑んで出て行った。



暫く後の事。



ここは、松姫の乳母の住む屋敷。



庭には、桜の花が咲いている。



部屋の前の縁。



菊姫は微笑んで来た

松姫も微笑んで来た。



菊姫は松姫に微笑んで話し出す。

「桜の花が綺麗に咲いているわね。」

松姫は菊姫荷微笑んで話し出す。

「はい。」

菊姫は松姫に微笑んで話し出す。

「部屋の障子を開けて、庭の桜を観ましょう。」

松姫は菊姫荷微笑んで話し出す。

「はい。」

菊姫は松姫を微笑んで見た。



菊姫は部屋の中に微笑んで入って行った。

松姫も部屋の中に微笑んで入って行った。



直後の事。



ここは、松姫の乳母の住む屋敷。



一室。



菊姫は部屋の中に微笑んで入った。

松姫も部屋の中に微笑んで入った。



障子は開いている。



菊姫は懐から文を微笑んで取り出した。

松姫は菊姫を不思議な様子で見た。

菊姫は文を持ち、松姫に微笑んで囁いた。

「お松。父上から文が届いたの。文を一緒に読みましょう。」

松姫は菊姫に微笑んで囁いた。

「はい。」

菊姫は文を広げると、文を微笑んで読んだ。

松姫は文を微笑んで読んだ。



お菊へ、そして、お松へ

元気に過ごしているだろうか。

私は大丈夫だ。

心配せずに過ごして欲しい。

甲斐の国で桜の花が咲く頃だろうか。

今年は、お菊とお松と共に、桜が観られないと思う。

残念だ。

来年は、お菊とお松と共に桜の花が観たい。

来年は、お菊とお松が、大切な人物に巡り逢い、大切な人物と共に、桜を観て欲しい。

お菊。

お松。

たくさんの人達に支えられて過ごしている事実を忘れないように。

たくさんの人達を支えて過ごしている事実を忘れないように。

何時も幸せを願っている。

何処に居ても幸せを願っている。

父より



菊姫は文を持ち、松姫を微笑んで見た。

松姫は菊姫を微笑んで見た。

菊姫は文を丁寧にたたむと、菊姫の傍に置いた。

松姫は菊姫を微笑んで見ている。

菊姫は懐から文を微笑んで取り出した。

松姫は菊姫を不思議な様子で見た。

菊姫は文を持ち、松姫に微笑んで囁いた。

「お松。信忠様からの文よ。文を一緒に読みましょう。」

松姫は菊姫に微笑んで囁いた。

「はい。」

菊姫は松姫に文を微笑んで渡した。

松姫は菊姫から文を微笑んで受け取った。

菊姫は松姫を微笑んで見た。

松姫は文を持ち、文を微笑んで広げた。

菊姫は文を微笑んで読んだ。



大切な姫へ

様々な場所で桜の花の咲く頃になっているね。

姫の住む場所も桜の花が咲く頃になっていると思う。

私は様々な姿の桜を観ながら、姫を想い出す。

絶等寸の 山の峰の上の 桜花 咲かむ春へは 君し偲はむ

風邪などひかないように気を付けて過ごしてくれ。

奇妙より



松姫は文を持ち、菊姫を微笑んで見た。

菊姫は松姫に微笑んで囁いた。

「文の返事を書くための準備は頼んであるの。文の返事を書きましょう。」

松姫は文を持ち、菊姫に微笑んで囁いた。

「はい。」

菊姫は松姫を微笑んで見た。



少し後の事。



ここは、松姫の乳母の住む屋敷。



一室。



菊姫は微笑んで居る。

松姫も微笑んで居る。

机の上には、文を書く用意をしてある。



障子は開いている。



菊姫は松姫に微笑んで話し出す。

「“絶等寸の 山の峰の上の 桜花 咲かむ春へは 君し偲はむ”。歌の意味は、“絶等寸の山の上の桜が咲く春になったら、あなたさまも、わたくしのことを、思い出してくださいますよね。”、となるそうよ。作者は、女性。歌を贈った相手は、女性だと考えられているそうよ。“絶等寸”が何処かは分かっていないそうよ。」

