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〜 雪月花 戦国恋語り 信玄の娘 松姫 編 〜


〜 文紡ぎ 応鐘 いづれの里の宿か借らまし 〜


登場人物

松姫[武田信玄の五女]、織田信忠(幼名:奇妙丸)[織田信長の嫡男](文だけの登場)、

菊姫[武田信玄の四女]、



「十月 雨間も置かず 降りにせば いづれの里の 宿か借らまし」

「万葉集 第十二巻 三二一四番」より

作者:詠み人知らず



松姫と奇妙丸の縁談が調ってから、七十二の月になっている。

暦は十月になっている。



季節は初冬になる。



今年の四月、菊姫と松姫の父の武田信玄が亡くなった。

武田信玄の遺言により、武田信玄の死は三年隠すと決まった。

様々な思惑が複雑に絡まる中の初冬になる。



ここは、甲斐の国。



天気の良い日中は、比較的に過ごし易い日が続く。

天気の悪い日、陽の沈む時間、早朝、夜など、寒さを感じる時間がある。



ここは、菊姫と松姫の住む屋敷。



菊姫の部屋。



菊姫は微笑んで居る。

松姫は普通の表情で居る。



菊姫は松姫に微笑んで囁いた。

「お松。明日、乳母の家に商人が来るの。明日の早い時間の内に、私の部屋に来てね。楽しく買い物をしましょう。」

松姫は菊姫に微笑んで囁いた。

「はい。」

菊姫は松姫を微笑んで見た。

松姫も菊姫を微笑んで見た。



翌日の事。



ここは、菊姫と松姫の住む屋敷。



菊姫の部屋。



菊姫は微笑んで居る。

松姫も微笑んで居る。



菊姫は松姫に微笑んで話し出す。

「お松。今日も寒さを感じない日になっているわね。」

松姫は菊姫に微笑んで話し出す。

「はい。」

菊姫は松姫に微笑んで囁いた。

「今から乳母の家に出掛けましょう。楽しく買い物をしましょう。」

松姫は菊姫に微笑んで囁いた。

「はい。」

菊姫は松姫に微笑んで話し出す。

「お松。今から少し出掛けましょう。」

松姫は菊姫に微笑んで話し出す。

「はい。」

菊姫は松姫を微笑んで見た。

松姫も菊姫を微笑んで見た。



菊姫は部屋を微笑んで出て行った。

松姫も部屋を微笑んで出て行った。



少し後の事。



ここは、松姫の乳母の家。



一室。



部屋の中には、商品が広げてある。



菊姫は微笑んで居る。

松姫も微笑んで居る。

商人は普通に居る。



菊姫は松姫に微笑んで話し出す。

「お松。素敵な商品がたくさんあるわね。」

松姫は菊姫に微笑んで話し出す。

「はい。」

菊姫は商人に微笑んで頷いた。

商人は菊姫と松姫に普通の表情で軽く礼をした。

松姫は商人を微笑んで見た。

菊姫は松姫と商人を微笑んで見た。

商人は懐から小さい紙を取り出すと、松姫に普通に渡した。

松姫は商人から小さい紙を微笑んで受け取った。

菊姫は松姫を微笑んで見た。

松姫は小さい紙を持ち、紙を丁寧に広げた。

菊姫は松姫を微笑んで見た。



紙には、織田信忠の筆跡で歌が書いてある。



「十月 雨間も置かず 降りにせば いづれの里の 宿か借らまし」



松姫は小さい紙を持ち、商人を微笑んで見た。

菊姫は商人を微笑んで見た。

商人は菊姫と松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。

「警戒は今も強いです。奇妙殿が頼んだ状況を信じて頂くために、奇妙殿が自筆で歌を書きました。奇妙殿から伝言を預かっています。」

松姫は小さい紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。

「伝言を教えてください。お願いします。」

商人は松姫に普通の表情で静かに話し出す。

「今回は、過去の歌の贈り物の対になる歌を選んだ。何処に居ても、姫を強く想いながら過ごしている。何処にいても、姫の無事を願いながら過ごしている。想いを繋げる状況が少しずつ悪化している。姫が辛い想いをしていないか心配だ。命を大切にして過ごして欲しい。」

松姫は紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。

「今回も少し長い伝言を頼みます。大丈夫ですか?」

商人は松姫に普通の表情で小さく礼をした。

松姫は紙を持ち、商人に微笑んで小さい声で話し出す。

「大切な君から伝言が届きます。大切な君が昔の歌の贈り物を覚えています。大切な君の想いと私の想いが、繋がっています。物凄く嬉しいです。私も大切な君を想い続けています。私を取り巻く状況は変わってきています。大切な君を取り巻く状況も変わってきていると思います。私の傍には、姉上が居ます。大丈夫です。対になる二つの歌を心の中で詠みます。心細くなる時は無いです。私も命を大切にして過ごします。大切な君も命を大切にして過ごしてください。」

