このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

〜 雪月花 戦国恋語り 信玄の娘 松姫 編 〜


〜 文紡ぎ 涼暮月 地さへ裂けて照る日にも 〜


登場人物

松姫[武田信玄の五女]、織田信忠(幼名:奇妙丸)[織田信長の嫡男](文だけの登場)、

菊姫[武田信玄の四女]、



「六月の 地さへ裂けて 照る日にも 我が袖干めや 君に逢はずして」

「万葉集 第十巻 一九九五番」より

作者:詠み人知らず



松姫と奇妙丸の縁談が調ってから、六十八の月になっている。

暦は六月になっている。



季節は晩夏になる。



前々月、菊姫と松姫の父の武田信玄が亡くなった。

武田信玄の遺言により、武田信玄の死は三年隠すと決まった。

様々な思惑が複雑に絡まる中の晩夏になる。



ここは、甲斐の国。



暑い日が増えている。



ここは、躑躅ヶ崎館。



縁。



菊姫は普通に歩いている。

松姫も普通に歩いている。



何処かから話し声が聞こえた。

「武田家の中に織田家の関係者が居ると思う。」

「姫様が躑躅ヶ崎館に来ている。今は話すのを止めろ。」



菊姫は普通に止まった。

松姫は困惑して止まった。



菊姫の傍と松姫の傍には、部屋が在る。



菊姫は部屋の障子を普通に開けた。



部屋の中には、数人の武田家家臣が居る。



数人の武田家家臣は菊姫に驚いて深く礼をした。



菊姫は部屋の中に普通に入っていった。

松姫は部屋の中に困惑して入っていった。



直後の事。



ここは、躑躅ヶ崎館。



一室。



菊姫は部屋の中に普通に入った。

松姫は部屋の中に困惑して入った。



数人の武田家家臣は菊姫と松姫に驚いて深く礼をしている。

菊姫は数人の武田家家臣に真剣な表情で話し出す。

「織田家の関係者の話題。或る時期から、私が躑躅ヶ崎館に来る時に、幾度も聞く話題になるわ。」

数人の武田家家臣は菊姫と松姫に驚いて深く礼をしている。

菊姫は数人の武田家家臣に真剣な表情で話し出す。

「私が聞くと困る話題なのかしら。武田家の姫様が聞くと困る話題なのかしら。」

数人の武田家家臣は菊姫と松姫に驚いて深く礼をしている。

菊姫は数人の武田家家臣に真剣な表情で話し出す。

「聞かれて困る話題を話すのは止めなさい。」

数人の武田家家臣は菊姫と松姫に驚いて深く礼をしている。

菊姫は数人の武田家家臣に真剣な表情で話し出す。

「私の話に納得しない場合は、礼は止めなさい。私の話に納得しない場合は、考えを言いなさい。」

数人の武田家家臣は菊姫と松姫に驚いて深く礼をしている。

菊姫は数人の武田家家臣を真剣な表情で見た。

数人の武田家家臣は菊姫と松姫に驚いて深く礼をしている。

松姫は菊姫と数人の武田家家臣を困惑して見た。



菊姫は部屋を普通に出て行った。

松姫は部屋を僅かに困惑して出て行った。



暫く後の事。



ここは、菊姫と松姫の住む屋敷。



松姫の部屋。



菊姫は部屋の中に微笑んで入ってきた。

松姫は部屋の中に普通に入ってきた。



松姫は菊姫に申し訳なく話し出す。

「姉上。申し訳ありません。」

菊姫は松姫に微笑んで話し出す。

「先程の話題。訪問者が聞いたら、武田家が不安定になっている噂が広がるわ。一族も、家臣も、武田家を守るための自覚と誇りが必要なの。私は間違った内容を話していないわ。」