松姫は菊姫に微笑んで話し出す。

「場所の分からない山の峰の上に咲く桜。女性から女性に贈った歌。姉上の説明を聞くと、文に添える歌をしっかりと考えて選んだ状況が分かります。」

菊姫は松姫に微笑んで頷いた。

松姫は菊姫に微笑んで話し出す。

「一通の文の返事は、姉上。一通の文の返事は、私。以上の内容で良いですか?」

菊姫は松姫に微笑んで頷いた。

松姫は菊姫を微笑んで見た。



大切な君へ

今は桜の花が咲いています。

私は桜の花を見て過ごしています。

絶等寸の 山の峰の上の 桜花 咲かむ春へは 君し偲はむ

私は、桜の花を観ても、葉桜を観ても、色付く葉の桜を観ても、落葉した桜を観ても、大切な君を想い出します。

私は元気に過ごしています。

安心してお過ごしください。

姫より



父上へ

文をありがとうございます。

父上からの文が読めました。

私もお松も、嬉しいです。

長い返事を書きたいですが、父上に迷惑を掛けないために、短い返事にします。

甲斐の国は桜の花が咲いています。

私もお松も、桜を見ながら過ごしています。

私もお松も、父上からの教えを忘れずに過ごします。

私もお松も、父上に逢う日を楽しみに待ちながら過ごします。

菊より、そして、松より



翌日の事。



ここは、菊姫と松姫の住む屋敷。



庭には、桜の花が咲いている。



松姫の部屋。



障子は開いている。



机の上に、桜の花の咲く小枝を挿した花瓶が置いてある。



菊姫は庭を微笑んで見ている。

松姫も庭を微笑んで見ている。



菊姫は庭を見ながら、松姫に微笑んで話し出す。

「お松。綺麗ね。」

松姫は庭を見ながら、菊姫に微笑んで話し出す。

「はい。」

菊姫は庭を見ながら、松姫に微笑んで話し出す。

「お松の部屋に飾ってある桜の花の咲く小枝を見ていないわ。しっかりと見てあげないと桜が可哀想だわ。」

松姫は菊姫を見ると、菊姫に微笑んで話し出す。

「姉上の部屋にも桜の花の咲く小枝を挿した花瓶が飾ってあります。しっかりと見てあげないと桜が可哀想です。少し経ったら、姉上の部屋で、姉上の部屋の桜と庭の桜を、見たいです。」