商人は松姫に普通の表情で小さい声で話し出す。

「姫様からの伝言。しっかりと伝えます。」

松姫は紙を持ち、商人を微笑んで見た。

菊姫は松姫と商人を微笑んで見た。

松姫は紙を持ち、菊姫を微笑んで見た。

菊姫は商品を手に取ると、松姫に微笑んで話し出す。

「お松。素敵な商品ね。」

松姫は紙を持ち、菊姫に微笑んで話し出す。

「はい。」

商人は松姫と菊姫に普通の表情で軽く礼をした。



暫く後の事。



ここは、松姫の乳母の家。



一室。



菊姫は微笑んで居る。

松姫も微笑んで居る。



菊姫は松姫に微笑んで小さい声で話し出す。

「“十月 雨間も置かず 降りにせば いづれの里の 宿か借らまし”。」

松姫は菊姫を微笑んで見た。

菊姫は松姫に微笑んで小さい声で話し出す。

「今回の贈り物の歌は、昔の歌の贈り物の対になるわ。贈る期間が限られる歌になるわ。お松を想いながら、贈り物に選んだ様子が分かるわ。」

松姫は菊姫に微笑んで小さい声で話し出す。

「はい。」

菊姫は松姫を微笑んで見た。

松姫も菊姫を微笑んで見た。



翌日の事。



ここは、躑躅ヶ崎館。



一室の中から、一人の男性の声と菊姫の声が聞こえる。

「昨日、お松と共に出掛けたのか。松姫が長い時間を一人になる時間はあったのか?」

「私がお松の傍に居ました。お松が長い時間を一人のみで居る状況は無いです。」

「昨日の出掛けた理由は何だ?」

「お松の乳母の家に出掛けて買い物をしました。」

「お菊とお松の住む屋敷に商人を呼ばないのか?」

「お松が監視されていないか不安になる時があります。不安な気持ちが強くなれば、体調を悪くする可能性があります。適度に気晴らしをさせたいと思っています。」

「分かった。報告は忘れないように。」

「はい。」



少し後の事。



ここは、菊姫と松姫の住む屋敷。



松姫の部屋。



松姫は不安な様子で居る。



菊姫が部屋の中に微笑んで入ってきた。



松姫は菊姫を不安な様子で見た。

菊姫は松姫を抱くと、松姫に微笑んで囁いた。

「お松。無難な内容で報告したわ。大丈夫。安心して。」

松姫は菊姫に不安な様子で囁いた。

「姉上。迷惑を掛けます。申し訳ありません。」

菊姫は松姫を抱いて、松姫に微笑んで囁いた。

「迷惑だと思っていないわ。安心して。」

松姫は菊姫に微笑んで囁いた。

「姉上。ありがとうございます。」

菊姫は松姫を抱いて、松姫に微笑んで頷いた。

松姫は菊姫を微笑んで見た。



「十月 雨間も置かず 降りにせば いづれの里の 宿か借らまし」

松姫と織田信忠は、何月の中に居ても、何処に居ても、想いを重ねている。

松姫の想いと織田信忠の想いを繋ぐ状況は、少しずつ悪化している。

松姫の想いと織田信忠の想いは、複雑に絡まる思惑の中でも途切れないように紡ぎ続けている。




*      *      *      *      *      *




ここからは後書きになります。

この物語に登場する歌は「万葉集 第十二巻 三二一四番」

「十月 雨間も置かず 降りにせば いづれの里の 宿か借らまし」

作者は「詠み人知らず」

ひらがなの読み方は「かむなづき あめまもおかず ふりにせば いづれのさの やどかからまし」

歌の意味は「十月の雨がひっきりなしに降ったとしたら、どの宿を借りればよかったのでしょうか。」となるそうです。

原文は「十月 雨間毛不置 零尓西者 誰里之 宿可借益」

旅をしている人を心配して詠んだ歌(一つ前の番号の「万葉集 第十二巻 三二一三番」)、「十月 しぐれの雨に 濡れつつか・・・(以下省略)」に対する歌です。

「宿を借りるほどの雨にはあわなかったよ。」という意味と思われます。

武田家についての補足です。

油川夫人は、元亀二年(1571年)(※月日は不明)に亡くなったそうです。

武田信玄は、元亀四年四月十二日(1573年5月13日)に信濃の駒場で亡くなります。

享年は、五十三歳と伝わっています。

武田信玄の死因は、肺結核、胃癌、食道癌、などの説が有力です。

武田信玄の他の死因には、武田信玄は敵が籠城中の野田城から聞こえる笛の音に惹かれて本陣から出て行き、本陣の外に居る時に鉄砲で撃たれて、その傷がもとで亡くなる、があります。(掲載日現在は、この説は俗説として考えられています。)

更に武田信玄の他の死因には、織田家の毒殺、もあります。(掲載日現在は、この説も俗説として考えられています。)