松姫は菊姫を申し訳なく見た。

菊姫は松姫に微笑んで話し出す。

「父上の不在は続いているわ。一族も家臣も、武田家の名を背負う自覚と誇りが、更に必要なの。」

松姫は菊姫を申し訳なく話し出す。

「はい。」

菊姫は松姫に微笑んで話し出す。

「お松。困惑した表情をしているわ。侍女も家臣も、心配するわ。普通に過ごしなさい。」

松姫は菊姫に微笑んで話し出す。

「はい。」

菊姫は松姫に微笑んで話し出す。

「お松。父は、武田信玄公。母は、武田信玄公が一番信頼する女性、油川夫人。誇りを持って、しっかりと過ごしなさい。」

松姫は菊姫に微笑んで話し出す。

「はい。」

菊姫は松姫を微笑んで見た。

松姫は菊姫に微笑んで話し出す。

「姉上。先程の話す時の様子。誇りを感じました。」

菊姫は松姫に微笑んで話し出す。

「お松を守るために誇りを前面に出したの。誇りが伝わって良かったわ。」

松姫は菊姫を微笑んで見た。

菊姫は松姫に微笑んで話し出す。

「以上の内容は話したけれど、過剰な自信、過剰な誇り、共に必要ないわ。過剰な誇りと過剰な自信は、控えましょう。」

松姫は菊姫に微笑んで話し出す。

「はい。」

菊姫は松姫を微笑んで見た。



翌日の事。



ここは、松姫の乳母の住む屋敷。



一室。



松姫は微笑んで居る。



菊姫が部屋の中に微笑んで入ってきた。

商人が部屋の中に普通に入ってきた。



商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。

菊姫は松姫に微笑んで話し出す。

「お松。商人を呼んだの。買物をしましょう。」

松姫は菊姫と商人に微笑んで話し出す。

「はい。」

商人は懐から小さい紙を丁寧に取り出すと、松姫に小さい紙を丁寧に差し出した。

松姫は商人から小さい紙を微笑んで受け取った。

菊姫は松姫の耳元で、松姫に微笑んで囁いた。

「お松。紙を開いて。」

松姫は小さい紙を丁寧に広げると、小さい紙を微笑んで見た。

菊姫は松姫を微笑んで見た。

松姫は小さい紙を持ち、小さい紙を微笑んで見た。



「六月の 地さへ裂けて 照る日にも 我が袖干めや 君に逢はずして」



商人は松姫に普通の表情で静かに話し出す。

「警戒は今も強いです。奇妙殿が頼んだ状況を信じて頂くために、奇妙殿が自筆で歌を書きました。奇妙殿から伝言を預かっています。」

松姫は小さい紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。

「伝言を教えてください。お願いします。」

商人は松姫に静かに話し出す。

「私の想う唯一の姫へ。私は姫を想い続ける。体調に気を付けて元気に過ごして欲しい。想いの強さなどを表現したくて選んだ歌だ。私は泣いて過ごしていない。安心してくれ。次回も私の想いを伝える方法は伝言になると思う。次回も伝言が届けられると信じている。」

松姫は小さい紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。

「私からも言葉で伝えます。」

商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。

松姫は小さい紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。

「私の唯一の君。歌の贈り物ありがとうございます。私も唯一の君を想い続けます。唯一の君も体調に気を付けてお過ごしください。贈り物の歌から想いの強さが伝わりました。嬉しいです。次回も伝言になると思います。次回も伝言が届くと信じています。」