菊姫は松姫を見ると、松姫に微笑んで話し出す。

「綺麗に咲く桜に感謝しながら、しっかりと桜を愛でて過ごしましょう。」

松姫は菊姫に微笑んで話し出す。

「はい。」

菊姫は松姫を微笑んで見た。

松姫も菊姫を微笑んで見た。



「絶等寸の 山の峰の上の 桜花 咲かむ春へは 君し偲はむ」

桜の花の咲く頃も様々な思惑の中で時は過ぎている。

松姫は、春も、春以外も、桜の花を観ても、様々な姿の桜を観ても、織田信忠を想い出す。

織田信忠も、春も、春以外も、桜の花を観ても、様々な姿の桜を観ても、松姫を想い出す。

松姫も織田信忠も、様々な思惑の乱れる時の中に居る。

桜の花は先に起きる出来事を知っているのか。

桜の花は先に起きる出来事を知らないのか。

桜の花は質問に答えずに鮮やかに咲いている。




*      *      *      *      *      *




ここからは後書きになります。

この物語に登場する歌は「万葉集 第九巻 一七七六番」

「絶等寸の 山の峰の上の 桜花 咲かむ春へは 君し偲はむ」

ひらがなの読み方は「たゆらきの やまのをのへの さくらばな さかむはるへは きみししのはむ」

作者は「播磨娘子(はりまのをとめ)」

歌の意味は「絶等寸(たゆらき)の山の上の桜が咲く春になったら、あなたさまも(わたくしのことを)思い出してくださいますよね。」となるそうです。

原文は「絶等寸笶 山之峯上乃 櫻花 将開春部者 君之将思」

この歌の題詞には、「石川大夫(いしかはのまえつきみ)が転勤で京(みやこ)の上る時に、播磨娘子(はりまのおとめ)が贈った歌」とあります。

「石川君子(いしかわのきみこ)」ではないかと考えられています。

「絶等寸(たゆらき)」がどこなのか分かっていないそうです。

武田家についての補足です。

油川夫人は、元亀二年(1571年)(※月日は不明)に亡くなったそうです。

松姫と織田信忠の縁談が、破談なのか、続いているのか、分からなくなってしまった理由の一つに、「西上作戦(さいじょうさくせん)」があります。

西上作戦は、甲斐武田家が、元亀三年(1572年)九月から元亀四年(1573年)四月に掛けて行った遠征をいいます。

武田軍の関連についてです。

元亀三年(1572年)九月から元亀四年(1573年)三月の動きです。

元亀三年九月二十九日(1572年11月4日)に、山県昌景の別働隊が三河に向けて、古府中を出陣します。

武田信玄が将軍の足利義昭の要請を受けて、三万近くの本隊を率いて上洛戦を開始するのは、元亀三年十月三日(1572年11月7日)です。

武田信玄の本隊が犬居城に着陣します。

武田信玄は、馬場信春に二俣城の攻撃に向かわせて、本隊は木原に着陣します。

後に、一言坂で、武田軍と徳川軍による「一言坂の戦い」が起きます。(武田軍が浜松城へ敗走中の徳川軍に追いついて、一言坂で起きた合戦)

十月の間に、武田軍は二俣城を包囲します。

元亀三年十一月十四日(1572年12月18日)に、秋山信友が、岩村城を攻略します。

二俣城は、最初は攻めあぐねていたそうですが、元亀三年十一月下旬から十二月中旬の頃に戦法を変えたそうです。

元亀三年十一月下旬から十二月中旬の頃に、二俣城を攻略します。

後の出来事になりますが、天正七年九月十五日(1579年10月5日)に、徳川家康の嫡男の徳川信康が二俣城で切腹して亡くなります。

元亀三年十二月二十二日(1573年1月25日)に、「三方ヶ原の戦い(みかたがはらのかっせん)」(別称:三方ヶ原の合戦[みかたがはらのかっせん])が起こります。

「三方ヶ原」は、現在の静岡県浜松市に在ります。

「三方ヶ原の戦い」は、徳川家康が武田信玄の上洛を阻止するため、徳川軍は一万一千の兵(内、織田信長からの援軍は、約三千、と伝わる)で、武田軍のおよそ2万5千の兵(他には、二万五千、二万七千、三万、などとの兵の人数が伝わっています。)に、戦いを挑みます。

状況から見ると、武田軍、対、徳川軍と織田軍の連合軍、との戦いになります。

戦闘時間は、約二時間と伝わっています。

結果は、徳川軍の大敗で終わったそうです。

「三方ヶ原の戦い」は、徳川家康の唯一の敗戦と喩えられています。

「三方ヶ原の戦い」に関係する戦いになりますが、「犀ヶ崖の戦い」が伝わっています。

「犀ヶ崖の戦い」は、「三方ヶ原の戦い」の終わった日の夜に、徳川軍の大久保忠世と天野康景らが、一矢を報いようとして、三方ヶ原台地に在る「犀ヶ崖」で野営していた武田軍を奇襲した戦いをいいます。

奇襲の内容は、崖に白色の布を架けて橋と見せかけた、となります。

武田軍は、夜の時間と地理に疎い状況が合わさって、次々に崖下に落下したと伝わっています。

「犀ヶ崖の戦い」は、徳川関係の書物では見るそうですが、徳川関係以外の記録では見られないそうです。

徳川関係の書物には、幅100m近い崖に短時間で白色の布を渡したなどの記録があるそうです。

書物の内容から考えると時間や設定的に無理のある内容があるそうです。

犀ヶ崖の付近に碑があるそうなので、落下した人達がいるとは思いますが、大人数の兵士達が崖下に落下したのか分かりません。

白色の布が原因で崖下に落ちたのではなく、当日の夜に雪が降ったため崖下に落ちた、とする説があります。

伝説なのか、一部は真実なのか、詳細は分かりません。

ご了承ください。

武田信玄は「三方ヶ原の戦い」の勝利の後に直ぐに三河に信仰せずに、浜名湖北岸の刑部で越年しました。

元亀四年一月三日(1573年2月3日)、武田軍は進軍を再開しました。

三河への侵攻を開始しました。

東三河の要衝である野田城を包囲します。

野田城は小規模な城のため、兵は400人ほどだったそうです。

武田軍は、2万7千人だったそうです。

野田城は小規模な城だったそうですが、備えが固くなかなか攻め込めなかったそうです。

武田信玄は甲州の金掘で働く人達を使って、水脈を切ったそうです。

そのため、野田城の水が枯れたそうです。

徳川家康の援軍が来ない事もあり、元亀四年(1573年)二月に、城を明け渡したそうです。

元亀四年(1573年)二月に、長篠城に入城します。

長篠城に入城した理由は、武田信玄の病が悪化したため、と伝わっているようです。

武田信玄が長篠城に入城した頃になると、侵攻がほとんど止まった状態になったようです。

武田信玄が浜名湖北岸の刑部で越年した理由も病による体調の悪化の説があります。

刑部で越年する頃から武田軍の侵攻の内容が遅くなっています。

元亀四年(1573年)三月は、武田信玄は長篠城での療養中の可能性があります。

織田家関連について簡単に説明します。

織田信忠(幼名“奇妙丸”)の母と伝わる生駒(いこま)家の吉乃(きつの)が亡くなったのは、永禄九年五月十三日(1566年5月31日)と伝わっています。

織田信忠(幼名“奇妙丸”)が元服するのは、元亀三年(1572年)と伝わっています。

織田信忠は、実弟の「茶筅丸(ちゃせんまる)(織田信雄[おだのぶかつ])」、実弟の「三七丸(神戸三七郎信孝[かんべさんしちろうのぶたか]、織田信孝[おだのぶたか])」、と共に元服したと伝わっています。

元亀三年(1572年)一月に元服した説があります。

織田信忠が元服時に改名した名前は「織田勘九郎信重(おだかんくろうのぶしげ)」です。

「織田信忠」と改名するのは後の出来事になりますが、名前が幾度も変わると分かり難くなるため、元服後の名前は「織田信忠」で統一します。

ご了承ください。

織田信忠の初陣は、元亀三年(1572年)と伝わっています。

織田信忠の「具足初め(ぐそくはじめ)の儀」が、元亀三年七月十九日(1572年8月27日)に執り行われたと伝わっています。

織田信忠の初陣は、元亀三年七月十九日(1572年8月27日)、または、直ぐ後の日付になるようです。

織田信忠の初陣の相手は「北近江」の「浅井家」の「浅井長政」です。

浅井長政の継室は、織田信長の妹の「お市の方」です。

織田信忠の初陣の相手は、父親(織田信長)の妹(お市の方)の嫁ぎ先になります。

浅井長政は、織田家との戦いの中で、元亀三年九月一日(1572年9月26日)に自害して亡くなります。

織田信忠にとって、初陣の次の大きな戦は、元亀三年(1572年)十二月頃の遠江の二俣城の戦いや三方ヶ原の戦いになります。

「晩春(ばんしゅん)」についてです。

「春の終わり。春の末。(←春の季語)」、「陰暦三月の異称」、をいいます。

「早花咲月(さはなさづき)」についてです。

「陰暦三月の異称」です。

楽しんで頂けると嬉しいです。





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