武田信玄は、武田勝頼と重臣に遺言を残したと伝わっています。

三つの遺言の内容が広く知られています。

800枚の白紙に武田信玄の花押を書いたから返礼などの時に使うように。

武田信玄の死を三年隠すように。

三年後に、武田信玄の死体に甲冑を着せて諏訪湖に沈めるように。

遺言の内容が事実だとすると、武田信玄は以前から亡くなる事を分かっていて、甲斐の国を守るために前から考えていた事が分かります。

武田信玄の葬儀は、天正四年(1576年)四月に行われたそうです。

武田信玄の死が三年隠せたかについてですが、三年より前に人数等は不明ですが、気付かれた形跡があるようです。

当時は忍者などを使った情報戦が激しかった事があり、武田信玄の死が知られてしまった可能性はあります。

後の出来事になりますが、松姫は織田信忠と婚約している経過などから、辛い立場になっていったようです。

天正元年(1573年)の秋に、武田盛信が松姫を引き取って暮らすようになります。

「雪月花 戦国恋語り 信玄の娘 松姫 編」では、物語の展開から、秋より後の季節では、武田盛信が松姫を引き取って暮らす設定にします。

ご了承ください。

松姫と織田信忠の縁談が、破談なのか、続いているのか、分からなくなってしまった理由の一つに、「西上作戦(さいじょうさくせん)」があります。

西上作戦は、甲斐武田家が、元亀三年(1572年)九月から元亀四年(1573年)四月に掛けて行った遠征をいいます。

西上作戦は、武田信玄の体調と武田信玄の死によって終わった状況になります。

武田軍の関連についてです。

天正元年(1573年)十月の動きです。

「諏訪原城(すわはらじょう)」を築城します。

現在の静岡県島田市に在ります。

馬場氏勝(=馬場信春)を築城奉行として築かれた山城です。

織田家関連について簡単に説明します。

織田信忠(幼名“奇妙丸”)の元服は、元亀三年(1572年)と伝わっています。

織田信忠は、実弟の「茶筅丸(ちゃせんまる)(織田信雄[おだのぶかつ])」、実弟の「三七丸(神戸三七郎信孝[かんべさんしちろうのぶたか]、織田信孝[おだのぶたか])」、と共に元服したと伝わっています。

元亀三年(1572年)一月に元服した説があります。

織田信忠が元服時に改名した名前は「織田勘九郎信重(おだかんくろうのぶしげ)」です。

「織田信忠」と改名するのは後の出来事になりますが、名前が幾度も変わると分かり難くなるため、元服後の名前は「織田信忠」で統一します。

ご了承ください。

織田信忠の初陣は、元亀三年(1572年)と伝わっています。

織田信忠の「具足初め(ぐそくはじめ)の儀」が、元亀三年七月十九日(1572年8月27日)に執り行われたと伝わっています。

織田信忠の初陣は、元亀三年七月十九日(1572年8月27日)、または、直ぐ後の日付になるようです。

織田信忠の初陣の相手は「北近江」の「浅井家」の「浅井長政」です。

浅井長政の継室は、織田信長の妹の「お市の方」です。

織田信忠の初陣の相手は、父親(織田信長)の妹(お市の方)の嫁ぎ先になります。

織田信忠にとって、初陣の次の大きな戦は、元亀三年(1572年)十二月頃の遠江の二俣城の戦いや三方ヶ原の戦いになります。

天正元年(1573年)九月途中から十月の織田家の動きを簡単に説明します。

織田家は、各将に二度目の長島攻めを通達します。

天正元年九月二十四日(1573年10月19日)、織田信長の率いる数万の軍勢が北伊勢に出陣します。

天正元年十月八日(1573年11月2日)、織田信長は本陣を東別所に移動します。

天正元年十月二十五日(1573年11月19日)、帰陣を始めます。

帰還の途中で、門徒が待ち伏せしていて、攻撃を仕掛けます。

殿軍(でんぐん)(殿[しんがり]の部隊)の林通政が戦死します。

天正元年十月二十六日(1573年11月20日)、織田軍は岐阜に帰還します。

この天正元年九月から十月の戦いが、「第二次長島征伐」になります。

暦についての補足です。

「元亀四年七月二十八日(1573年8月25日)」に、「天正元年(1573)」に改元しました。

この物語についての補足です。

松姫と織田信忠が逢う場面が小説などに登場します。

松姫と織田信忠が逢った可能性のある記録があるそうです。

その記録を基にして、松姫と織田信忠が逢う場面が登場していると思います。

松姫と織田信忠が、七月に逢う場面を書きたいと思ったので、七月に逢う話が登場します。

以上、ご了承ください。

「初冬」についてです。

「しょとう」と読むと、「冬の初め。」(←冬の季語)、「陰暦十月の異称。孟冬(もうとう)」、の意味です。

「はつふゆ」と読むと、「冬の初め。陰暦十月の異称。」(←冬の季語)の意味です。

「応鐘(おうしょう)」についてです。

「中国音楽の十二律の一。基音の黄鐘(こうしょう)より二律高い音。日本の十二律の上無(かみむ)にあたる。」

「陰暦十月の異称」

以上の二つの意味が有ります。

楽しんで頂けると嬉しいです。





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