商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。

松姫は小さい紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。

「贈り物の歌を返事として書きます。少し待っていてください。」

商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。

松姫は小さい紙を持ち、菊姫を微笑んで見た。

菊姫は松姫に微笑んで頷いた。



少し後の事。



ここは、松姫の乳母の住む屋敷。



一室。



菊姫は微笑んで居る。

松姫も微笑んで居る。

商人は普通に居る。

机の上に小さい紙が載っている。



小さい紙には松姫の筆跡で歌が書いてある。



「六月の 地さへ裂けて 照る日にも 我が袖干めや 君に逢はずして」



松姫は小さい紙を丁寧にたたむと、商人に小さい紙を微笑んで渡した。

商人は松姫から小さい紙を丁寧に受け取った。

松姫は商人に微笑んで小さい声で話し出す。

「お願いします。」

商人は小さい紙を丁寧に持ち、松姫に普通の表情で軽く礼をした。

松姫は菊姫と商人を微笑んで見た。

菊姫は松姫と商人を微笑んで見た。



「六月の 地さへ裂けて 照る日にも 我が袖干めや 君に逢はずして」

暑さの続く頃。

暑さを感じる中も想い続けている様子が伝わる歌。

松姫の想いと織田信忠の想いは、複雑に絡まる思惑の中で、諦めずに紡いでいる。

晩夏は様々な想いの中で過ぎていく。




*      *      *      *      *      *




ここからは後書きになります。

この物語に登場する歌は「万葉集 第十巻 一九九五番」

「六月の 地さへ裂けて 照る日にも 我が袖干めや 君に逢はずして」

作者は「詠み人知らず」

ひらがなの読み方は「みなづきの つちさへさけて てるひにも わがそでひめや きみにあはずして」

歌の意味は「地面まで裂けてしまうほどに照る六月(みなづき)のお日様でも、私の袖は乾くことがありましょうか、あなたに逢わないで。」となるそうです。

原文は「六月之 地副割而 照日尓毛 吾袖将乾哉 於君不相四手」

武田家についての補足です。

油川夫人は、元亀二年(1571年)(※月日は不明)に亡くなったそうです。

武田信玄は、元亀四年四月十二日(1573年5月13日)に信濃の駒場で亡くなります。

享年は、五十三歳と伝わっています。

武田信玄の死因は、肺結核、胃癌、食道癌、などの説が有力です。

武田信玄の他の死因には、武田信玄は敵が籠城中の野田城から聞こえる笛の音に惹かれて本陣から出て行き、本陣の外に居る時に鉄砲で撃たれて、その傷がもとで亡くなる、があります。(掲載日現在は、この説は俗説として考えられています。)

更に武田信玄の他の死因には、織田家の毒殺、もあります。(掲載日現在は、この説も俗説として考えられています。)

武田信玄は、武田勝頼と重臣に遺言を残したと伝わっています。

三つの遺言の内容が広く知られています。

800枚の白紙に武田信玄の花押を書いたから返礼などの時に使うように。

武田信玄の死を三年隠すように。

三年後に、武田信玄の死体に甲冑を着せて諏訪湖に沈めるように。

遺言の内容が事実だとすると、武田信玄は以前から亡くなる事を分かっていて、甲斐の国を守るために前から考えていた事が分かります。

武田信玄の葬儀は、天正四年(1576年)四月に行われたそうです。

武田信玄の死が三年隠せたかについてですが、三年より前に人数等は不明ですが、気付かれた形跡があるようです。

当時は忍者などを使った情報戦が激しかった事があり、武田信玄の死が知られてしまった可能性はあります。

後の出来事になりますが、松姫は織田信忠と婚約している経過などから、辛い立場になっていったようです。

天正元年(1573年)の秋に、武田盛信が松姫を引き取って暮らすようになります。

松姫と織田信忠の縁談が、破談なのか、続いているのか、分からなくなってしまった理由の一つに、「西上作戦(さいじょうさくせん)」があります。

西上作戦は、甲斐武田家が、元亀三年(1572年)九月から元亀四年(1573年)四月に掛けて行った遠征をいいます。

西上作戦は、武田信玄の体調と武田信玄の死によって終わった状況になります。

武田軍の関連についてです。

元亀四年(1573年)六月の動きです。

大きな動きはありません。

織田家関連について簡単に説明します。

織田信忠(幼名“奇妙丸”)が元服するのは、元亀三年(1572年)と伝わっています。

織田信忠は、実弟の「茶筅丸(ちゃせんまる)(織田信雄[おだのぶかつ])」、実弟の「三七丸(神戸三七郎信孝[かんべさんしちろうのぶたか]、織田信孝[おだのぶたか])」、と共に元服したと伝わっています。

元亀三年(1572年)一月に元服した説があります。

織田信忠が元服時に改名した名前は「織田勘九郎信重(おだかんくろうのぶしげ)」です。

「織田信忠」と改名するのは後の出来事になりますが、名前が幾度も変わると分かり難くなるため、元服後の名前は「織田信忠」で統一します。

ご了承ください。

織田信忠の初陣は、元亀三年(1572年)と伝わっています。

織田信忠の「具足初め(ぐそくはじめ)の儀」が、元亀三年七月十九日(1572年8月27日)に執り行われたと伝わっています。

織田信忠の初陣は、元亀三年七月十九日(1572年8月27日)、または、直ぐ後の日付になるようです。

織田信忠の初陣の相手は「北近江」の「浅井家」の「浅井長政」です。

浅井長政の継室は、織田信長の妹の「お市の方」です。

織田信忠の初陣の相手は、父親(織田信長)の妹(お市の方)の嫁ぎ先になります。

織田信忠にとって、初陣の次の大きな戦は、元亀三年(1572年)十二月頃の遠江の二俣城の戦いや三方ヶ原の戦いになります。

「晩夏(ばんか)」についてです。

「夏の終わり。夏の末。陰暦六月の異称。」です。

夏の季語です。

「涼暮月(すずくれづき)」についてです。

「涼暮れ月」とも書きます。

「陰暦六月の異称」です。

楽しんで頂けると嬉しいです。





←前            目次            次→


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください