このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
〜 雪月花 戦国恋語り 信玄の娘 松姫 編 〜
〜 文紡ぎ 月見月 我れは忘れず間なくし思へば 〜
登場人物
松姫[武田信玄の五女]、織田信忠(幼名:奇妙丸)[織田信長の嫡男](文だけの登場)、
菊姫[武田信玄の四女]、
「ぬばたまの その夜の月夜 今日までに 我れは忘れず 間なくし思へば」
「万葉集 第四巻 七〇二番」より
作者:河内百枝娘子(かわちのももえのおとめ)
松姫と奇妙丸の縁談が調ってから、七十の月になっている。
暦は八月になっている。
季節は仲秋になる。
今年の四月、菊姫と松姫の父の武田信玄が亡くなった。
武田信玄の遺言により、武田信玄の死は三年隠すと決まった。
様々な思惑が複雑に絡まる中の初秋になる。
ここは、甲斐の国。
日中は暑さを感じる時間があるが、陽が沈むと暑さを感じる時間が減ってきた。
ここは、躑躅ヶ崎館。
縁。
菊姫は普通に歩いている。
松姫も普通に歩いている。
何処かから話し声が聞こえた。
「武田家の女性の中に、織田家の関係者が居ると思う。」
「姫様が躑躅ヶ崎館に来ている。分かって話しているのか?」
「話の内容は聞こえない。問題は無い。」
菊姫は普通に止まった。
松姫は困惑して止まった。
菊姫の傍と松姫の傍には、部屋が在る。
菊姫は部屋の障子を普通に開けた。
部屋の中には、数人の武田家家臣が居る。
数人の武田家家臣は菊姫に驚いて深く礼をした。
菊姫は部屋の中に普通に入っていった。
松姫は部屋の中に困惑して入っていった。
直後の事。
ここは、躑躅ヶ崎館。
一室。
菊姫は部屋の中に普通に入った。
松姫は部屋の中に困惑して入った。
数人の武田家家臣は菊姫と松姫に驚いて深く礼をしている。
菊姫は数人の武田家家臣に真剣な表情で話し出す。
「織田家の関係者に該当する女性。躑躅ヶ崎館に来ている姫様。二つの条件の合う姫様の名前を教えて。」
数人の武田家家臣は菊姫と松姫に驚いて深く礼をしている。
菊姫は数人の武田家家臣に真剣な表情で話し出す。
「此処は、躑躅ヶ崎館。躑躅ヶ崎館には、多くの人達が訪れるわ。躑躅ヶ崎館には、多くの者達が働いているわ。問題が有るわ。回答に困る内容を話す時は、注意して話しなさい。」
数人の武田家家臣は菊姫と松姫に驚いて深く礼をしている。
菊姫は数人の武田家家臣を真剣な表情で見た。
数人の武田家家臣は菊姫と松姫に驚いて深く礼をしている。
菊姫は部屋を普通に出て行った。
松姫は部屋を困惑して出て行った。
暫く後の事。
ここは、松姫と菊姫の住む屋敷。
松姫の部屋。
松姫は考えながら居る。
菊姫は部屋を普通に訪ねた。
松姫は菊姫を微笑んで見た。
菊姫は松姫に微笑んで話し出す。
「お松の笑顔が戻ったわ。良かった。」
松姫は菊姫に微笑んで話し出す。
「姉上のたくさんの気遣いがあるからです。ありがとうございます。」
菊姫は松姫に微笑んで話し出す。
「私お松の姉よ。お礼は要らないわ。」
松姫は菊姫を微笑んで見た。
菊姫は松姫に微笑んで囁いた。
「お松。明日、お松の乳母の家に一緒に出掛けましょう。」
松姫は菊姫に微笑んで囁いた。
「はい。」
菊姫は松姫を微笑んで見た。
松姫も菊姫を微笑んで見た。
翌日の事。
ここは、松姫の乳母の住む屋敷。
一室。
松姫は微笑んで居る。
菊姫が部屋の中に微笑んで入ってきた。
商人が部屋の中に普通に入ってきた。
商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。
菊姫は松姫に微笑んで話し出す。
「お松。商人を呼んだの。買物をしましょう。」
松姫は菊姫と商人に微笑んで話し出す。
「はい。」
商人は懐から小さい紙を丁寧に取り出すと、松姫に小さい紙を丁寧に差し出した。
松姫は商人から小さい紙を微笑んで受け取った。
菊姫は松姫の耳元で、松姫に微笑んで囁いた。
「お松。紙を開いて。」
松姫は小さい紙を丁寧に広げると、小さい紙を微笑んで見た。
菊姫は松姫を微笑んで見た。
松姫は小さい紙を持ち、小さい紙を微笑んで見た。
ぬばたまの その夜の月夜 今日までに 我れは忘れず 間なくし思へば
菊姫は松姫の耳元で、松姫に微笑んで囁いた。
「月を詠んだ歌ね。十五夜に合わせて選んだ歌ね。」
松姫は小さな紙を持ち、菊姫に微笑んで囁いた。
「はい。」
商人は松姫に普通の表情で静かに話し出す。
「警戒は今も強いです。奇妙殿が頼んだ状況を信じて頂くために、奇妙殿が自筆で歌を書きました。奇妙殿から伝言を預かっています。」
松姫は小さい紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。
「伝言を教えてください。お願いします。」
商人は松姫に普通の表情で静かに話し出す。
「私の想う唯一の姫。逢えて嬉しかった。話せて嬉しかった。傍で過ごせて嬉しかった。私の想う唯一の姫を慕う気持ちは、更に強くなった。体調に気を付けて過ごしてくれ。素敵な十五夜を過ごしてくれ。」
松姫は小さい紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。
「私からも言葉で伝えます。」
商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。
松姫は小さい紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。
「私の想う唯一の君。素敵な歌の贈り物。ありがとうございます。素敵な歌を心の中で詠みながら、十五夜を楽しんで過ごします。私の想う唯一の君。逢えて嬉しかったです。話せて嬉しかったです。傍で過ごせて嬉しかったです。私の想う唯一の君を慕う気持ちは、更に強くなりました。体調に気を付けて過ごしてください。素敵な十五夜を過ごしてください。」
商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。
松姫は小さな紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。
「先月、私の想う唯一の君に逢えたお礼をしっかりと伝えませんでした。今からお礼を伝えます。」
商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。
松姫は小さい紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。
「私の想う唯一の君に逢えました。多くの人達の優しい気持ちの中で叶えられた出来事です。本当に感謝しています。本当にありがとうございます。」
商人は松姫に普通の表情で軽く礼をした。
松姫は小さい紙を持ち、菊姫と商人を微笑んで見た。
菊姫は松姫と商人を微笑んで見た。
暫く後の事。
ここは、松姫の乳母の住む屋敷。
一室。
菊姫は微笑んで居る。
松姫は微笑んで居る。
菊姫は松姫に小さい声で微笑んで話し出す。
「“ぬばたまの その夜の月夜 今日までに 我れは忘れず 間なくし思へば”。逢いたいと想い続けた気持ち。やっと逢えた気持ち。逢えて嬉しい気持ち。逢った後も想い続ける気持ち。十五夜を楽しんで過ごして欲しい気持ち。全ての気持ちを、女性の作者の歌で伝える。さすがだわ。」
松姫は菊姫に微笑んで小さい声で話し出す。
「はい。」
菊姫は松姫に微笑んで話し出す。
「お松。今月は十五夜を楽しむ月になるわ。素敵な十五夜を過ごしましょう。」
松姫は菊姫に微笑んで話し出す。
「はい。」
菊姫は松姫に微笑んで話し出す。
「お松。屋敷に帰りましょう。」
松姫は菊姫に微笑んで話し出す。
「はい。」
菊姫は松姫を微笑んで見た。
菊姫は部屋を微笑んで出て行った。
松姫は部屋を微笑んで出て行った。
「ぬばたまの その夜の月夜 今日までに 我れは忘れず 間なくし思へば」
松姫にとって、複雑な立場の状況が続く。
松姫は、織田信忠に逢えた出来事を心の中で幾度も想い出しながら過ごしている。
松姫と織田信忠は、想いを更に深めながら過ごしている。
中秋を楽しむ月は、複雑に絡まる思いの中でゆっくりと過ぎていく。
* * * * * *
ここからは後書きになります。
この物語に登場する歌は「万葉集 第四巻 七〇二番」
「ぬばたまの その夜の月夜 今日までに 我れは忘れず 間なくし思へば」
ひらがなの読み方は「ぬばたまの そのよのつくよ けふまでに われはわすれず まなくしおもへば」
作者は「河内百枝娘子(かわちのももえのおとめ)」
歌の意味は「あの夜の月を今日も忘れられません。ずっとあなた様のことを想っていますので。」となるそうです。
原文は「夜千玉之 其夜乃月夜 至于今日 吾者不忘 無間苦念者」
「ぬばたまの」は、「夜」などを導く枕詞です。
「大伴家持(おおとものやかもち)」に贈った二首のひとつです。
「十五夜(じゅうごや)」と「中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)」についてです。
「陰暦の八月十五日の夜。満月の夜。」をいいます。
別名には「芋名月(いもめいげつ)」があります。
この時期は、古来より観月に最も良い時節とされています。
秋や冬は空気が乾燥して月が鮮やかに見える事、それに、夜でもそれほど寒くないために、名月として観賞されるようになったそうです。
中国にも同様の風習が唐の時代に確認されているそうです。
更に古くからある事も考えられます。
日本には九世紀から十世紀の頃に渡来したそうです。
貴族を中心に行なっていたそうですが、後に武士や町民にも広まったそうです。
酒宴を開いたり、詩や歌を詠んだり、薄を飾ったり、月見団子・里芋・枝豆・栗などを持ったり、お酒を供えて月を眺めたそうです。
「お月見料理」というそうです。
中国では「月餅」を作ってお供えするそうです。
「月餅」が日本に来て「月見団子」に変わったそうです。
お月見が一般的に行なわれるようになったのは、江戸時代からだそうです。
お月見団子は一般的には自分の家庭で作るそうです。
お月見団子の数は、その年の月の数だけ供えるそうです。
2012年の「中秋の名月・十五夜」は、「2012年9月30日」だそうです。
ご確認ください。
風習の関係から、今回の「十五夜」の他に「十三夜」の物語も掲載予定です。
武田家についての補足です。
油川夫人は、元亀二年(1571年)(※月日は不明)に亡くなったそうです。
武田信玄は、元亀四年四月十二日(1573年5月13日)に信濃の駒場で亡くなります。
享年は、五十三歳と伝わっています。
武田信玄の死因は、肺結核、胃癌、食道癌、などの説が有力です。
武田信玄の他の死因には、武田信玄は敵が籠城中の野田城から聞こえる笛の音に惹かれて本陣から出て行き、本陣の外に居る時に鉄砲で撃たれて、その傷がもとで亡くなる、があります。(掲載日現在は、この説は俗説として考えられています。)
更に武田信玄の他の死因には、織田家の毒殺、もあります。(掲載日現在は、この説も俗説として考えられています。)
武田信玄は、武田勝頼と重臣に遺言を残したと伝わっています。
三つの遺言の内容が広く知られています。
800枚の白紙に武田信玄の花押を書いたから返礼などの時に使うように。
武田信玄の死を三年隠すように。
三年後に、武田信玄の死体に甲冑を着せて諏訪湖に沈めるように。
遺言の内容が事実だとすると、武田信玄は以前から亡くなる事を分かっていて、甲斐の国を守るために前から考えていた事が分かります。
武田信玄の葬儀は、天正四年(1576年)四月に行われたそうです。
武田信玄の死が三年隠せたかについてですが、三年より前に人数等は不明ですが、気付かれた形跡があるようです。
当時は忍者などを使った情報戦が激しかった事があり、武田信玄の死が知られてしまった可能性はあります。
後の出来事になりますが、松姫は織田信忠と婚約している経過などから、辛い立場になっていったようです。
天正元年(1573年)の秋に、武田盛信が松姫を引き取って暮らすようになります。
松姫と織田信忠の縁談が、破談なのか、続いているのか、分からなくなってしまった理由の一つに、「西上作戦(さいじょうさくせん)」があります。
西上作戦は、甲斐武田家が、元亀三年(1572年)九月から元亀四年(1573年)四月に掛けて行った遠征をいいます。
西上作戦は、武田信玄の体調と武田信玄の死によって終わった状況になります。
武田軍の関連についてです。
天正元年(1573年)八月〜九月の動きです。
徳川家康軍が菅沼正貞の城主の長篠城を包囲しています。
武田軍は長篠城に援軍を送っていました。
長篠城には援軍の報告が届いていなかったらしく、長篠城では八月中に開場降伏を決めます。
菅沼正貞は長篠城を去り、援軍の武田軍と合流します。
織田家関連について簡単に説明します。
織田信忠(幼名“奇妙丸”)が元服するのは、元亀三年(1572年)と伝わっています。
織田信忠は、実弟の「茶筅丸(ちゃせんまる)(織田信雄[おだのぶかつ])」、実弟の「三七丸(神戸三七郎信孝[かんべさんしちろうのぶたか]、織田信孝[おだのぶたか])」、と共に元服したと伝わっています。
元亀三年(1572年)一月に元服した説があります。
織田信忠が元服時に改名した名前は「織田勘九郎信重(おだかんくろうのぶしげ)」です。
「織田信忠」と改名するのは後の出来事になりますが、名前が幾度も変わると分かり難くなるため、元服後の名前は「織田信忠」で統一します。
ご了承ください。
織田信忠の初陣は、元亀三年(1572年)と伝わっています。
織田信忠の「具足初め(ぐそくはじめ)の儀」が、元亀三年七月十九日(1572年8月27日)に執り行われたと伝わっています。
織田信忠の初陣は、元亀三年七月十九日(1572年8月27日)、または、直ぐ後の日付になるようです。
織田信忠の初陣の相手は「北近江」の「浅井家」の「浅井長政」です。
浅井長政の継室は、織田信長の妹の「お市の方」です。
織田信忠の初陣の相手は、父親(織田信長)の妹(お市の方)の嫁ぎ先になります。
織田信忠にとって、初陣の次の大きな戦は、元亀三年(1572年)十二月頃の遠江の二俣城の戦いや三方ヶ原の戦いになります。
天正元年(1573年)八月の織田家の動きを簡単に説明します。
「一乗谷の戦い(いちじょうだにのたたかい)」(別名:刀根坂の戦い[とねざかのたたかい])(福井県福井市)が起きました。
織田信長、対、朝倉義景・朝倉景鏡、の戦いです。
この戦いは、「室町幕府第十五代将軍」の「足利義昭(あしかがよしあき)」が織田信長に対抗した「信長包囲網」が関係しています。
暦についての補足です。
「元亀四年七月二十八日(1573年8月25日)」に、「天正元年(1573)」に改元しました。
この物語についての補足です。
松姫と織田信忠が逢う場面が小説などに登場します。
松姫と織田信忠が逢った可能性のある記録があるそうです。
その記録を基にして、松姫と織田信忠が逢う場面が登場していると思います。
松姫と織田信忠が、七月に逢う場面を書きたいと思ったので、七月に逢う話が登場します。
以上、ご了承ください。
「仲秋(ちゅうしゅう)」についてです。
「(秋の三ヶ月の真ん中の意味から)陰暦八月の異称」です。
秋の季語です。
「中秋(ちゅうしゅう)」についてです。
「陰暦八月十五日」です。
「月見月(つきみづき)」についてです。
「陰暦八月の異称」です。
楽しんで頂けると嬉しいです。
←前
目次
次→
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |